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鏡淵の調律 ―揃わないまま、君と生きる―  作者: ちとせ鶫
第1章:あたたかな不協和音

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第12話:家の話

 「家族になる」という言葉は、あたたかい響きをしているのに、ときどき少しだけ怖い。


 生活が混ざること。

 距離が近づくこと。

 “他人”だった誰かが、“当たり前”になっていくこと。


 今回の話は、その始まりの夜です。


 まだ何も起きていません。

 けれど、静かなリビングの空気の中で、これから変わっていくものだけが、ゆっくり形を持ち始めています。


 晴斗。

 宗一。

 そして、その場に自然に居続けるほのか。


 日常の延長みたいな会話の中に混ざる、わずかな違和感を感じてもらえたら嬉しいです。

 その話が出たのは、夕方のリビングだった。


 学校から帰って、

 いつも通りランドセルを置き、

 ほのかと一緒に台所で簡単な夕飯の支度をして、

 それを食べ終えたあとの時間。


 親同士で行き来するのが当たり前になって久しい。

 宗一もほのかの両親も帰りが遅いことが多く、

 気づけばこの家で二人で過ごす時間のほうが長くなっていた。


「味、薄くない?」

「ちょうどいいって」

「ほんまに?」

「ほんとに」


 そんなやり取りも、もう慣れたものだった。

 冷蔵庫の中身の位置も、

 使う皿も、

 調味料の場所も、

 いちいち確認しなくても分かる。

 ほのかが先に手を動かし、晴斗がそれに合わせる。

 その流れが自然にできあがっている。

 

 食器を片付けて、リビングに戻る。

 テレビはつけっぱなしで、特に見ているわけでもない番組が流れている。

 ソファに腰を下ろしたところで、キッチンのほうから声がした。


「晴斗」

 宗一だった。いつの間にか帰ってきていたらしい。

「ちょっといいか」


 その声に、ほのかも顔を上げる。

 いつもと同じ空気の中に、ほんのわずかに違う緊張が混じる。


「なに」

「少し、話がある」


 軽い調子ではない。それだけで分かる。

 晴斗はソファに座り直し、宗一も向かいに腰を下ろす。

 ほのかは少しだけ位置をずらして——自然と、その場に残った。

 逃げる理由はない。ここにいるのは、いつものことだから。


「その……再婚することになった」


 言い慣れていない言葉を選ぶように、少し間を置いてから宗一が言う。

 再婚。その単語が、少し遅れて意味を持つ。


「……再婚?」

「ああ」


 宗一は一度だけ視線を落とす。

 何かを確かめるように。それから、顔を上げる。


「恵子さんだ」


 名前を聞いた瞬間、顔が浮かぶ。

 何度か会ったことがある。

 優しい人という印象がある。

 嫌いではない。


「……そっか」

 それだけ言う。自分でも驚くくらい、あっさりした返事だった。


「それで」

 宗一が続ける。

「向こうにも子どもがいるのは知ってるよな」

「うん」

「一緒に住むことになる」


 言葉が、ゆっくりと落ちてくる。

 夕奈と、夕莉が、この家に来る。


「……そっか」

 同じ言葉をもう一度繰り返す。今度は少しだけ重い。

「急な話で悪いけど、来週には引っ越してくる予定だ」


 来週。思っていたよりずっと近い。


「部屋のこともあるし、少し慌ただしくなると思う」

「別に、いいけど」

 自然とそう答えていた。

「そうか」


 宗一は小さく頷く。

 その表情が、少しだけ緩む。

 でも、完全には緩みきらない。

 何か別のものが、その奥に残っているような顔だった。


「……晴斗」

 もう一度、名前を呼ぶ。

「なに」

「夕奈のこと、頼む」


 夕莉ではなく、夕奈。

 名前を選んで言ったことが、少しだけ引っかかった。

 訊こうとして——宗一の表情が、それを遮るように静かに閉じた。

 訊けなかった。


 そのやり取りを、ほのかは黙って聞いていた。

 口を挟むことはない。

 ただ、その場にいることが当たり前みたいに、そこに座っている。

 

 けれど。

 今の話は、本当は自分には関係のないもののはずだった。

 家族の話だから。


 それでも、聞いている。

 ここにいる。

 それが普通だと思っていた。思っていたはずなのに。


「ほのかちゃんも」

 宗一がふと視線を向ける。

「びっくりしたよな」

「あ、うん」

 少しだけ遅れて返事をする。

「まあ……でも、ええと思うよ。にぎやかになるし」


 言葉は自然に出てくる。

 間違ってはいない。

 そう思っている部分もある。


 でも。

 自分の声が、少しだけ——どこか別の場所から聞こえた気がした。


 来週には、この家に人が増える。

 その事実だけが、静かに形を持ち始めていた。

 今回は、「関係の変化」の回でした。


 再婚の話そのものは珍しいものではありません。

 でも、この作品では“家族になる”こと自体が、少しずつ世界を書き換えていく行為として描かれています。


 特に意識したのは、「ほのかがそこに居るのが自然すぎる」という感覚です。


 台所に立つことも、食器の場所を知っていることも、宗一との会話に混ざることも、全部当たり前。

 けれど本来、そこは“他人の家族の話”のはずなんですよね。


 その境界が曖昧なまま成立している空気を、静かに積み重ねています。


 そして最後の、「自分の声が別の場所から聞こえた気がした」という感覚。


 世界のズレは、まず感情から始まるのかもしれません。

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