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第十一話 信仰の揺らぎ

修道士ギベールの手記


フランスが屈し、我がブルゴーニュも敗れた。


しかし教会は残っていた。

尖塔は崩れず、祭壇は踏み躙られず、祈りは禁じられなかった。

聖櫃はなお金具を光らせ、香の匂いも以前と同じように漂った。

朝の祈りは続いた。晩課も夜祷も。鐘は定刻に鳴り、我らの口は昨日と同じ聖句を唱えた。


それでも私は...

ある朝、自分が祈っていないことに気づいてしまった。


口は動く。言葉は正しい。だが、言葉の行き先が無い。


祈りが神へ向かわず、壁の中で跳ね返ってくるような感覚。

あるいは、遠い景色に向けて空気を投げているようだった。



修道院の外れの道を異族の数騎が静かに通る。

小柄な軍馬、革鎧を着た平べったい丸顔の男たち。

略奪ではない。威嚇でもない。

ただ、ここが彼らの巡回路になったというだけだ。


異教徒の巡回が始まってから修道院の門を叩く者は増えた。

だが彼らは救いを求めて来たのではない。

「祈ってよいのか」

「鐘を鳴らしてよいのか」

「写本を持っていてよいのか」


彼らが教会に求めたのは魂の救済ではなく、許可されているかの確認だった。


許されている、つまり奪われていないと知ると、人々は安堵した。

だが、奪われていないことと、信仰が生きていることは同じではない。

信仰が、求めるものではなく、許可を施されるものになっていく。

その変化に私は重大な意味を感じた。



修道院の回廊を歩いていると若い兄弟が私を呼び止めた。

彼はまだ頬が柔らかく、目に光があり、恐怖を知らぬ者のように見えた。

だが、声は震えていた。

「兄弟ギベール、なぜ我らは祈るのですか」


その問いは刃のように鋭かった。


私は聖書の言葉を思い出した。

『求めよ、さらば与えられん』

だが、虚しい...

今の現実の中でその言葉はどこにも繋がらなかった。

若き兄弟にかけるべき言葉が、心に響く言葉が、見当たらない。


祈ってもモンゴル兵の巡回は無くならない。

悔い改めても現実は変わらない。

鐘を鳴らしても、それは祈りの響きではなく、金属のぶつかり合うただの音に聞こえてしまう。


私は答えられなかった。

答えられぬ沈黙は祈りより長くその回廊に残った。


ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー


許可された教会


異教徒の役人は教会に怒りを向けなかった。

禁じなかった。壊さなかった。

ただ、記録した。

修道士の人数。土地。収穫。施しの量。


そして命じた。

「定められた分を納めよ」


司教が訴えれば、役人は静かに首を振る。

「例外はない」


それは暴力ではない。

むしろ公平だった。


公平であることが、この支配の最も恐ろしい点である。

不公平な暴君なら人は憎める。

だが公平な支配は憎しみを散らし、

抵抗の理由を溶かす。


ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー


修道士ギベールの手記


司祭達の説教は続いた。

だが説教者の語る言葉は、信仰心よりも「説明」あるいは「言い訳」に近づいた。

「神は沈黙されることもある」

「試練は信仰を強める」

その言葉は、

かつてなら慰めだった。

だが今は、無理やり納得させるための言葉に聞こえた。


信仰とは納得ではない。

納得を超えたところで人を立ち上がらせ生かす力である。


その力が薄れていた。

そして薄れる理由がはっきりしていた。

異教徒の支配の下でも世界が回っている。

これに気づいた時、私の心は悲鳴を上げた。


祈らずとも道は守られ、祈らずとも罰は下り、祈らずとも秩序が続く。

神の名を呼ばずとも人は生き延びていけるということだ。

異教徒の力によって...


この事実は、剣で脅されるよりも深く信仰を削った。

私は、自分の内側で起きている崩れを恐れた。

神がいないのではない。

神を否定したいのでもない。

ただ、

神がこの世界の中心ではなくなっていく。

この世界が崩れさる感覚を誰も止められない。



夜、私は写本室に一人残り、文字を書いた。

指は相変わらず節くれ立ち、インクは黒く、羊皮紙は冷たい。

だが、そこに新しい重みが加わっていた。


文字が祈りではなく抵抗になり始めていた。


逃げる者は生き延びる。だが言葉を失うだろう。

私は残る。残って書く。

それだけが、私に残された信仰の形であった。



これを書き終える直前、机の前に一人の男が立った。

異教徒の役人である。

衣は簡素、腰には短い刀。

目は冷たくない。ただ、無関心である。


彼は言った。

「祈りは許されている」「だがお前の仕事は帳簿を正しく記載して提出することだ」


私は頷いた。頷いてしまった。

その瞬間、私は理解した。

信仰が崩れるとは、教会が焼かれることではない。

祈りが禁じられることでもない。

神の言葉は力を潜め、人の作った約束事が世界を支配していく...


教会は残る。だが意味は薄れる。

人々は祈る。だがその祈りはもう世界を動かせない。


そして我らは、それに慣れていく...

慣れとは滅びより恐ろしい。

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