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鏡淵の調律 ―揃わないまま、君と生きる―  作者: ちとせ鶫
序章:緋色の残響 ―リボンと消失―

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第4話 神代の重力

学園の外――それは「外側」ではなく、閉じた世界のもう一つの顔です。

この街の“正常さ”が、どこから来ているのか。少しずつ見えてきます。

 校門を抜けた瞬間、空の色が変わった。


 鏡淵町の夕焼けは、いつもこうだ。ただの橙ではなく、粘度のある緋色が視界の表面に貼りついてくるような、重たい赤。


 晴斗の腕には、夕奈が当然のように絡みついている。

 その重さは、体重ではない。

 もっと別の何か——離れるという選択肢を、じわじわと現実から削っていくような、逃げ場のない密着感。


 (……東京では、こんなじゃなかった)


 ふと思う。

 東京にいた頃の夕奈は、もっと軽かった。

 隣を歩いていても、ちゃんと「別々の人間」だという感覚があった。

 それがいつから——こんなに、重くなったんだろう。

 

「ねえ、お兄ちゃん」

 夕奈の声は、やけに軽い。

 「今日の夕飯、何かな。お父さん遅いって言ってたし、モール寄ってこっか」


 「……ああ」

 晴斗は前だけを見る。


 街の中心部に、神代重工の研究棟が白く立っている。窓のない塔。夕焼けの光を反射せず、ただ吸収するだけの外壁。

 あの塔だけが、この街の色から切り離されているように見える。

 

 父が、あそこで何をしているのか。

 YU-NAという文字が、頭をよぎる。

 考えかけて——やめる。

 

 そのとき。

 低い音がした。

 耳ではなく、体の内側で聞く音。神代重工の塔の上層部から、内臓に触れるような振動が伝わってくる。


 一拍遅れて、空気が震える。

 夕奈のリボンが、ふわりと浮いた。


 風はない。

 それでも、蝶結びは形を崩し、鋭い角度を持った別の構造へと変形する。柔らかいはずの布が、硬質な「意志」を持ったかのように空中で静止する。


 「……夕奈、リボンが」


 「え? なに?」

 夕奈が顔を上げる。リボンを見ない。晴斗の顔だけを見つめる。

 「顔色悪いよ、お兄ちゃん」

 一歩、距離が詰まる。

 「大丈夫だよ......」

 その一言が、安心させるための言葉に聞こえなかった。

 「おうちに帰れば、全部元通りになるから」


 ——元通り。

 その言葉が、胸の奥に引っかかる。


 元通り、とは——何が。

 誰にとっての「正常」に、戻るのか。


 晴斗は答えを出せないまま、夕奈に引かれるまま歩き出す。

 足音が重なる。規則正しいリズム。

 

 けれどその余韻だけが、半歩遅れてついてくる。

 背後から。

 まるで、もう一組の足音が同じ軌道をなぞっているかのように。

 

 振り返らない。

 振り返れば——それが「いる」と確定してしまう気がして。

 

 神代重工の影が、ゆっくりと二人を飲み込んでいく。

 その瞬間。

 

 この世界を構成していた最初のリズムが、どこかで静かに——切断された。


漠然とした違和感は、今この瞬間も、逃れようのない「仕組み」として静かに動き続けています。

それは、まだ名前を持たないまま、確実に世界を書き換えつつあります。

今回提示された異常が、どこへ繋がっていくのか。


次話は、より直接的な「観測者」との接触へ。

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