第5話 死ぬかと思った
自動運転の車に揺られ、直人はいつの間にか眠っていた。
窓の外を流れていく景色を眺めていたはずなのに、気がつけば深い眠りに落ちていたらしい。しばらくして車内に穏やかなアナウンスが流れ、直人はゆっくりと目を覚ました。
<まもなく目的地へ到着します。お目覚めください、直人さん>
「ん……ああ、もう着くのか」
まだ少し眠気の残った目をこすりながら窓の外を見ると、そこには都会の面影はまったくなかった。
車はいつの間にか山間の細い道を走っていた。左右には木々が生い茂り、その間から朝の柔らかな光が差し込んでいる。道路の先に見えるのは、緑の山と青い空ばかりだった。
やがて車は速度を落とし、静かな山間にある河原近くの開けた場所で停車した。
時刻は午前9時を少し回ったところだった。
「うわ……」
思わず声が漏れる。
目の前には山々に囲まれた静かな景色が広がっていた。すぐ横には透明な水を湛えた川が流れ、川面には朝の光が反射してきらきらと輝いている。水が岩に当たって流れる音が、途切れることなく耳に届いていた。
かすかな鳥の声と、風が木々の葉を揺らす音が聞こえる。それ以外には何も聞こえない。
直人は窓の外を眺めながら、しばらく黙っていた。
都会で暮らしていた頃なら、これだけ自然に囲まれた場所へ来るだけでも、それなりの時間と準備が必要だっただろう。ところが今は、車に乗って寝ているだけでここまで連れてきてもらえる。
しかも今日は、この場所を自分一人で使える。
「確かに、キャンプするにはもってこいだな」
直人は小さく笑った。
アィーダが選んだ場所は、直人が想像していた以上に素晴らしかった。
車を降りる前に、アィーダから説明が入る。
<キャンプ用品は現在準備中です。河原手前の東屋付近でお待ちください。およそ1時間ほどで準備が完了する予定です>
「分かった」
直人は車を降りる準備をしながら、ふと思いついたように尋ねた。
「帰りは……いつ迎えに来るんだ?」
<ご希望の日時を指定していただければ、その時間にお迎えに上がります>
「そうだな……」
直人は窓の外へ目を向けた。
こんな場所を独り占めできるのだ。
一晩だけで帰ってしまうのは、さすがにもったいない。
「じゃあ、明日の……」
そこまで言って、直人は少し考えた。
せっかく仕事のない世界に来たのだ。時間ならいくらでもある。
「……いや、明後日の昼くらいでいいや」
<承知しました。明後日、正午にお迎えに上がります>
「ありがとう、アィーダ」
<どういたしまして。キャンプをお楽しみください>
自動運転の車から降りると、直人はもう一度周囲を見渡した。
車はドアが閉まると、静かに方向を変えた。エンジン音をほとんど響かせることもなく、そのまま来た道をゆっくりと戻っていく。
やがて車の姿が木々の向こうへ消えると、そこには再び静寂が戻った。
「……いいところだなぁ」
直人は一人、そう呟いた。
河原へ続く道の手前には、小さな東屋が建っていた。屋根と柱だけの簡素な造りで、古びているわけでも新しいわけでもない。周囲の景色に自然と溶け込んでいる。
直人はそこへ歩いていき、柱に手を触れながら周囲を見渡した。
山の緑、澄んだ空、川のせせらぎ。
100年先の未来へ来たというのに、ここだけは自分が元いた時代と何も変わらないように思えた。
子供の頃、家族と出掛けた山や川で感じたものと同じような、どこか懐かしい気持ちが胸の奥から湧いてきた。
「来てよかったな」
誰に聞かせるでもなく、直人は呟いた。
しばらく東屋で景色を眺めてから、直人は河原へ向かった。
川辺まで近づくと、流れる水の透明さに改めて驚かされた。浅瀬では川底の石が一つ一つ見えるほど水が澄んでいて、流れの中を小さな魚が泳いでいるのまで確認できる。
直人はしゃがみ込み、手を水面へ近づけた。
9月下旬の山間ということもあり、暑くも寒くもない。少し歩いた体には心地よい風が吹き抜け、川から届く涼しさがちょうどよかった。
「こんなところで一日中ぼーっとしててもいいな」
川の流れを眺めながら、直人はそんなことを考えた。
しばらくして河原を離れ、今度は林の方へ歩いてみる。
こちらは人が頻繁に入る場所ではないらしく、自然のままに近い状態が残されていた。木々が密集し、足元には草が生い茂っている。人が通ったと思われる細い獣道のような跡があるだけで、その周囲は鬱蒼とした緑に覆われていた。
「こっちは結構すごいな」
直人が感心しながら見上げていると、そのときだった。
頭上から、かすかな機械音が聞こえてきた。
「ん?」
直人が空を見上げると、青空の中を見覚えのある丸い機体がこちらへ近づいてきた。
「ああ、あれか」
以前にも見たことのある配送用ドローンだった。
ドローンは直人のいる場所まで来ると静かに高度を下げ、その下部から箱をゆっくりと降ろした。
地面に箱が置かれると、役目を終えたドローンは再び上昇し、そのまま山の向こうへ飛び去っていった。
直人はその様子を眺めながら、思わず笑う。
「こういうところは未来だよなぁ」
100年前なら、山奥まで何もしなくても車が運んでくれて、その1時間後にはドローンが空から荷物を届けてくれるなんて考えられなかっただろう。
直人は箱のところまで歩いていき、しゃがみ込んで蓋を開けた。
箱の中で真っ先に目についたのがクーラーボックスだった。
「おっ」
中には冷えたビールが何本か入っていた。
「アィーダ……分かってるじゃないか」
思わず笑みがこぼれる。
直人は一本取り出すと、プルタブを開けた。
小気味よい音が山の静寂の中に響く。
そして、そのまま一口飲んだ。
冷えたビールが喉を通っていく。
「あ゛ーーーーー」
直人は思わず声に出した。
普段から酒を飲むほうではない。特別好きというわけでもなく、付き合いで飲む程度だった。
しかし、目の前には山があり、横には澄んだ川が流れている。遠くから鳥の声が聞こえ、風が木々を揺らしている。
そんな大自然の中で飲むビールは、普段飲むものとはまるで別物のように感じられた。
直人はクーラーボックスの横に入っていた折り畳み式の椅子を取り出すと、河原を望める場所に広げた。
直人は腰を下ろし、もう一度ビールを口に運んだ。
「最高だな、これ」
訳が分からないまま100年後に飛ばされて、何をしていいのか分からなかった自分が、今はその世界の山の中で、一人きりで川を眺めながらビールを飲んでいる。
直人は椅子に深く体を預け、流れる川を眺めながら、ゆっくりとビールを飲み続けた。
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「んぁっ……」
直人は間の抜けた声を漏らしながら、ゆっくりと目を覚ました。
どうやら調子に乗ってビールを飲みながら、そのまま寝てしまっていたらしい。
車の中でも寝ていたというのに、ここへ来てまた昼寝とは、自分でも呆れてしまう。
「いやいや、いかんいかん」
直人は椅子から立ち上がると、伸びをしてから、届いたばかりのキャンプ用品を確認することにした。
箱の中から残りの荷物を一つずつ取り出していく。
丸く丸められた大きな袋があり、その上には端末が置かれている。直人は端末を横へどけ、袋を開いて中身を確認した。
ナイフ。
手斧。
ロープ。
釣り道具。
救急セット。
「……以上?」
直人は取り出した道具を地面に並べてから、もう一度袋の中を覗き込んだ。……何もない。
箱の中も確認する。……何もない。
「ん?」
直人は首を傾げた。
何か足りない気がする。
そもそもキャンプなんて、ほとんどやったことがない。小学校の林間学校だか何かでカレーを作った記憶しか……
「はんごうすいはん?……みたいなやつとか、使ってたよなぁ」
ご飯を炊いて、みんなでカレーを……そんな光景だった気がする。
そこまで思い出した所で重要なことに気が付く。
「……あれっ? 食料は?」
そう呟いて、直人はクーラーボックスを覗き込んだ。
中には先ほど飲んだビールが何本か残っている。
「いや、待て」
そこで、さらに重大なことに気がついた。
「テントは?」
「寝袋は?」
「……どうなってる?」
直人は箱を覗き込み、クーラーボックスを確認し、それから周囲を見回した。
もちろん、どこにもない。
しばらく考えた直人は、突然手を叩いた。
「そうだ、端末!」
キャンプ用に用意されていた端末の存在を思い出した。
「これで追加の食料とか、必要なものを持ってきてもらうんだった。なんだ、そういうことか」
直人は一人で納得し、端末を手に取った。
電源を入れると、すぐに画面が表示された。
そこには大きく、
『直人様におすすめの「本気キャンプで大人の基地づくり」オススメキットの使い方』
と表示されている。
「……え?」
何となく嫌な予感がした。
そのまま画面を読み進める。
手順1『水と火を確保しましょう』
直人は足元に置かれた道具を見たが、ライターなどはないし、水もない。
「…………」
直人の顔が少しずつ引きつっていく。
まさか、まさかとは思うが。
直人は画面の「次へ」を押した。
すると、次の説明が表示された。
手順2『乾いた木を用意し、適当な丸い棒を使って摩擦を起こし、枯葉などに着火してください』
「…………は?」
注意点『山火事には気を付けましょう』
さらに読み進める。
手順3『飲料水は川などから採取できます。ただし、生水は危険です。空き缶などを利用し、十分に煮沸してから飲用してください』
「……空き缶?」
確かに空き缶はあるが……直人は椅子の横に転がっているビールの空き缶を見た。
いや、そんなことを考えている場合ではない。
さらに「次へ」を押す。
そこには、木を切り出して簡易的な屋根の骨組みを作る方法が表示されていた。
屋根に利用できる木の枝や葉の種類。
雨を防ぐための組み方。
地面に直接寝ると体温を奪われるため、可能であれば木や枝などを利用して、地面から離した寝床を作ること。
さらに、その周囲に風を防ぐための工夫をする方法まで説明されている。
直人は黙ったまま画面をスクロールしていった。
「…………」
これは自分が想像していたキャンプとは、何かが違う。
「これ……なんか本気【ガチ】なやつじゃん」
思わず呟いた。その瞬間、直人はようやく自分が置かれている状況を理解した。
あるのはナイフと手斧とロープ、釣り道具と救急セット。
そして、目の前には山と川。
「本気キャンプで大人の基地づくり」
直人はゆっくりと空を見上げた。
川を眺めながらビールを飲んで、魚を釣って、秘密基地を作って、夜は星空を眺める。
それがいつの間にか2泊3日のサバイバルと化していたことに気が付いたのだった。
空はいつしか夕暮れの気配が漂い始めていた。




