第四章:引き裂かれた名前
「風が少し冷たくなってきたね。陽菜、もう一枚羽織るかい?」
おばあちゃんの嘉代子は、陽菜の肩を優しく撫でた。夜空の北極星は変わらずに輝いているが、語られる物語は、神様にとって一番切なく、そして激動の時代へと差し掛かっていた。
「さあ、お侍さんの黄金時代が終わって、日本が『明治』という新しい国に生まれ変わろうとしていた頃のお話だよ。
それはね、千年以上も続いてきた妙見さまの名前が、無理やり引き裂かれてしまった悲しい時代でもあったんだ」
第四章:引き裂かれた名前
今から百五十年ほど前、新しくできた明治政府はね、
『神様と仏様をはっきりと分けなさい』
という厳しい命令を出したんだ。
これを『神仏分離』と言うんだよ 。
それまではね、お寺の中に神様がいたり、神社の中に仏様がいたりするのが当たり前だった。
妙見さまも、『菩薩』という仏教の名前を持ちながら、神社でもお寺でも大切にされていたんだね。
でも、政府は『菩薩』という言葉は仏教のものだから、神社で使ってはいけないと言い出したんだ 。
「えっ、名前を変えなきゃいけなかったの? ずっとその名前で呼ばれてきたのに?」
「そうなんだよ。特にこの千葉の妙見宮や、福島の相馬にある妙見さまの社は、とても困ってしまった。長年親しまれてきた『妙見』という看板を下ろして、神社として生き残るために、新しい『神様としての名前』を探さなければならなかったんだ」
そこで選ばれたのが、日本神話の最初に登場する『天之御中主神』という神様だったんだよ 。
「アメノ……ミナカヌシ?」
「難しい名前だよね。でも、これにはちゃんとした理由があったんだ。この神様は、天のど真ん中に座って宇宙を支配する、一番偉い根源の神様だとされていた。一方で妙見さまも、天の軸である北極星の神様だろう? 『宇宙の真ん中にいる』という共通点があるから、今日からは妙見菩薩ではなく、天之御中主神と呼びなさい、と決められたんだね」
嘉代子は溜息をつきながら、手元の湯呑みを回した。
「この命令のせいで、全国の『妙見宮』は一斉に『神社』へと姿を変えた。
私たちがよく知る千葉神社も、もともとはお寺の要素が強い場所だったけれど、この時に『天之御中主神』を祀る神社になったんだよ。長年守られてきた妙見さまの仏像が、こっそりお寺に運び出されたり、壊されそうになったりしたこともあったというわ」
「神様が、お家を追い出されちゃったみたい……」
陽菜の悲しそうな声に、嘉代子は少しだけ微笑んで首を振った。
「でもね、陽菜。ここからが日本人のたくましいところなんだよ。お役人が『今日からはアメノミナカヌシノカミと呼びなさい』と言っても、村の人たちは心の中ではずっと『妙見さん』と呼び続けていたんだ。形の上では神社になっても、星を想う心までは、政府も分けることはできなかったのね」
嘉代子は空を仰ぎ、最も明るく輝く一点を見つめた。
「名前が二つに引き裂かれても、あの星は一つ。人々は、新しい神様の名前を隠れ蓑にして、大切に妙見さまへの祈りを受け継いできたんだよ。そしてね……そんな風に世の中がひっくり返るような時代を、自分の絵と信仰だけで突き進んだ、とんでもないおじいさんがいたんだ」
「それって、さっき言ってた……」
「そう。江戸の天才絵師、葛飾北斎さ。
次は、彼がどうしてこれほどまでに妙見さまに夢中になったのか、その不思議な縁についてお話ししようかね」
(第四章 完)




