第31話「対峙」
足が地面を叩いた。
走る。
走る。
走る。
Aチーム陣地の守備二名が視界に入った。
一人が南を向いている。
別動隊の足音を聞いている。
もう一人が、こちらを見た。
霞んだ視界の奥に、守備の男が驚愕の表情とともに構える姿が映った。
踏み込みは左足始動、軌道は右袈裟。
動きは計算できた。
計算は頭に入った。
模擬剣を抜いた。
普段の東方の片刃とは異なる、両刃の仕立ての模擬剣。
一人目の守備は左足から踏み込んでくる。
計算通り。
右袈裟。
計算通り。
レイは半歩だけ左に動いた。
半歩。
相手の剣が空を切った。
切った先にレイの体がない。
わずか半歩分だけ。
最小限の動き。
体力は残っていない。
火球の衝撃で体の左側が痺れている。
大きく動けば崩れる。
だから最小で躱す。
最小で躱すには最大の精度がいる。
精度は計算が担保する。
一人目の剣が戻る前に、レイの剣が伸びた。
突き。
一人目の判定徽章が黄に光った。
軽傷判定。
倒せてはいない。
だが体が一瞬止まった。
その瞬間に、一人目の脇をすり抜ける。
二人目の守備が振り返った。
レイは懐から反射板を抜いた。
掌に収まる大きさの金属板。
煙幕筒と一緒に持ってきた道具の一つ。
西からの陽光を捉えて、二人目の顔に向けて反射した。
一瞬の閃光。
目を灼くほどではない。
だが反射的に目を細める。
目を細めた一瞬、視界が狭まる。
その一瞬に足元に滑り止め用具を投げた。
逆向きに展開すれば滑り床になる。
最後の一つ。
二人目の足が、滑った。
体勢が崩れた。
反射板で目を奪い、滑り床で足を奪う。
二つの道具を一秒の中に重ねた。
その隙に、旗竿に手をかけ引き抜いた。
そして旗を地面に転がっていた石に巻き付けると、そのまま上方に向かい全力で投擲した。
「リーゼ!」
投擲された石を包んだ旗は、事前の打ち合わせ通り、木々の上に登って待機していたリーゼがキャッチする。
そして次の瞬間、誰もが虚を突かれた中を彼女は駆け出す。
守備二名は慌てて体勢を立て直し、リーゼを追いかけようとする。
だがレイはその前に立ちはだかった。
模擬剣を構える。
構えは低い。
低いのは腕が上がらないからだ。
本来の彼の構えではない。
だが低い構えは突きの構えに見える。
レイの実力をおぼろげながら察した守備二名は、思わず足を止めた。
一秒。
二秒。
三秒。
三秒で守備は悟った。
構えが低いのは疲労だ。
眼の前の男は確かに強い。
しかしその体力はもう尽きかけている。
それを理解した瞬間、守備の二名は左右に分かれてレイを迂回した。
旗を追って走り始めた。
だがレイが生み出した三秒。
三秒あればリーゼの脚なら大きく距離を引き離している。
そうしてレイはAチーム陣地に残された。
旗は奪った。
あとは旗が届けば勝つ。
だが旗が届く前にFチームの旗が落ちれば、負ける。
トーマの七分。
いや、もう八分どころか九分に近い。
計算外の射撃で時間にズレが産まれていた。
持つかどうかはトーマ次第といえた。
七分を頼んだ。
七分を超えた先は計算ではなく……信頼だった。
他者を予定以上に信頼する。
ならば自身も予定以上に動かねばならない。
そう悟ったレイは、鉛の如き自らの体にムチを打った。
***
渓谷の底。
リーゼはまっすぐ走っていた。
渓谷の本流を東に向かって。
渓谷の壁に足音が反響した。
旗持ちの足音と、もう一つ。
後方から……速かった。
リーゼが振り返ると、そこには……ディートハルトの姿があった。
Aチーム陣地を視界に収めた瞬間、彼の視界には旗に手をかけるレイの姿があった。
そして旗がリーゼにわたったその時から、彼は駆け出していた。
二人の距離は縮まりつつあった。
そしてその距離が零となった瞬間、ディートハルトの剣がリーゼめがけて振るわれる。
絶体絶命。
それを理解した瞬間、リーゼは前方につんのめるように転がり、どうにか横薙ぎの一閃を交わす。
そのまま勢いに任せて地面を転がるリーゼ。
そして彼女が視線を上げた瞬間、その眼前にはディートハルトが立っていた。
「思うところはある。だが仲間たちのためにも、それは返してもらう」
そう口にして、ディートハルトはゆっくりとリーゼに迫る。
そして剣を軽く振り上げる。
「ごめん、みんな……」
「まだです、リーゼさん」
それは予期せぬ方向からの声だった。
その瞬間、ディートハルトは振り向きざまに剣を一閃する。
途端、彼めがけて飛来した石礫は真っ二つに切断される。
「やはり貴方には同じ手は通じないみたいですね」
「……同じ手?」
「いえ、僕を無視してリーゼさんを追いかけようとしたお二人には、この手が効いたのですが、貴方までというのは流石に無視が良すぎましたね」
苦笑を浮かべながら姿を現したのは、満身創痍で息を切らせながらどうにかこの場まで駆けてきたレイの姿だった。
「さて、少しばかりお時間を頂けますか、ディートハルトさん。そうですね、彼女が陣地にたどり着くまでくらいで結構ですので」
言葉とともに、レイは模擬剣を握った。
既に視界は半分以上失われていた。
腕にも十分な力は入らない。
渓谷の底を走って追いついたのではない。
崖道から直接降りた。
陣地から渓谷の底に降りる正規の道より、崖道から降りた方が近い。
着地のリスクを無視すればだが。
五点着地を行ったとしても、既に痛みきったこの体には無理があった。
そんな状態の体で向き合う相手は、学院の武の頂点とも言えるディートハルト。
灰猫としては決して望ましい盤上とはいえない。
だがそれでもここは盤上だ。
ならば、最大限を尽くすべきだろう。
そう、学院生のレイ・ラマリンではなく、灰猫のレイとして。
一度、背後を振り返ったディートハルトは、その視界に既にその場を駆け出したリーゼを捉えた。
同時に小さくため息を吐き出す。
「勝負あったようだな……」
「では、その剣を収めてもらえますか?」
「ああ。本来はそうすべきだろう。お前に……いや、君に敬意を払ってな。だが……」
言葉とともに剣を構えるディートハルト。
「この状況を理解できない指揮官とは思えませんが?」
「理解はしている。だからこそだ」
言葉とともに、ディートハルトは剣を一閃させる。
それをレイはそのまま手にした剣腹をすべらせるようにして、受け流す。
「意味がわかりませんが」
「先程の剣が答えだ。この瞬間、この場を除き、この学院に私以上の強者がその剣を振るうことはないだろう。ならば、最後は一介の戦士として、剣を振るわせてもらう」
言葉とともに、前進し剣を一閃、二閃、三閃。
次々と放たれるその剣技は、学生のレベルを遥かに超えていた。
だが……
「これでも届かないのか」
「いえ、素晴らしいと思います。少なくともこの学院でこれほどの剣技を見たことはありません」
レイの右目がディートハルトの筋肉の動きを読む。
そして計算する。
剣の軌道。
剣の速度。
すべてがさっきの守備二名とは格が違っていた。
速く重い。
レイは体を左に倒す。
横薙ぎが外套の裾を掠めた。
布が裂けた。
掠っただけで布が裂ける。
返す刀で左から斬り上げられる。
わずかに計算が遅れ、やむなく模擬剣で受ける。
受けた瞬間、衝撃が腕を走った。
手の中で柄が回った。
堪えた。
堪えたが思わず一歩退いた。
ディートハルトが一瞬、間を取った。
三撃目。
上段からの一撃。
計算できていた。
だが体が追いつかない。
計算できても間に合わない。
レイの模擬剣が弾かれ、手の中から剣が飛んだ。
乾いた金属音が渓谷の壁に反響した。
判定徽章が黄に光った。
軽傷判定。
その瞬間、レイは反射的にディートハルトに近づく。
武器も何も持たぬまま。
生まれるディートハルトの困惑の表情。
そしてわずかに反応が遅れたディートハルトの鳩尾に、ゼロ距離で拳を叩き込んだ。




