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第三話 救済されなかった世界

修道士ギベールの手記


ある朝、修道院に「良い知らせ」が届いた。

それは、凱旋の報でもなく、勝利の宣言でもなかった。


ただ、安堵を許す言葉であった。

「東方の大王が死んだ」

「異教徒の国で内紛が起きる」

「彼らは引き返すだろう」


その言葉は、誰の口から出たのか、はっきりしなかった。

だが、広まる速さだけは、どんな噂よりも早かった。

人々は信じたかった。

呪われた戦場リーグニッツの名を、これ以上重く抱え続けることに疲れていたからだ。


修道院の兄弟の一人は胸に手を当てて言った。

「主は我らをお見捨てにならなかった」


私はその言葉に、うなずきかけ、そして止まった。

なぜなら、その知らせには確かさが無かったからである。


死んだという大王の名はオゴタイと伝えられた。

だが、誰が見たのか、どこで死んだのか、本当のところは何一つ分からないのではないか。


それでも、祈りの声は軽くなった。

説教は希望を帯び、巡礼の準備を再開する者も現れた。

恐怖は確認されぬまま終わったことにされた。


間の抜けたような平穏が訪れた...

私は、このまま時が流れていくのだろうと思いつつも、心の奥に不安が塊となって残った。


ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー


皇帝フリードリヒ二世


パレルモの宮廷で、皇帝フリードリヒ二世は、同じ報を受け取っていた。


彼は机に向かい、長い指で書簡の端を整え、一字一字を確かめるように読んだ。


顔には驚きも喜びもなかった。

「死んだ...と書いてあるな」

彼は静かに言った。


側近がうなずく。

だが、皇帝はすぐに書簡を閉じなかった。


彼は感じ取っていた。

遠方の出来事は常に遅れて届き、半分は願望で塗り替えられていることを。


それでも彼は一つの結論に傾いた。

「もし本当なら、事態は収束する」

「もし誤りでも、今、帝国を動かす理由はない」

彼は理性的であった。

恐怖に踊らされることを何より嫌った。


だが、彼の理性は時間の価値を過小評価していた。

動かぬという判断が平穏な状態につながるとは限らず、

それが運命を変えてしまう選択になる時がある。

この時が、まさにそれであった。


ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー


フランス王ルイ


フランス王ルイにはまだ若さが残っていた。

痩せぎすで、端正な顔立ち。

視線は柔らかく、だがどこか遠くを見る癖があった。

彼は祈りを愛し、告解を欠かさず、戦争を好まなかった。


宮廷でこの報が語られた時、彼はおのれのはやる気持ちを抑えた。


「もし主が敵を退かれたなら、人が血を流す理由は無い」


それは敬虔な言葉であった。

だが、その言葉は、行動を先延ばしにするだけの空虚な言葉でもあった。


王は祈りを重ね決断を遅らせた。

彼は悪王ではない。むしろ善き王であった。

だが、この暴力に満ちた時代においては、善意が最も危険なもの...

弱さ、遅さとなった。


ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー


ハンガリー王ベーラ四世


ベーラ四世だけが、この報に安堵しなかった。


彼の顔には長い疲労が刻まれていた。

眉間には深い皺、声は低く、簡潔である。


「我が国境は謎めいて静か過ぎる」

彼はそう言って書簡を机に戻した。


彼は命じた。

城壁を補修せよ。砦に兵を増やせ。民を都市へ集めよ。


周囲は言った。

「過剰である」「恐怖に囚われている」と。


だが、彼は耳を貸さなかった。

「恐怖ではない。計算だ」


彼は孤立した。

唯一、事態が続いていることを前提に動いた王であった。


ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー


修道士ギベールの手記


我ら修道士は、修道院と狭い領地の中が見える世界の全てだ。

遠い土地の真実を知らない。その結果は遅れて伝わって来た。


何も起きなかった、という知らだ。

軍が動かなかったという事実。

それらは安堵として受け取られた。


だが、この安堵は確認されぬ仮定の上に立つ脆い建物であった。



数週間後、別の噂が届いた。


「東方の軍は、まだ動いている」


その報は、遅過ぎた。

我々の世界は救済される道を選ばなかったのだ。


奇跡を期待し、理性を盾にし、敬虔さを理由にし、備えを後回しにした結果として。


この時、世界はまだ終わっていなかった。

だが、終わりを食い止めるための時間は既に失われていた。

全16話完成済みです。毎夜8時に更新していきます

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