最終話 私に生きる意味を教えてくれて、本当にありがとうございました
サタミ通商労務サービス 新入社員募集
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さすが未来だ、と直人は感心していた。
直人が人類文化・教育継承特別功労賞の権利として望んだのは、会社の設立だった。
サタミ通商労務サービスの社屋は、建設を開始してから一か月も経たないうちに完成した。
建物そのものがいくつものユニットに分割されて製造され、それらが現地で次々と接続されていく。昔のように大勢の作業員が長期間かけて建設する必要はない。床ができ、壁ができ、照明が取り付けられ、必要な設備が接続される。まるで巨大な積み木か3Dプリンター、あるいはプラモデルを組み立てるように建物が形になっていき、気が付けば、そこには立派な社屋が完成していた。
もっとも、中に入ってしまえば未来らしさはほとんど感じられない。
ここは未来の最新設備を体験してもらう施設ではなく、百年以上前の「仕事」を再現するための場所だからだ。
社内には、当時のオフィスを再現した普通のワークデスクが並べられ、その上には二百台ものパソコンが設置された。
外観だけを似せたものではない。
表示される画面や操作方法も、当時のWindows 11を可能な限り忠実に再現している。さらに通信環境まで当時の水準に合わせるため、あえて旧式のネットワーク機器を導入し、現在なら一瞬で終わるような通信にも、微妙な待ち時間が発生するよう調整されていた。
「昔のまんまだ、ここまで出来るのか」
直人が呟くと、企業AIのアーバスが、当時の職場環境を可能な限り忠実に再現するために必要な措置だと説明した。
設備だけではない。
社員証と認証チップを連動させ、体験者のストレス状態を計測する仕組みまで用意した。仕事の量、納期、上司からの指示、休憩時間なども細かく設定し、当時の人間が感じていた仕事の負荷を再現しようとしたのである。
当初の計画では、参加者が限界に近いところまでストレスを感じながら、それでも仕事を続けるという環境を作るつもりだった。
しかし、それは杞憂に終わった。
アーバスの分析によって、現在の人類は直人たちが想定していた以上に高いストレス耐性を持っていることが判明したからだ。
百年前の労働環境を再現したつもりが、未来の人間たちにとっては、それほど過酷なものではないという予測が出ていた。
「人類って、案外強いんだな」
直人は感心しながら、完成したフロアを見渡した。
だが、どれだけ立派な社屋を作っても、肝心の客が来なければ意味がない。
完成したばかりのフロアには、誰もいなかった。
二百台のパソコンが整然と並び、照明だけが明るく室内を照らしている。人の気配がないその空間で、直人は出力された求人チラシを一枚手に取った。
【サタミ通商労務サービス、新入社員募集】
その文字を眺めながら、直人はしばらく考えた。
「失敗したって、やめればいいだけだ」
仕事を始めたからといって、昔のように生活のすべてを縛られるわけではない。嫌になれば、いつでもやめられる。誰かに無理やり続けさせられることもない。
そう考えると、妙に気が楽になった。
「踊る阿呆に見る阿呆だ。やらなきゃ損だろ」
誰もいないフロアでそう呟き、直人はチラシを持って立ち上がった。
翌日からの仕事は、完成したチラシを一枚ずつ道行く人々に配ることだった。
未来の街を歩きながら、直人は通行人に声をかけ、一枚ずつチラシを手渡していった。
物珍しいのか、受け取ってくれる人もいれば、興味を示さず、そのまま通り過ぎる人もいる。
それでも初日には数人の見学者が施設を訪れた。
その中には、直人が以前から関わっていた人類文化体験館の生徒たちも混じっていた。噂を聞きつけて見に来たらしい。
市内の主要交通機関から、体験施設という名の会社まで直通するシャトルバスも用意した。
だが、こちらは見事なまでに利用されなかった。
わざわざ専用の車両を用意したというのに、それに乗ってやって来る人間は一人もいなかったのである。
そんな調子で日々は過ぎていった。
直人は、施設にほとんど利用者がいないことを気にしながらも、以前から来ていた数人の生徒にパソコンの使い方を教えたり、設備の調整をしたりして過ごしていた。
変化が訪れたのは、起業から二週間ほど経った頃だった。
その日も直人は、真新しいオフィスで数人の元生徒たちにパソコンの授業をしていた。ちょうど課題の説明を終えたところで、アーバスから連絡が入った。
市内の高等教育機関から、施設を見学したい、あるいは一部の体験学習を行いたいという申し入れがあったという。
今のところ特にやることもない。直人に断る理由はなかった。
二つ返事で受け入れを決め、数日後には最初の大規模な体験学習が実施されることになった。
当日、施設にやって来たのは、四クラス分に相当するおよそ百名近い生徒たちだった。
広いフロアに一気に人が入ると、今まで静まり返っていた空間は一瞬で騒がしくなった。
初めて見る昔のパソコンに興味を示して画面を触る者、説明も聞かずに電源を切ってしまう者、AIが搭載されているものと思い込み、一生懸命に呼びかける者までいる。
直人は最初こそ大丈夫なのかと心配になったが、やがて全員を席につかせ、説明を始めた。
「ここは百年以上前の企業体験施設です。皆さんは今、百年以上前にタイムスリップしたと思ってください」
直人がそう説明すると、生徒たちは静かに耳を傾けた。
ここには、皆が普段当たり前のように使っているAIやロボットのような仕組みはない。
「皆さんも授業で習ったことと思いますが、かつての人間は、自分自身の手で仕事をして、その報酬として『お金』を受け取り、それを使って生活していました」
今から行うのは、そんな時代に人間が自分自身の手で行っていた仕事を、実際に体験してみるものなのだと直人は説明した。
教材として聞くのと、実際に自分でやってみるのでは大きな違いがある。
だからこそ、実際に体験してもらいたいと伝えながら、直人には少し不安があった。
思春期を迎えた子供たちが、見知らぬ中年の言うことを素直に聞いてくれるのか。途中で飽きてしまわないか。昔の仕事など、つまらないと思われるのではないか。
ところが、その心配はまったく必要なかった。
生徒たちは、いざ課題が始まると、驚くほど真面目に取り組み始めた。
分からないことがあれば周囲に聞き、自分で考え、時には生徒同士で教え合いながら、一つずつ課題を進めていく。
先ほどまでの騒がしさは消え、フロアにはキーボードを叩く音や紙を印刷する音だけが響くようになった。
直人はその様子を少し離れたところから眺めながら、思わず呟いた。
「教育って大事なんだな」
二時間のカリキュラムは、あっという間に終了した。
最後の質疑応答で、ある生徒が昔の人間は一日にどれくらい仕事をしていたのかと質問した。
直人は、企業によって違うが、一般的には1日8時間程度だったと答えた。
すると、生徒たちの間からどよめきが起こった。
現在の彼らにとって、それだけ長時間働くことは想像しにくいらしい。
直人はさらに、企業によっては12時間を超えて働いたり、会社に泊まって仕事をしたりすることもあったと説明した。そして、一週間近く家に帰れずに働き続け、心や体を壊してしまう人もいたと話した。
AIもロボットも存在しない時代、人間は文字通り自分の身一つで仕事をこなしていた。
「一人一人が企業という組織の中の戦士だったんです」
直人がそう付け加えると、生徒たちから驚きの声が上がった。
今の自分には到底無理だという者もいれば、そんなことまでしなければならなかったのかと驚く者もいる。戦争をしていた時代だから、仕事もそんなに厳しかったのではないかと考える生徒もいた。
直人には、それを聞いた生徒たちが何を思ったのかまでは分からなかった。
だが、一人ひとりの生徒の顔を見ながら、静かに話し始めた。
「今の皆さんには、何にでもなる自由があります。
何もしないという選択だってできます。仕事をしなくても、生きていける。
昔の人間からすれば、とても羨ましいことです。だからこそ、僕は一つだけ言いたい。
できるなら、一度くらいは、本気で何かに挑戦してみてください。
うまくいかなくてもいい。失敗したっていい。
辛くなったら逃げてもいいし、どうしても嫌になったら、やめたっていいんです。
昔の人間は、やめたくてもやめられないことがたくさんありました。
生活のために、家族のために、明日のために、嫌なことでも耐え続けるしかなかった。
でも、皆さんは違う。自分で選べるんです。
だから、やってみたいと思ったことがあるなら、一度くらい、本気でやってみてください。
失敗したら、そこで終わりじゃない。
自分には向いていなかったと分かるかもしれないし、思っていたより自分にできることが見つかるかもしれない。
大事なのは、どれだけ我慢したかじゃありません。自分の人生を、自分で選んだかどうかです。
その全部を自分で決められることが、皆さんの持っている自由なんです」
授業が終わると、生徒たちはそれぞれの課題で達成した成果を紙に印刷する。
未来の子供たちにとっては、わざわざ紙に出力することすら珍しいことだったのかもしれない。
それでも全員が、自分たちの手で作った成果物を大事そうに手にして帰っていった。
そして、その日を境に、少しずつ変化が始まった。
全国の教育機関から、見学や体験学習の申し込みが次々と入るようになったのである。
一校終われば、また次の学校から申し込みが届く。
施設の噂が広がるにつれて、今度は一般の大人たちまで訪れるようになっていった。
誰もいなかったはずの真新しいオフィスに、少しずつ人が集まり始めていた。
仕事のない世界に来たはずなのに、自分が最後に作ったのは、仕事をする場所だった。
そして今、そこへ来る人たちもまた、自分の意思で「仕事」を選んでいる。
直人は、今日も人の集まり始めたフロアを眺めながら、静かに笑っていた。
やがて施設には、体験者の目的やレベルに合わせた細かなコースまで用意されるようになった。
短いものなら数時間。長いものになれば、何日も通い続ける。
<プロフェッショナル・コミットメントコース>
<メンタルタフネス・逆境耐性超越コース>
<コミットメント型・目標絶対達成(KGI)コース>
<ハイエンド・カスタマーサクセス&交渉術体得コース>
<フルタイム・フルコミットメントワーク体験>
<超短期集中型・プロジェクト完遂ブートキャンプ>
<全方位型次世代ビジネスリーダー総論>
施設内には、それぞれの体験に合わせた専用の部屋まで用意された。
「新人研修室」
「上司応対訓練室」
「顧客対応センター」
「納期管理室」
「残業体験フロア」
「管理職体験フロア」
「退職相談室」
聞こえだけなら、いかにも立派な人材育成施設であるが、やっていることは単純だった。
要するに、ブラック企業体験である。
いわば、大人のキッザニアを少しばかり黒くしたようなものだった。
もっとも、未来の人間たちは昔のように給料をもらって仕事をするわけではない。
そこでアーバスと協力し、体験をより楽しんでもらうため、施設内での成果をポイントとして数値化した。
課題を達成すればポイントが入り、難しい目標をクリアすれば星が増える。
一定の成績を収めれば表彰され、ポイントに応じて特典まで用意された。
誰がどれだけ仕事をこなしたのか。
どれだけ困難な課題を乗り越えたのか。
どれだけ長く働き続けたのか。
ありとあらゆる成果が数値化され、自分がどこまでやれたのかが目に見える形で残されていく。
すると、不思議なことが起こった。
最初は軽い気持ちで参加していた人間の中から、次第に本気になる者が現れ始めたのである。
一度ついた星の数を増やそうとする者。
昨日よりも高いポイントを獲得しようとする者。
他人の記録を見て、それを上回ろうとする者。
有能か無能かなど関係ない。
ストレスを与えられても、納期を詰められても、上司役のアバターに怒鳴られても、ひたすら通い続ける者まで現れた。
直人は、そんな人間たちを眺めながら、少しだけ思った。
これはもう、仕事体験というより……下手をすると、宗教なんじゃないか。
もちろん、本人たちはいたって楽しそうだった。
「今日こそ最高記録を更新するぞ!」
「あと二百ポイントで課長認定だ!」
「昨日の俺を超える!」
そんな声が、かつて人間が働いていたオフィスを再現したフロアに響き渡る。
百年以上前、人間は生活のために仕事をしていた。
そして今、人間は仕事を楽しむために、この場所へやって来る。
直人はその光景を眺めながら、思わず苦笑した。
「……やっぱり、人間って変わらないな」 直人41歳の春のことだった。
その後のサタミグループの活動として、様々なサービスが展開され、昔の会社帰りの飲み会を再現した「サタミ酒場」が人気施設となる。
注文、調理、配膳、会計、清掃までを人間が行う、21世紀型飲食店の体験施設として営業を開始した。
何故か、お客として利用するよりも店員として働きたがる人が続出した。
その後「サタミ通商労務サービス」は日本各地に支社を称するブラック企業体験施設を次々と開設。
過去の労働文化を体験できる施設として人気を集め、一種の社会現象となった。
その後も施設は増え続け、長年にわたり人類の労働文化を伝える施設として存続することとなる。
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それから長い月日が流れた。
佐々木直人は70歳になったことを期に、サタミグループ会長の座を退き、退任することとなった。
体力の衰えもあったが、それ以上に組織が大きくなりすぎてしまい、自分一人ですべてを見ることができなくなったことへのジレンマもあった。
多くの幹部と共に、サタミ酒場で盛大な送別会が開かれた。
次は何をしますかと尋ねる者、これからどう進めたらいいのでしょうかと、不安そうに尋ねる者。
人それぞれが直人の退任を惜しみ、別れの言葉を連ねた。
送別会も終わり、直人は親しい幹部たちに、
「また顔を出すこともあるよ。頑張れよ」
そう声をかけると、一人で町の中へ消えていった。
思えば、自分の人生は長いようで短かった。
どうして未来に飛ばされたのかは分からなかったが、不自由することなく人生をやり遂げたという満足感でいっぱいだった。
酔った体には、9月の爽やかな夜風が心地よかった。
久々にたくさん飲んだ。
酔い覚ましにと、あてもなく歩いていた直人だったが、ふと気がつくと、ビルとビルの隙間に小さな鳥居が立っているのが見えた。
「……神社?」
こんなところに神社があったのかと、直人は少しだけ足を止めた。
鳥居の向こうには、小さな境内があった。
別に神社に用があったわけではない。ただ、なんとなく見覚えがあった。
境内へ入り、社殿の軒下まで歩いていくと、直人はその場に座り込んだ。
どうせ会社は退任したんだ、明日のことは考えず、しばらくここで休もう。
直人は賽銭箱を背にして座り、昔のことを思い出していた。
そういえば、100年後に飛ばされた時も、こんな感じだったような……。
そこまで思い出したところで、直人はふと背中の賽銭箱を振り返った。
酔った頭で何を思ったのか、何十年もお守りのように持ち歩いていた財布を取り出す。
中には確か、千円札が何枚か入っていたような記憶があった。
直人はそれを確かめることもせず、財布の中身をまとめて、そのまま賽銭箱へ放り込んだ。
「……神様、仏様、誰でもいいです」
「僕は、仕事から逃げたかった、それだけだったのに……」
「この世界は本当に素敵でした。無理をお願いして、すみませんでした」
「私に生きる意味を教えてくれて、本当にありがとうございました」
それだけ言うと、直人は静かに目を閉じた。
2162年9月11日。佐々木直人、70歳。
サタミグループ会長の座を退き、退任。
送別会で飲酒した後、謎の失踪。
佐々木直人のその後の記録は残っていない。
本当は最終話で、無理矢理盆踊りの練習に参加させられるお話や、小鳥遊君が酒場で苦労するお話を書いていたのですが、すべてカットしました。
直人のその後については、特に考えていません。
その先で何をしているのか、どこへ行ったのか。
皆さんのお好きな想像にお任せします。




