第十話 馬蹄の響きは止み、そして...
修道士ギベールの手記
神聖ローマ帝国が屈した後、この世界に吹き荒れた嵐はおさまった。
異教徒の軍は西へも南へも進まなかった。
略奪は減り、戦の噂は遠のいた。
人々は言った。
「終わったのだ」
「これ以上は来ない」
その言葉は強く人々に受け入れられた。
帝国の都市では、役人が配置され、帳簿が整えられ、
主要道路には数十キロ間隔でジャムチ「駅(站)」が設置された。
ジャムチによってモンゴルの支配地全土が繋がれ、迅速な情報伝達と輸送、軍の移動と治安維持の体制が完成した。
帝国の民も富もモンゴルという巨大な蜘蛛の巣の網に捕らわれ自由意志を失った。
剣の音は消え、代わりに筆記の音に変わった。
新しい統治の始まりであった。
だが私は、それを「世界の終わり」と感じた。
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支配を固めるという戦
バトゥは、進軍を止めた。
それは攻勢の限界ではない。躊躇でもない。
必要な工程であった。
帝国は広い。人口も多い。
ここを不安定なまま進めば、背後で叛逆の炎が燃え上がる。
バトゥは兵を分散させ、拠点を押さえ、徴税と通信の路を整えた。
この間、多くの都市が救われた。
帝国は戦ったが、抵抗せずに門を開いた諸都市は許され、焼かれず、住民も命を保てた。
人々は安堵した。
「異教徒にも道理がある」
しかし、その道理こそが、次の征服へと効率的に道を開いたのであった。
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フランスにも、この静寂は及んだ。
純真な心の持ち主である王ルイは、この世界に訪れた静けさを神の祝福として受け取った。
彼は祈った。
「主は、これ以上の血をお望みではないのですね」
その祈りは、清らかであった。
だが、清らかさは未来を保証しない。
ルイは長らく苦しんでいた。
剣を取れば多くが死ぬ。取らねばかけがえのないものを失う。
彼は幼少から正しい王であれと教えられてきた。
だが今、正しさが二つに割れている。
兵を集めれば、モンゴルを刺激し戦の口実を作らせてしまうかもしれない。交易と交流を密にして、良き隣人としての価値を認められるのが得策だ。
しかし戦に備えなければ、楽な相手だと見透かされ、いたずらに滅びの戦を招くだけかもしれない。
彼は夜毎、礼拝堂に一人残り、燭台の火を見つめた。
「神は沈黙されている。神よ、私の、この国の選ぶべき道をお示しください...」
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きな臭い噂が戻ってきた。
今度は確かな重みを伴って。
「アーヘンでモンゴルの大軍が再編されたらしい」
「街道に兵が増えた」
フランスやブルゴーニュからアーヘンは遠くない。
だが、それでも人は言った。
「この国の話ではない」
希望は都合の良い方向を決めたがる。
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バトゥは、今、再び立ち上がった。
支配が固まると、そこに安穏とすることはなく兵を進めたのだ。
神聖ローマ帝国を呑み込んだモンゴルの今度の標的は、
かつて西フランク王国と呼ばれていた地である。
フランス王国、そして修道士ギルベールの暮らすブルゴーニュ公国。
そこには豊かな土地と、まだ壊れていない信仰と王権があった。
それは、次にモンゴルの道理に置き換えるに相応しい場所であった。
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修道士ギルベールの手記
ブルゴーニュの空は、その日も青かった。
畑葡萄は穏やかにそよぎ、修道院の鐘は鳴り、私は写本机に向かっていた。
遠くで煙が上がった。
一筋ではない。二筋、三筋。
遠くで重い物が倒れ大地を揺るがすような低い音と振動が空気をかすかに震わせた。
それは、我が町への侵攻の始まりだった。
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フランスの戦い
フランス王国軍は戦った。
諸侯も、騎士も、農民も。
もっと強力だった神聖ローマ帝国以上に抵抗した。
フランスの男達は、勇敢に、真っ直ぐに、誇り高く戦った。
しかし戦い方が噛み合わなかった。
百戦錬磨のモンゴル軍とその機動力にいいように振り回され、矢の雨に斃れた。
一部の城は門を開いた。
一部は最後まで閉ざした。
閉ざした城は焼かれた。
開いた城は残った。
その選択が互いを疑わせ、助け合いを断った。
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フランス王ルイの決断
夢見がちだった王ルイは、身に余る危機的状況に魂をすり減らし、ついに理解した。
これは、一度限りの戦ではない。
勝てる見込みは常に薄い。
そして、たとえ勝っても、敵はまた来るだろう。
彼らが呑み込んだ神聖ローマ帝国の広大な領土と人民から富を吸い上げ補給を得て...
それに対して、私たちの国は蹂躙され、削り取られ、人も糧も失われていくのみだ。
抵抗した町は、民は、焼かれ消え去る...
国土全てを焼かれてから降伏して、たとえこの私が、神聖ローマ皇帝のように王として生きるのを許されたとして何になる?
民と国土全てを犠牲にした王だけが残って...
彼は選んだ。
祖国を消滅させないために屈することを。
その決断は涙と祈りの後に下された。
彼は王冠を外さなかった。
だが、王である意味を差し出した。
王ルイが降伏を決断した時、それを知ったマルグリット王妃と女官達そしてまだ幼い王女は声にならない悲鳴を上げた。
国が破れるということ...それは我が身が恥辱にまみれた悲惨な境遇に堕とされることと直感したからだ。
人間は強過ぎる恐怖には声が出なくなるものである。
ルイ王は神の御心を想うことには熱心であったが、その時は女性の運命には心が及ばなかった。
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修道士ギベールの手記
人々は逃げた。北へ、南へ。
私は修道院に残った。
我らの周囲にも異国の兵が現れ始めた。
ブルゴーニュ街道沿いの村々、この修道院があるニュイ=サン=ジョルジュの町にも。
この町は抵抗することなく敵に運命をゆだねた。
荒々しい異族たちが侵入して、修道院の庭は踏み荒らされた。
丹精込めて育てたワインは全て奪われた。
しかし我々は殺されなかった。
ブルゴーニュは、フランスは、まだ燃え尽きてはいない。
それでも何かが終わった。
私は確信している。
この瞬間に信仰の崩壊は始まったのだ。
戦いが終わり、王が残り、教会は立っている。
今までのままでありながら、世界は変わってしまった。
目に見えない深い敗北の始まりである。




