第7話「一回戦の残響」
一回戦の全試合が終了した。
第四試合のGチーム対Hチームは、双方が守備を固めたまま制限時間を迎えた。
旗は動かず、判定成績も低かった。
判定結果の一覧が掲示された。
上位四チームが準決勝に進む。
Aチーム。
Bチーム。
Fチーム。
そして四番目にCチームの名があった。
敗北したチームの進出に、掲示板の前で数名が足を止めた。
だがBチーム戦でのCチームの被弾率と旗の接触回数を見れば、第四試合の勝者より上位にあることは数字の上では明白だった。
準決勝の組み合わせが発表された。
Fチーム対Bチーム。
Aチーム対Cチーム。
控え室に戻った時、ハンスが先にいた。
模擬剣を壁に立てかけ、床に座り込んでいる。
旗を掴んだ右手の甲に、まだ赤い痕が残っていた。
「一回戦は計画通りか」
ハンスが顔を上げて聞いた。
レイの方を見ている。
「八割は計画通りです」
「残りの二割は」
「あなたが最後に直接旗を取りに行った判断です。計画にはなかった」
ハンスが目を見開いた。
「副官の計画になくても、指揮官の判断にはあった」
ハンスが笑った。
レイも笑った。
だがレイの笑みの奥で、一つの事実が帳簿に記されていた。
計算の外から来た二割が、勝敗を分けた。
答えは見えている。
だが一人では届かない。
渡り廊下の陰で、フェリクスと落ち合った。
フェリクスの制服には土と草の痕がついていたが、表情だけがいつも通り軽い。
「予想通りの完敗だったよ。でもいくつか拾えたものはある」
壁に背を預けた。
「まず、ディートハルトの指揮。後方の司令塔位置から動かない。前に出るのは隊列が崩れた時だけ。旗の守備には常に三名以上」
レイが頷いた。
自分の観察と一致している。
「うちの側面攻撃で隊列が乱れた時、三歩だけ前に出た。すぐに後ろに戻ったが、戻る時、右足の爪先がまだ前を向いていた。あの人は本能的には前に出たい人間だ。理性で抑えているだけで」
レイの目がフェリクスを見た。
同じものを、それぞれが独立して見ていた。
「それから……」
フェリクスの声から軽さが消えた。
「もう一つ。試合中に、来賓席の後方から微弱な探査魔法の反応があった。僕のチームの感知が得意な奴が気づいた」
「探査魔法?」
「試合の判定用ではない残響だと。外部からフィールドの地形を確認する類のもの。射程が長い」
「……模擬戦中に許可されている魔法に、あの射程の探査は含まれていませんね」
「含まれていない。しかも試合開始の十分前から、Aチーム陣地側を重点的に確認していた。内部の人間じゃない。外の人間だ」
フェリクスの目がレイを見た。
「防魔布の話、なんとなく分かってきたよ」
レイは答えなかった。
代わりに、一つ聞いた。
「フェリクスさん。探査が重点的だった場所は、Aチームの陣地側ですか。それともAチームの対戦相手の陣地側ですか」
フェリクスの目が一瞬、鋭くなった。
「……後者だ。うちの陣地側を重点的に確認していた」
「では探査の目的は、Aチームの支援ではない。Aチームの相手を偵察している。あるいは値踏みしている」
フェリクスが目を細めた。
「対戦相手側だけを見ている。Aチーム側は見ていない。つまり、Aチームの情報はもう持っている……足りないのは相手の情報だけだ」
「金が勝たせるつもりで動いている時、手段は二つです。味方を強くするか、相手を潰すか。Aチームはすでに十分に強い。強くする必要はない。つまり——」
「相手を潰す側の手段だろうね」
「ええ、断定はできませんが、外の人間がAチームの対戦相手を監視していることは確かです」
フェリクスはしばらくレイの顔を見ていた。
それから息を吐いた。
「……君は、いつからこれを考えていた」
「オッズが1.1倍になった時です。僕の当初設定したオッズよりも高くなりすぎている。あの数字は自然な賭けでは出ません」
「防魔布を登録した時点で、もう分かっていたのかい?」
「仮説が一つあった、という段階です。そして今の情報で確信に変わりました……ミラに伝えます」
「ミラ?」
「盤の外を見ている人間です」
フェリクスは一瞬だけ目を細め、それから笑った。
壁から背を離し、歩き出した。
二歩ほど歩いて、振り返った。
「準決勝の相手、ジュリアスだろう」
「はい」
「彼は手口を知っていても崩れない指揮官だ。煙幕では勝てないと思う」
「分かっています」
フェリクスはしばらくレイの顔を見ていた。
それから肩をすくめた。
「君なら別の手を考えてるんだろうけど……まあ、頑張って」
背中が渡り廊下の向こうに消えた。
レイは一人になった廊下で、ノートを開いた。
鉛筆の芯はまだ鋭い。
エルマの角度が残っている。
探査魔法、来賓席後方、外部の人間、Aチームの対戦相手側、射線の確保。
そしてミラが見つけた三人の男とフェリクスの情報、更にエルマが記録した金の流れ。
点が線になりかけていた。
ノートを閉じた時、廊下の反対側に人影が見えた。
ジュリアスだった。
こちらに気づいている。
だが足を止めない。
通り過ぎようとしているのではなく、通り過ぎるふりをしてこちらを観察している。
ジュリアスの視線の動き方を、レイは知っている。
「ジュリアス」
呼んだ。
呼ばなくても良かった。
だが呼んだ。
ジュリアスが足を止めた。
振り返る。
「おう、いい試合だったな。見てたぞ」
「Bチームも。二十八分の試合は見応えがありました」
「褒め言葉として受け取っとくよ……明日、楽しみにしてる」
「……僕はただの副官ですから」
ジュリアスが少し笑った。
「うん、知ってる」
互いに「知っている」ことを「知っている」ことが伝わる。
だがそれ以上は踏み込まない。
ジュリアスは踏み込まなかったのではなく、踏み込む手前で止めた。
レイはそれに気づいている。
気づいていて、黙っている。
ジュリアスが歩き出した。
三歩ほど行って、背中越しに言った。
「レイ、明日は手口じゃなく……お前自身と戦いたいな」
言葉を交わした。
短い言葉だった。
だがその先に言いたかったことが、声にならないまま廊下に残った。
ジュリアスの背中は角を曲がっていた。
レイは廊下に一人残った。
手口じゃなくてお前自身と戦いたい。
その言葉が、帳簿のどこにも書けない数字として残った。
ジュリアスは数字を要求していない。
数字の外にある何かを、渡せと言っている。
数字の外。
レイは、それを何と呼べばいいか知らなかった。
***
同じ日の、もう少し前の時間。
一回戦の第一試合の最中のことだった。
ミラは一般見学者の群れの中にいた。
来賓席の端に座る三人の男のうち、左端の一人が席を立った。
手元に何か小さなものを持っていた男だ。
来賓席の裏手に回った。
ミラは距離を保って追った。
男は会場裏の通路を歩き、運営用の倉庫の前で足を止めた。
扉は開けなかった。
扉の前に立ち、周囲を見回し、壁に小さな印を刻んだ。
爪で引っ掻いたような薄い線。
何かの目印。
それだけして、来賓席に戻っていった。
ミラは男が去った後、壁に近づく。
印の位置を確認した。
高さ、壁面の中での位置、倉庫の扉からの距離。
倉庫の壁から、フィールドまでの視線を辿った。
見える。
ここからフィールドの一部が見える。
何の目印かは分からない。
だが、場所を決めた、という動きだった。
何のためかは、まだ分からない。
控え室に戻り、エルマに報告した。
「一人、動いた。倉庫の壁に印。フィールドが見える位置」
「……射線?」
「立ち位置」
エルマの手が止まった。
帳簿の余白に、日時と場所を記した。
「……旦那に伝える」
ミラは頷き、控え室を出た。
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