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鏡淵の調律 ―揃わないまま、君と生きる―  作者: ちとせ鶫
第7章 形のない喪失

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第71話 届かない声

 冬の光は低く、白い。冬麗の日差し。


 集まりは少なかった。親族という言葉の意味が曖昧なまま呼ばれた人たちが、玄関から奥の部屋まで、数えると十二人いた。晴斗は数えてしまった自分に気づいてやめた。


 何の集まりかは、誰も言わなかった。


 焼香という言葉は出た。花は白かった。宗一は書斎から出てきたときと同じシャツを着ていて、ボタンは今日は揃っていた。誰かが直したのか、本人が直したのかは分からなかった。


 夕奈は晴斗の隣に立っていた。


 ずっとそこにいた。移動するときも、向きを変えるときも、半歩遅れてついてきた。袖を掴んでいるわけではなかった。でも掴んでいないことが、むしろ晴斗には重かった。手を出せば掴む。晴斗がいなくなれば——そこで思考が止まった。


 泣かなかった。


 夕奈は一度も泣かなかった。目が赤くなるわけでも、肩が揺れるわけでもなかった。ただ立っていた。白い花を見ていた。焼香の煙が横に流れるのを見ていた。


 泣かないことがおかしいとは思わなかった。おかしいと思わない自分が、もうどこかで何かに慣れてしまっていることを晴斗は感じた。


     * * *


 ほのかは、少し離れたところに立っていた。


 家族でも親族でもなかったから、端の方にいた。それが正しい場所だということは分かっていた。分かっていたから、端にいた。


 白い花が、前の方に並んでいた。


 ほのかは花を見ていた。花の向こうに何があるかを、ちゃんと見ていた。見ないようにしようとは思わなかった。見ることが、今の自分にできる唯一の誠実さだと思っていた。


 何の集まりかは、言葉にされなかった。


 大人たちが香を焚いて、順番に手を合わせた。宗一が椅子に座ったまま動かなかった。誰も「立ってください」とは言わなかった。立てない人間に「立て」とは言わないというのが、この場の暗黙のルールだった。


 夕莉は宗一の斜め後ろに立っていた。


 少し間を置いて、晴斗がいた。夕奈が、晴斗のすぐ隣にいた。


 ほのかは三人を見た。


 夕奈の横顔を見た。


 泣いていなかった。


 泣いていないことを、ほのかは見た。見てしまったと思わなかった。泣いていない人間の横顔が、どういう顔かということを、ほのかはこのとき初めて正確に知った。空っぽではなかった。遠くもなかった。ただ、泣くということが、この場の出来事として処理されていなかった。そういう顔だった。


 一週間前、踊り場で言葉が届かなかったことを思い出した。


 「もし、お兄ちゃんがいなくなったら」という仮定を、夕奈が「そんなこと、起きない」と二度言った。一度目と二度目の間に、質量の差はなかった。どちらも同じ重さで、同じ方向を向いていた。


 ほのかが持っていった言葉は、届く前に存在しなかったことにされた。そう整理した。跳ね返されたのとも、吸収されたのとも違う。ほのかが言葉を差し出した場所に、言葉が着地できる地面がなかった。


 そのことを、踊り場で一人になってから手帳に書いた。


 字が少し崩れた。


 恵子さんが見ていてくれていた感触が、あの踊り場にはあった。一階の廊下から聞こえる気配。遠すぎず、近すぎず。そこにあった。


 その視線が、もうない。

 ほのかはそれを、今日初めて確認した。


     * * *


 焼香の順番が回ってきた。

 ほのかは焼香台の前に進んだ。香を一度だけ焚いた。

 手を合わせ、目を閉じた。


 何かを言おうとして、言葉が来なかった。祈るということの形を知っていたが、中身の言葉が来なかった。来ないなら来ないままでいいと思って、ただ手を合わせていた。


 目を開けた。

 白い花がそこにあった。


 ほのかは元の場所に戻った。端の方に。


   * * *


 ささやかなこの集まりが終わりを告げた。


 人が少しずつ帰り始めた。玄関で小さい声で何かを言い合って、出ていった。宗一は最後まで椅子に座ったまま、送り出す側に回らなかった。夕莉が代わりに玄関の方に立っていた。夕奈は晴斗の隣から動かなかった。


 ほのかは晴斗に近づこうとして、近づけなかった。


 夕奈が隣にいたからではなかった。晴斗に近づけない理由が、夕奈ではなかった。


 晴斗の顔が——何かを整理しようとして、整理できていない顔だった。今そこに言葉を差し込んでも、言葉が届く場所がない。そういう顔だった。


 ほのかはよく分かった。

 自分が踊り場でやったことと同じことを、今ここでするつもりはなかった。


     * * *


 帰り道、一人だった。


 十二月の夕方の光は低くて、影が長かった。


 手帳を出して、電柱の脇に止まった。

 字が崩れないように止まる場所を選ぶ癖は、いつの間にかついていた。


 書こうとして、ペンを持ったまま止まった。

 何を書けばいいか分からなかった。

 書けることと書くべきことが、今日は一致しなかった。

 ペンを持ったまま、空を見た。


 「ごめんね」と踊り場で言ったことを思い出した。謝る必要はなかった。

 でも他に言える言葉がなかった。


 今日も、他に言える言葉がなかった。

 ほのかは手帳を閉じた。ペンを仕舞った。


 歩き始めた。

 影が長いまま、前に伸びていた。

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