第16話「正直者の決着」
ハンスの突入班七名がBチーム陣地に突入し、ジュリアスを含む守備三名が迎え撃つ。
数は七対三、圧倒的にFチームが有利のはずだった。
だがBチームにはジュリアスがいた。
ジュリアスの剣は速くも重くもないが、正確だった。
突入班の先頭二名の攻撃を最小限の動きでいなし、カウンターで一人の判定徽章を黄に点灯させる。
同時に守備の二名が残りの突入班を足止めする。
路地の出口で並び立ち、ハンスの突入班が展開するスペースを潰している。
七名が三名を押し込めない。
陣地手前の路地が狭く全員が同時に攻撃できないのだ。
ベアトリスは後衛の位置から前線を見ていた。
見ていたのは戦況ではない。
人の顔だ。
鼓動だ。
ハンスの顔が変わった。
わずかな変化だ。
眉の位置が一ミリ下がり目の奥に光が灯り、唇の端が一ミリ上がった。
それだけの変化。
だが、それは全てだった。
見覚えがある。
顔合わせの日、名簿を読み終えた時の目。
覚悟を決めた時の目だ。
その時のハンスはただ聞いていた。
聞きながら、その名前の重さを思っていた。
それが決まった。
自分が誰を背負うか。
その時の顔。
今、同じ目をしている。
違う場所で、違う局面で。
だが同じ決意を背負っている。
敬語が外れる瞬間のような、枷が外れる音がした。
心の中で。
ベアトリスはそれを読んだ。
顔が全てを語っているから。
声ではなく、光の在り方が全てを教えている。
前に出る。
ベアトリスは確信した。
言葉で分析したのではなく、顔が言っている。
ハンスの目が、覚悟を決めた時の色をしている。
ベアトリスはリーゼの袖を引き、一言だけ小さく言った。
「ハンスさんが前に出る」
リーゼの目が一瞬だけ見開かれた。
ベアトリスの顔を見た。
ベアトリスの目は前線を見ていた。
見ていて、確信している目だった。
そして間髪入れず、ハンスが前に出た。
突入班の先頭を押しのけ、自分がジュリアスの正面に立った。
副官の策は見事だった。
だが旗を取るのは……そしてもっとも死地に飛び込むのは俺だ。
言葉にはしなかった。
だが目が言っていた。
ハンスの剣がジュリアスに向かった。
一撃目は弾かれ、二撃目もいなされた。
三撃目でジュリアスの模擬剣がハンスの手首を打ち、判定徽章が一瞬明滅して黄。
ハンスは退かなかった。
手首が痺れている。
右手の感覚が鈍い、一回戦で旗を掴んだ手だ。
まだ完全には戻っていない。
だが退けない。
ここで退けば突入班の勢いが死ぬ。
四撃目を振った。
振った瞬間、右から別の剣が来た。
ジュリアスの守備の一人だった。
ハンスがジュリアスに集中している隙に、横から回り込んでいた。
ハンスは見えていたが避けられなかった。
ジュリアスへの攻撃を中断すれば隙を見せる。
横の攻撃を受ければ——
受けた。
体を張った。
突入班の退路を確保するために自ら横の斬撃を受け止め、模擬剣が肩と上腕を打って衝撃が腕を貫いた。
判定徽章が橙に点灯した。
橙。
重傷判定。
衝撃が肩から脇腹に走った。
一瞬、呼吸が止まった。
肺が空気を失った。
色が見える。
赤い色。
痛みの色。
ハンスの膝が落ちた。
落ちたのではなく地面に着いた。
着いた瞬間に全身が震えた。
模擬剣を手放さなかったが、腕が上がらなかった。
剣を握れても振れない。
ただ空を握り締めることしかできない。
突入班の勢いが止まった。
七名のうち一名が黄、一名が橙。
残る五名は健在だが、先頭を、そして指揮官を失った隊列は止まる。
その時、ベアトリスが声を出した。
声は大きくなかった。
だが聞こえた。
前衛の五名に。
喧騒の中に、一本の糸のように通った。
「大丈夫。次がある。あの人には策がある」
「あの人」が誰かは言わなかった。
だが全員が分かった。
後方にいるはずの副官。
試合中にもかかわらず、壁に背をつけて目を閉じている男。
ハンスが落ちた。
突入班が停止した。
それでも「次がある」と言う女性の声。
ジュリアスは息を吐いた。
汗が顎を伝っている。
三名で七名を相手にしているのだ。
傷は受けていないが体力は削られている。
そして何より、眼の前の女性の言葉が事実だと、彼自身が確信していた。
***
観客の丘。
ナディアは立ち上がっていた。
いつの間にか。
市街地の建物に遮られて戦場の詳細は見えないが、北端のBチーム陣地の方角で剣戟音が激しくなり、そして止んだ。
何かが決まった。
審判の旗信号が上がった。
橙判定。
Fチーム側。
「……ハンスか」
ナディアの隣で副官が呟いた。
ナディアは答えなかった。
ハンスとは違う場所を見ている。
市街地の南端、Fチームの後方指揮位置を目で探していた。
建物の隙間から僅かに見える路地、開始時にレイがいた場所だ。
いない。
レイが後方指揮位置にいない。
ナディアの目が動いた。
南端から北へ、路地の隙間を、屋根と屋根の間を視線が走り、中央広場の南端、建物の角にいた。
レイが前に出ている。
後方指揮位置を離れ、敵が利用していた家屋の屋上を駆け、中央広場に近い位置に移動していた。
いつ動いた。
ハンスが落ちる前か、後か。
前だ。
ナディアには分かった。
根拠はなかったが分かった。
あの男はハンスが落ちることを想定して、すでに前に出ていた。
「……怖い男だな」
呟いたのは、ナディア自身だった。
***
中央広場の南端。
リーゼは後方指揮位置に走った。
報告しなければならない。
ハンスが橙。
突入班が停止。
だがたどり着いた後方には、レイが存在しなかった。
壁に背をつけて立っていたはずの場所に誰もおらず、地形図だけが石畳の上に残されていた。
リーゼの心臓が跳ねた。
……どこに。
振り返った。
北を見た。
中央広場の方角。
その無数の屋根の上を、灰色の髪が風となって駆けていた。
レイが前方に出ていた。
後方指揮位置から建物の上へと身を移し、北へと移動。
そして何者にも縛られることなく、中央広場の上空に姿を現す。
そして中央人場の上方から、現状を俯瞰してその視界に収めていた。
リーゼは走った。
今度は彼の元へ。
「レイ……ハンスさんが——」
「橙。知っています」
リーゼの足が止まった。
「北で剣戟音が途切れました。その直前に重い打撃音が一つ。判定徽章の点灯信号が上がった方角と、ハンスさんが突入した方角が一致していました。だからここへ急ぎました」
レイの声は平坦だった。
平坦であることが別の何かを押し殺していた。
リーゼにはそれが分かった。
分かったから、次の言葉を待った。
「ハンスさんは、最後まで前にいてくれました」
片膝をつき、屋上の床を右手で叩く。
僅かな痛みが走り、すぐに拳を上げる。
だが次の瞬間にはレイの目が変わっていた。
後方で待つ参謀の目ではなく、前線を見据える指揮官の目だった。
開始から十八分。
Fチームは中央広場を制圧し、東ではトーマがBチームの攻撃隊を止めている。
だが北ではハンスが落ち、突入班が膠着している。
Bチームの攻撃隊がトーマを突破すれば、Fチーム陣地の旗が危うい。
膠着が、今度はFチームにとって不利に傾き始めていた。
既に完全に硬直した戦況は、レイが仕掛けた「伝令の遅延」という武器を無力化していた。
それはジュリアスが、自分の体一つで折ったともいえる。
レイはそのことを認めた。
認めた上で、計算を始めた。
ジュリアスが指揮官の体を使って伝令網を捨てたなら、レイもまた参謀の位置を捨てて次の立ち位置に身を移さねばならない。
リーゼがまだ立っていた。
レイの次の言葉を待っている。
走る準備はできている。
伝令の足で。
手順書を頭に入れた足で。
「リーゼさん」
「はい」
「手順書の最後のページ通りに」
リーゼの顔から血の気が引いた。
だが一瞬だった。
走り出す前に一つだけ訊いた。
「レイ。あなたはいつから、ここに来ると決めていたんですか」
レイは答えなかった。
答えなかったことが、答えだった。
最後のページに記された策は指揮継承。
ハンスが行動不能の場合、指揮権は副官に移る。
副官の名はレイ・ラマリン。
使われないことを祈った手順書がここに開かれ、Fチームの指揮権はレイの手に移る。




