第15話「ジュリアスの間合い」
開始から十二分、レイは壁から背を離した。
レイは目をつむり、ただ市街地の音に集中する。
中央広場の剣戟音は変わらない。
膠着は続いている。
Bチーム伝令の足音は屋上に移った。
屋根を走る足音は路地より軽いが、遠く、遅い。
路地の罠はBチームの伝令が最適経路を選ぶ前提で設計してある。
合理的な人間は合理的な経路を選ぶからだ。
だが思いがけぬ方向から足音が聞こえる。
……上。
最適経路ではなく、距離も遠回りとなりまったく合理的ではない。
だが上から……家屋の上、屋根を駆ける音が響き続ける。
ここまでの計算は正しかった。
だが計算の外に出る人間がいた。
わずかに生まれた空白。
それを埋めたのはリーゼだった。
レイと同じく足音の変化に気づいた。
路地ではなく屋根を走る音。
音の高さが違う。
音の発生する方向が違う。
リーゼは手順書にない判断を下した。
東への伝令経路を西回りに切り替えた。
遠い。
遠いからこそ、確実だ。
手順書には書かれていない判断だが、状況から導き出される最善手だった。
リーゼが走った。
後方指揮位置で、レイはリーゼの足音を聞いていた。
こちらへと向かっている。
手順書にはない方角からだ。
一瞬の空白を、リーゼの足と判断が埋めた。
そして北端の方角から、新しい音が混じった。
複数の足音。
速い。
走っている。
東の大通りを南に向かっている。
レイは目を開けた。
「Bチーム六名、東大通りを屋根伝いを経由して南下中。Fチーム陣地方向です」
たどり着いたリーゼの報告にレイの目が細くなった。
「六名……経路以外は予想通りです」
予想していた。
ジュリアスは膠着を壊すために攻撃を仕掛ける、と。
相手の旗を直接狙うのが最も効率的だ。
そして膠着している正面を避けて迂回するなら東か西。
西は工作が入っていると警戒する。
なら東を選ぶ。
さらに屋上にまでは煙幕も滑り止めも仕込んでいない。
代わりに側面支援の残り一名が、東の路地の入口に待機している。
だが彼女の役割は戦闘ではない。
「リーゼさん。トーマさんに伝えてください。東から六名。路地に入れろ」
***
Bチームの攻撃隊六名が東の大通りに屋上から降下し、突如姿を現す。
東側に配置されていた偵察の一名が路地の角からわざと声を上げた。
Bチームの攻撃隊の先頭が反応し、路地に敵がいると見て追う。
追った瞬間、偵察の一名は路地の奥に逃げた。
Bチームの先頭二名が路地に入った。
残る四名は大通りを南下し続けたが、二名が逸れたことで隊列が分断された。
Fチーム陣地、南端の旗。
その前にトーマが立っていた。
路地の幅は人が二人並ぶのがやっとで、市街地模擬区画の路地は全てがこの幅で設計されている。
その路地の入口に、トーマは文字通り壁のごとく立っていた。
圧倒的多数の敵を前にして、一歩も後退する気配がない。
それはまさに人間の壁そのものであり、それ以上でもそれ以下でもなかった。
一人目がトーマに斬りかかった。
大きく、速い。
しかしトーマの木剣が斬撃を受ける。
木と木が衝突する瞬間の、奥深い響き。
その音には重さがあった。
重みそのものが音に変わったような響き。
受けただけだった。
弾き返さず、押し戻さず、ただ受けた。
相手の力を吸い込むような受け方だった。
だからこそトーマの足は微動だにしない。
まるで地面に根を張ったように。
一人目の剣が止まった。
止められたのではない。
力が消えたのだ。
トーマの受け方が力の方向を逸らし、モメンタムの全てを己が足元へ。
一人目の体勢が崩れ、足がもつれて腰が沈んだ。
トーマは何も言わなかった。
言う必要がない。
体が全てを語っていた。
通さない。
それだけだ。
二人目が一人目の横から突こうとしたが、路地の幅が足りず一人目の体が邪魔で剣が振れない。
三人目と四人目は路地の手前で詰まった。
入れない。
トーマは一歩も退かず、路地の入口に立ったまま壁のように塞いでいる。
一対一なら全員を倒せる。
だがトーマは倒さなかった。
路地を通さないだけでいい。
それがレイの指示だ。
一人目が体勢を立て直し、もう一度踏み込んだ。
トーマの木剣が今度は上から押さえた。
重い。
上からの重さで一人目の膝が沈む。
その隙に二人目が横から回ろうとしたが、路地は狭く壁があって回れない。
トーマの腕が震えていた。
四人の圧力を一人で受けている。
路地の狭さが味方しているとはいえ、四人分の打撃は腕に来る。
だが震えているだけだった。
退かない。
足は動かない。
全力を出してください。
手加減は、必要ありません。
レイの言葉が耳に残っていた。
手加減しなくていい。
通さなければいい。
力を制御する必要がない場所を、レイは用意していた。
路地に立つ。
通さない。
それだけでいい。
トーマの木剣が、一人目の模擬剣を弾いた。
初めて弾いた。
受けるのではなく、弾いた。
一人目が三歩後退し、二人目の道を塞いだ。
四人が路地の手前で立ち往生している。
***
レイは耳を澄ませていた。
東から木剣がぶつかる音が聞こえる。
一定のリズムだ。
攻撃の連打ではなく防御の繰り返し。
トーマが受け続けている音だ。
リズムが崩れない。
崩れないということは、突破されていないということだ。
レイは東の音を聞きながら北の状況を計算していた。
東からの攻撃隊はトーマが止め、正面では膠着が続いている。
そしてジュリアスが攻撃隊を出したということは、Bチームの本陣の守備は減っている。
リーゼが戻ってきた。
「トーマさんが四名を止めています。二名は路地で分断。Bチーム陣地の守備は——」
「二名です。ジュリアスは後方守備二名と伝令二名、手元の予備一名を合わせた五名に、さらに正面の前衛から一名を引き抜いて計六名を東に回した。旗守備の二名は専任で動かせない。つまり旗の前にいるのは二名だけです」
レイの目が動いた。
中央広場の向こう側、Bチームの陣地がある北端を見ている。
ここだ。
この瞬間のために、正直に進軍し、正直に膠着し、正直に待った。
「リーゼさん。ハンスさんに伝えてください。突入班、側面支援を合流させて北へ……Bチーム陣地を突く」
その指示が下されるとともに、中央広場の膠着が動く。
ハンスの突入班四名と側面支援三名、合計七名がBチームの前衛を押しのけて北へ向かった。
Bチームの前衛三名が追いすがるが、七対三では抑えきれない。
突入班が北の大通りに突入した。
Bチーム陣地まで、あと四十歩。
***
ジュリアスは中央広場の北端にいた。
屋上経由で伝令が来た。
遅く遠回りとなるが確実だ。
「東の攻撃隊、敵の旗守備に阻まれています。路地が狭く、突破できません。一名が足止めしています」
一名。
六名の攻撃隊が一名に止められている。
ジュリアスは一瞬だけ目を閉じた。
路地の狭さを利用した足止め。
一対多が成立する地形を選んで守備を置いた。
一人で六人を止められる戦力。
あの偏屈な男か。
レイは最初からこちらが攻撃隊を出すことを想定していた。
出す場所も出す人数も。
そしてそれを一人で止められる人間を、あの場所に置いていた。
そこまで考えた時、もう一つの伝令が正面から走ってきた。
息が切れている。
「正面が崩れました。Fチーム突入班七名、北へ向かっています。こちらの陣地方面です」
ジュリアスの目が開いた。
正面の膠着を崩された。
いや、崩されたのではない。
最初から膠着は相手の計画で、伝令を遅らせこちらが焦れて攻撃隊を出すのを待っていた。
攻撃隊を出せば本陣の守備が薄くなる。
そこを突く。
全部、読まれていた。
正面進軍も、膠着も、伝令の遅延も、攻撃隊の出撃も。
全部がレイの設計図の中にあった。
教科書通りに見えたのは、教科書通りの部分しか見えなかったからだ。
足元で、路地で、伝令の経路で、別の戦争が行われていた。
だが、ジュリアスは崩れなかった。
三秒。
三秒で次の手を決めた。
「攻撃隊を呼び戻す。伝令は……いや、間に合わない」
伝令では間に合わない。
屋上経由でも路地経由でも、攻撃隊がFチーム陣地の前にいる以上、呼び戻すには時間がかかりすぎる。
ハンスの突入班が陣地に到達するまでの方が速い。
ジュリアスは自分の手元を見た。
残っている兵力は旗守備の二名だけだ。
二名で七名を止める。
無理だ。
ならば。
ジュリアスは模擬剣を握り直した。
自分が行く。
計算上は間に合わないはずの距離を、ジュリアス自身の脚で詰める。
伝令を飛ばして守備を再配置するのではなく、自分が旗の前に立つ。
走った。
Bチーム陣地の北端から旗の位置まで、建物の角を二つ曲がる。
石畳を蹴る。
風がない日の市街地は音が響く。
自分の足音だけが聞こえる。
角を曲がった。
旗が見えた。
旗の前に守備が二名。
その向こうの大通りから、ハンスの突入班が迫っている。
間に合った。
ジュリアスが旗の前に立ち、守備二名の横に指揮官が並んだ。
三名。
突入班七名に対して三名。
数では劣る。
だがジュリアスがいる。
ハンスの突入班が到達した。
大通りの出口から、Bチーム陣地に突入する。
ハンスが先頭にいた。
ジュリアスが正面にいた。
二人の目が合った。
ハンスの目は、前を見ていた。
ジュリアスの目も、前を見ていた。
模擬剣がぶつかった。




