第二話 リーグニッツの会戦
復活祭が過ぎた頃、東欧の空気は変わった。
大きな戦いがあったのだ。
リーグニッツ。あるいは、ワールシュタット。
「死体の山」と呼ばれるようになった場所で。
戦場はリーグニッツの南東の広く平坦な草原。
遮るものは無く、遠くまで見渡せる地であった。
それゆえに、騎士の力が活きる戦場だと見込まれた。
戦場
リーグニッツは、一見するとどこにでもある草原であった。
だが、そこには川があり、森があり、緩やかな斜面があった。
キリスト教諸侯連合軍は、それらを背にする形で陣を敷いた。
防御を固め、正面からの衝突に備える。
それは重装騎兵を主力とする軍にとって、最も常識的で、最も正しい配置であった。
鎧は重く、馬は大きく、突撃は破壊力を持つ。
騎士たちは、自分たちが劣っているとは一度も思わなかった。
キリスト教諸侯連合軍
軍の中心にいたのは、ポーランド公ヘンリク敬虔公である。
彼は慎重な男であった。激情に流されず、祈りを欠かさず、部下の進言に耳を傾ける。
連合軍は、ポーランド諸侯、ドイツ騎士団、傭兵らで構成されていた。
寄せ集めではあったが、弱兵ではない。
それぞれが自らの戦い方を知っていた。
問題は、敵がその戦い方に応じるかどうかであった。
戦闘開始
戦の初動は、欧州側にとって決して悪くなかった。
騎士の突撃は成功した。鉄の塊が一斉に動き、敵の前列を押し崩す。
美しく勇壮な光景であった。
モンゴル軍は退いた。
それは敗走に見えた。
敵が退いた時、ヘンリクは素直には喜べなかった。
「奇妙だ...」
それでも諸侯の声が彼を押した。
「逃げて行く!」
「今こそ叩くべきだ!」
軍は怒涛の勢いで追撃に駒を進めた。
偽装退却
モンゴル軍は退いたのではない。
広がったのだ。
散開し、距離を取り、矢を放ちながら後退する。
騎士の馬は重く、鎧は動きを鈍くする。
追撃すればするほど、隊列は伸び、隙間が生まれる。
やがて、地面の様相が変わった。
草原は続いているようで、足元は違っていた。
湿地。泥濘...水を含んだ地。
モンゴル軍は、意図的にそこへ誘い込んだのかもしれない。
重装の騎士にとって、そこは戦場ではない。
罠である。
包囲
騎士が速度を失った時、周囲から矢が降った。
正面ではない。側面でもない。
あらゆる方向からである。
森際から、斜面から、退いたはずの敵が。
銅鑼や太鼓の不気味な響きと共に、敵は自在に散開、攻勢、包囲を繰り広げる。大波のように見事に。
モンゴル軍は嫌な臭いを放つ煙を焚いた。
その毒々しい煙によって視界は遮られ、呼吸するのが苦しくなった。
味方の合図は届かず、命令は伝わらず、部隊は孤立した。
ポーランド公ヘンリク敬虔公は最後まで勇敢に戦った。
わずか三人の護衛に守られ、血煙の中を駆ける。
だがそれは、崩壊を一刻でも遅らせるための抵抗でしかなかった。
モンゴル軍が押し寄せ、囲みが縮まり、敵兵の波に呑まれ、ヘンリクは落馬した。
そして、彼の首は無慈悲に落とされた。
戦場は既に「死体の山」になっていた。
勝利したモンゴル兵たちは、ヘンリクの衣服と鎧を冷酷に剥ぎ取った。
一本の槍が高々と掲げられた。その先端には、ヘンリクの哀れな首級が突き刺さっていた。
モンゴル軍は野太い歓声と共にその槍を掲げ、次の街の城壁へと進軍を開始した。
打ち捨てられた裸の骸は、無数に転がる兵たちの死体の群れに紛れ、誰のものかも判らなくなった。
戦いが終わった後、残された大量の遺体の中からヘンリク2世の遺体が探し出された。
首の無い裸の死体であったが、生まれつき六本生えていた左の足の指によって、ヘンリクの身体であると遺族の女性が見極めたのだ。
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ヴァーツワフ一世
ボヘミア王ヴァーツワフ一世は、リーグニッツの会戦に間に合わなかった。
彼は重厚な体躯を持ち、動きは遅いが判断は早い王である。
戦場を見渡した時、彼は直ぐに理解した。
「これは、勝負などというものではない」
死体の並び方、馬の倒れ方、兵の散り方。
抗うことも叶わなかったような一方的な敗北の姿だった。
彼は軍を止めた。追撃はしなかった。更なる戦況の確認もしなかった。
「間に合わなかったのは神の慈悲かもしれぬ」
その声は低く、自らを納得させるようでもあった。
彼は理解した。ここで戦えば王国そのものを失うと。
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修道士ギベールの手記
戦の詳しい様相が、我らの元に届いたのは、ずっと後である。
遺体の甲冑は裂け、剣は抜かれず、顔には恐怖よりも困惑が残っていたという。
それは勇敢さの欠如ではない。
戦いの前提そのものが噛み合っていなかったのだろう。
リーグニッツの後、勝利の歌は生まれなかった。
凱旋は無く、捕虜の列も無かった。
ただ、静けさだけが戻ってきた。
それは、剣よりも重く、祈りよりも雄弁であった。
この沈黙の中で、人々はまだ知らなかった。
この戦いが、一つの敗北ではなく、この世界の戦い方が通用しなくなった証であったということを。
それを理解するには、まだ多くの犠牲と時間が必要だったのだ。
力ではなく秩序による征服、滅びなかったが、取り替えられた世界
恐るべきモンゴル軍の噂に始まり、慣れ親しんだ世の中が崩れていく中で人は如何に生きるのか
老修道の目に映った文明の変容を人間がどう受け止めるかの物語
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