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鏡淵の調律 ―揃わないまま、君と生きる―  作者: ちとせ鶫
第3章:神代学園都市

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第32話 ずれを選べない

違和感に気づいたとき、人はそれを修正しようとする。

けれど――もしも、その“ずれ”すら選べないとしたら。

整っている世界の中で、逸脱はどこまで許されるのか。

 その日の帰り道は、どこか重たかった。

 空模様が崩れているわけでもなく、風が強いわけでもない。

 それでも、周囲の音がわずかに沈んで聞こえる。

 四人で並んで歩く形は変わらず、

 距離も歩調も自然に揃っているのに、

 その整い方が、かえって息苦しさを増していた。


 ほのかは、意識して歩幅を乱してみる。

 ほんの少し速く、あるいは遅く。


 ――続かない。


 すぐに元のリズムへ引き戻される。

 誰かが合わせている様子はない。

 それでも、気づけば同じ位置に戻っている。


 その繰り返しが、じわじわと苛立ちを積もらせる。


 会話はいつも通り続いている。

 夕奈が話し、晴斗が応じる。

 そこに割り込む余地はあるはずなのに、

 声を出そうとするたび、

 その隙間だけが消えていく。


 遅れているのか。

 それとも、先に流れが決まっているのか。


 判断がつかないまま、機会だけが過ぎていく。


 ふと、足を止めた。

 今度は意図的に。


 流れから外れるために、その場に立つ。


 三人は数歩進んでから止まり、振り返る。

 そのタイミングも、

 振り向く角度も、

 ほとんど同じだった。


「どうしたの?」


 夕奈の声。

 同じ言葉。

 同じ調子。

 同じ距離。


 繰り返されるそれに、胸の奥がざわつく。


「……なんでもない」


 反射的に答える。

 本当は何か言うべきだと分かっている。

 ここで説明できれば、何かが変わる気がする。

 だが、その“説明”がどこにも見つからない。


 三人はそれ以上追及せず、また歩き出す。

 ほのかも遅れて動く。


 一歩が、重い。


 わずかに開いた距離は、すぐに埋まる。

 意識しなくても元に戻る。その事実が、逆に強く意識される。


 家に着いても、その感覚は消えなかった。

 リビングでは、すでに夕食の準備が始まっている。

 昨日と同じ場所に同じものが置かれ、同じ順序で手が動いている。


 違う一日を過ごしたはずなのに、結果が同じ形に収束している。


 ほのかは立ち止まる。

 キッチンに入る手前で、足が止まる。


 中では夕奈と晴斗が並んでいる。

 近すぎず、遠すぎず――“ちょうどいい距離”。


 その“ちょうどよさ”が、固定されているように見えた。


「ほのか、どうしたんだ?」


 晴斗が振り向く。


「……入ってええ?」


 自分でも意味の分からない確認だった。

 普段なら、そんなことを聞く必要はない。


「なに言ってんだよ」


 軽く笑われる。

 いつも通りの反応。違和感はない。


 それでも、その一言で何かが確定してしまう気がして、足が動かない。


 夕奈がこちらを見る。

 視線が合う。


 その瞬間、空気がわずかに固まった――気がした。


「入ればいいでしょ」


 柔らかな声。

 拒まれているわけではない。


 それでも、その言葉を境に、自分の“位置”が決められてしまうような感覚があった。


 ほのかは一歩踏み出す。

 床を踏む感触が、どこか遠い。

 体がわずかに遅れてついてくるような、不安定さが残る。


 キッチンに入ると、立つ場所が自然に定まる。

 手を伸ばせば必要なものに届き、次に何をすればいいかも分かる。


 考える必要がない。


 その“分かってしまう”感覚が、怖い。


 作業が進む。

 声を掛けなくても動きが噛み合う。


 夕奈が鍋を混ぜる。

 そのタイミングで晴斗が皿を出し、ほのかが受け取る。


 ずれがない。


 正確すぎる。


 ふと、手が止まる。


 自分だけが、一拍遅れる。


 そのわずかなズレが、異様に大きく感じられる。


 夕奈がこちらを見る。

 何も言わない。


 ただ、見ている。


 そこにあるのは評価でも疑問でもない。

 “確認”だけ。


 耐えきれず、視線を逸らす。


 胸の奥で、何かが軋む。


 このまま続ければ、どこかで完全に外れる。

 そして、一度外れたら戻れない。


 そんな予感だけが、はっきりと残る。


 夕食も、昨日と同じように進む。

 言葉の順番も、笑いの位置も、ほとんど変わらない。


 ほのかはほとんど口を開かなかった。

 入る余地がないわけではない。

 ただ、入った瞬間に何かが壊れる気がして、言葉を選べない。


 食事が終わり、片付けが始まる。

 水の流れる音。食器が重なる音。すべてが一定のリズムで続く。


 ふと、手を止める。


 指先から水滴が落ちる。

 その音だけが、やけに大きく響いた。


 周囲は変わらない。

 自分だけが外れている。


 はっきりと分かる。


 それでも――


 外れたままでいることができない。


 気づけば、また手が動いている。

 同じリズムに戻っている。


 その事実に、底のない恐怖が込み上げる。


 自分で外れたはずなのに、戻される。

 戻ってしまう。


 繰り返すうちに、どこまでが自分の意思なのか分からなくなる。


 視線を上げる。


 夕奈が、こちらを見ている。


 静かに。

 まっすぐに。


 何も言わない。


 ただ、そこにいる。


 その存在が、やけに強い。


 息が、わずかに詰まる。


 ――このままでは、まずい。


 理由は分からない。

 説明もできない。


 それでも。


 何かを変えなければならない。


 その感覚だけが、確かに残った。

今回のポイントは、「ずれようとしても戻される」という感覚です。

違和感に気づいたあと、人は本来なら調整できるはずですが、この環境ではそれすら許されない。


つまり、問題は“整いすぎていること”ではなく、

そこから逸脱できないことにあります。


そして、ほのかはついにそれを直感的に理解し始めています。

ただし――まだ、言葉にはできない。


この「言葉にできない理解」が、次の段階へ繋がっていきます。

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