第11話 同じはずのもの
「最初からそうだった」
その言葉は、ときどき何より残酷です。
人の記憶は曖昧で、距離感や空気みたいなものほど、あとから簡単に塗り替わってしまう。
だからこそ、“自分だけが違和感を覚えている”状況は、とても静かに心を削っていくのだと思います。
今回は、ほのかの中に積もり始めた「置いていかれる感覚」の話です。
派手な異変はありません。
でも、たぶんこういう“説明できないズレ”が、一番怖い。
よろしくお願いします。
その違和感は、消えなかった。
次の日も、
そのまた次の日も、
四人で帰る時間は変わらず続いていた。
会話も、
距離も、
やっていることも、
どこを切り取ってもこれまでと同じはずなのに、
ほのかの中に残った小さな棘だけが、どうしても抜けなかった。
考えすぎだと何度も自分に言い聞かせた。
目に見えておかしいことなんて、何も起きていない。
それなのに、
自分だけが取り残されているような感覚が、
じわじわと広がっていく。
その日の帰り道、商店街の入口で信号待ちをしているときだった。
赤信号の前で四人並んで立ち止まり、
特に意味もなく会話を続けている、ただそれだけの時間。
「なあ晴くん、この前のやつどうなったん」
「どれ」
「図工のやつ。あの変なやつ」
「変じゃねえし」
「変やったやろ。あれ何作ってたん」
「ロボット」
「どこがやねん」
軽口が続く。
夕奈が楽しそうに笑い、夕莉はそのやり取りを静かに見ている。
何もおかしくない。全部、いつも通りの光景だった。
――そのはずなのに。
気づいたら、口が動いていた。
「なあ」
自分でも、止める前に。
「それ、いつからなん?」
一瞬、空気が止まる。
「え?」
晴斗が聞き返す。
夕奈も、不思議そうにこちらを見る。
夕莉だけが、わずかに目を細めた。
引き返せるはずだった。
今なら、適当にごまかして、いつもの流れに戻せる。
でも、胸の奥に引っかかっていたものが、そこで止まらなかった。
「その……距離やんか」
視線で示す。夕奈の手と、晴斗の袖。
「最初から、そんなやったっけ?」
沈黙。ほんの数秒のはずなのに、やけに長く感じる。
「最初からだろ」
晴斗が答える。あっさりと。迷いなく。
「そうだよ」
少し遅れて、夕奈が続ける。首をかしげながら、不思議そうに。「なぜそんなことを聞くの?」という顔で。
「だって、お兄ちゃんだし」
その言葉は、何の違和感もなくそこに置かれる。
理屈としては、おかしくない。
おかしくない、はずなのに。
ほのかは、言葉を失う。
「……そうやったっけ」
小さく呟く。否定できない。でも、納得もできない。
記憶を探ろうとすると、うまく掴めない。
昨日のことのはずなのに、輪郭だけがぼやけていて、確信が持てない。
「ほのか、どうかした?」
晴斗が、少しだけ心配そうに言う。
その声は普通だった。
いつもと同じ。何も変わっていない。
だからこそ。
自分の感覚だけが、正しくないような気がしてくる。
「……なんでもない」
笑って、流す。
そのとき、信号が青に変わる。
人の流れが動き出し、四人もそれに押されるように歩き出す。
会話は、自然に続いていく。
何もなかったみたいに。
ほのかも、その流れに乗る。
声を出す。
笑う。
返事をする。
でも。
胸の奥に残った問いだけが、答えを持たないまま、そこにある。
言葉にしてしまった。
なのに、何も変わらなかった。
それが——何も変わらなかったことが、一番怖かった。
横断歩道の白線を踏みながら、ほのかはふと足元を見る。
規則正しく並んだ白と黒の繰り返し。
その上を歩く足音が、ひとつ、ふたつ、みっつ——
四つ。
ちゃんと揃っている。
揃っている、はずなのに。
一拍遅れて。
もうひとつ、音が重なった気がした。
振り返ることは、最後までなかった。
今回の話では、「何も起きていないのに怖い」を意識して書いています。
夕奈と晴斗の距離は、客観的に見れば不自然ではありません。
けれど、ほのかだけがそこに“妙な自然さ”を感じてしまう。
そして、その違和感を口にしても、世界は何も変わらない。
この「変化がないこと」そのものが恐怖として返ってくる感覚は、本作の根幹に近い部分でもあります。
また、横断歩道の場面では、“揃っている音”の中に混ざる一拍遅れを入れました。
世界は綺麗に整っている。
でも、その均整の奥で、何かだけがズレ続けている。
そんな感覚を少しでも味わってもらえたなら嬉しいです。




