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鏡淵の調律 ―揃わないまま、君と生きる―  作者: ちとせ鶫
第8章 崩壊の臨界(後半)

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第81話 加害者意識の芽生え

 七月の深夜だった。


 夕奈が眠っていた。


 同じ部屋ではなかった。でも廊下を挟んだ向こうで、夕奈が眠っていることが分かった。気配で分かった。気配で分かるということが、もう長いことそうだった。


 晴斗は布団の中で目を開けていた。


     * * *


 「俺が、夕奈をこうしてしまったのか」


 その問いが来た夜は何度かあった。


 来るたびに、打ち消してきた。打ち消す言葉は、毎回同じだった。「そうじゃない」「俺のせいではない」「こうなったのは場所のせいだ」「恵子さんのことがあったから」——そういう言葉が来て、問いを押し返していた。


 今夜は来なかった。


 打ち消す言葉が来なかった。来るべき場所に、何もなかった。


     * * *


 考え始めた。


 鏡淵に来てから、夕奈は変わった。変わり始めたのは中学に入ってからだった。中学に入って、晴斗と同じ学校になってから、夕奈は晴斗の隣にいることを選び始めた。晴斗が選ばせたのか、夕奈が自分で選んだのか——分からなかった。分からないまま、そのことを確認しなかった。確認しなかったのは、確認したくなかったからかもしれなかった。


 もし東京にいたままだったら。


 夕奈は別の学校に通っていた。別の友達がいた。晴斗の隣以外の場所が、たくさんあった。


 もし距離を保っていたら。


 「お兄ちゃんのとこに来たくなった」という夕奈の言葉が来た。来てから、去らなかった。距離を保っていたら、あの言葉は来なかったかもしれなかった。でも——


 突き放せばよかったのか。


 その問いに対して、「そうだ」とは言えなかった。突き放した夕奈を想像しようとして、できなかった。できないことが、突き放すことへの拒否だった。拒否するのは晴斗の都合だった。晴斗の都合で突き放せなかったとしたら——


   * * *


 答えが出なかった。

 答えが出ない、ということは、「俺が悪い」を否定できない、ということだった。


 その論理が正しいかどうかは、分からなかった。正しくないかもしれなかった。でも今夜の晴斗には、正しくないと言える言葉が来なかった。来ない言葉で否定することはできなかった。


 だから否定できなかった。

 否定できなかったから、答えが出なかった。


 答えが出なかったことが、答えだった。


     * * *


 廊下の向こうで、夕奈が寝返りを打つ音がした。

 布団の擦れる音だった。それだけだった。何か言ったわけではなかった。


 晴斗はその音を聞いた。

 聞いた後、目を閉じた。


 目を閉じたまま、「俺が悪い」という言葉が来るかどうかを待った。来なかった。でも「俺が悪くない」という言葉も来なかった。どちらも来ないまま、暗闇があった。


 暗闇の中に、夕奈の寝返りの音が残っていた。


 それが、今夜の意識の最後だった。

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