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鏡淵の調律 ―揃わないまま、君と生きる―  作者: ちとせ鶫
第3章:神代学園都市

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第27話:揃いすぎる朝

新しい生活の最初の朝は、少しのズレやぎこちなさを伴うものです。

けれど、この朝にはそれがありません。


むしろ逆に――

すべてが“揃いすぎている”。


違和感は確かに存在するのに、どこにも引っかからない。

その状態こそが、いちばん静かで、いちばん厄介な異常です。

 最初の登校日は、驚くほどあっさりと始まった。


 目覚ましが鳴る前に、目が覚める。

 意識が浮上するのと同時に、

 体はすでに動く準備を終えていた。


 眠気は残っていない。

 起きるべき時間に、

 起きるべき状態で目が覚める。


 そのことに、わずかな違和感があった。


 普段なら、あと数分は布団の中で粘るはずだ。

 そういう癖が、身体に染みついている。


 それが、最初から存在しなかったみたいに消えている。


 考える前に、体が動く。

 洗面所へ行き、顔を洗い、歯を磨く。


 動作に迷いがない。

 手順を確認する必要もない。


 すべてが“正しい順番”で進んでいく。


 鏡を見る。


 映っているのは、自分だ。


 問題はない。


 ただ、ほんの一瞬だけ。


 視線を上げるタイミングが、

 ぴたりと一致しすぎている気がした。


 気にするほどのことじゃない。

 そう判断できる。


 リビングに入ると、すでに朝食の準備が整っていた。

 恵子がキッチンに立ち、

 フライパンの音が一定のリズムで続いている。


 油の跳ねる音まで、妙に規則的だった。


「おはよう」


 振り返る笑顔は、いつも通り。


「おはよう」


 言葉を返す。


 その直後。


「おはよう」


 もう一つの声が、重なる。


 夕奈だった。


 タイミングが同じだった。

 一拍のずれもない。


 そのことに気づいた瞬間、ほんのわずかに引っかかる。


 けれど、それを言葉にする理由はない。


「ほのかは?」

「もう来てるで」


 声のほうへ視線を向けると、

 ダイニングの椅子にすでに座っている。

 制服姿で、机に肘をつきながらこちらを見ていた。


「早くない?」

「遅いんやって」


 即答だった。


 間がない。

 言葉が出るのが、ほんの少し早い。


 昨日感じた感覚が、静かに重なる。


 その隣で、夕莉が座っている。

 食器の位置、姿勢、視線の角度。


 すべてがきれいに整っている。


 全体が、揃っている。


 会話の流れも、動きも、配置も。


 誰が何をするか。

 どこにいるか。

 どのタイミングで言葉を出すか。


 すべてが、最初から決まっているみたいに進む。


 違和感はない。


 むしろ、理想的ですらある。


 だからこそ――

 どこが変なのかが分からない。


 朝食を終え、家を出る。


 外の空気は澄んでいて、温度も心地いい。

 道幅は広く、歩道と車道はきれいに分けられている。


 信号の間隔も、

 歩く速度に合わせて設計されているみたいに無駄がない。


 歩きながら、ふと気づく。


 足音が揃っている。


 四人分の靴音が、同じリズムで響いている。


 速さも、間隔も、完全に一致している。


 誰かが合わせているわけではない。


 それでも、ずれない。


 ずれようとしない。


 そのことに気づいた瞬間、意識がそこに引っかかる。


 少しだけ歩調を変えてみる。


 ほんのわずかに。


 それでも。


 すぐに戻る。


 何事もなかったかのように、同じリズムへ収束する。


「どうしたん?」


 ほのかが横から覗き込む。


「いや、なんでもない」


 答えながら、自分の声の位置を確かめる。


 ちゃんと“今”にある。

 遅れていない。

 先に出てもいない。


 問題はない。


 学校が見えてくる。


 新しい校舎は朝の光を受け、均一に反射している。

 輪郭がやけにはっきりと浮かび上がる。


 ガラスはどこまでも滑らかで、歪みも曇りも見当たらない。


 その整い方は、美しいというより。


 現実感を少しだけ削いでいるようだった。


 正門をくぐる。


 同じ制服の生徒たちが行き交っている。

 話し声、笑い声、靴音。


 本来なら混ざり合って雑然とするはずの音が、ぶつからない。


 それぞれが適切な距離を保ったまま、配置されている。


 混雑しているのに、ぶつからない。


 流れに身を任せるだけで、自然と前に進める。


 その“流れ”が、誰にも指示されていないのに、共有されている。


 教室に入る。


 空気は外とほとんど変わらない。

 ざわつきはある。


 けれど、それすらも一定の範囲に収まっている。


 席に着く。


 周囲を見渡す。


 すでに配置が完成している。


 誰がどこにいるか。

 どこが誰の場所か。


 最初から決まっていたみたいに、全員が収まっている。


 担任が入ってくる。


 挨拶が始まる。


 声の大きさ。

 間の取り方。

 反応のタイミング。


 すべてが無理なく繋がる。


 自己紹介も同じだった。


 名前を呼ばれ、立ち、言葉を返す。


 その流れに、引っかかりがない。


 誰も噛まない。

 誰も変な間を作らない。

 笑いも、起きるべき場所でしか起きない。


 すべてが“ちょうどいい位置”に収まる。


 うまくいきすぎている。


 その感覚が、わずかに浮かぶ。


 隣を見る。


 夕奈がいる。


 距離も角度も自然。

 違和感はない。


 それでも、その存在は――


 最初からそこにあったもののように馴染みきっている。


 ほんのわずかに、引っかかる。


 その向こうで、ほのかが眉を寄せていた。


 何かを言おうとしている。


 けれど、言わない。


 視線を逸らす。


 その動きもまた、流れの中に吸収されていく。


 夕莉は黒板を見ている。


 話を聞いているようで、違う。


 教室全体を見ている。


 人の位置。

 声の重なり。

 動きの順序。


 すべてを同時に把握しようとしている視線。


 違和感はある。


 確かに、ある。


 けれど、それがどこにあるのかを指し示せない。


 問題として取り出せない。


 考えようとすると、曖昧に溶ける。


 だから。


 誰も止めない。


 止める理由が見つからない。


 すべては正しく進んでいる。


 その正しさが、どこから来ているのかだけが――


 分からなかった。

ズレがない世界は、一見すると理想的です。

けれど、ズレがないということは、「調整の余地がない」ということでもあります。


この朝に起きているのは、破綻ではありません。

むしろその逆――完成に近い状態です。


だからこそ、崩れるときは静かに、そして一気に訪れます。

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