第10話 与えられた権利
直人が人類文化体験館に通い始めてから、2年が過ぎていた。
最初の頃は、参加者の一人として昔の文化を体験する側だった。
ところが、パソコンを操作させてみれば誰よりも手際がよく、古い記録媒体や、今では使われなくなった機器の扱いにも詳しい。
少し前まで実際に会社員として働いていたのだから、当然と言えば当然なのだが、百年以上前のコンピューターを知っているというだけの人間とは違う。
そんな直人を施設側が放っておくはずもなかった。
最初は参加者に操作方法を尋ねられたときに教える程度だったものが、いつの間にか正式なインストラクターとして扱われるようになっていた。
もっとも、本人には大したことをしているという自覚がない。
パソコンの電源を入れて、画面を見ながら説明する。マウスを動かして、ファイルを開いて、文字を入力する。表計算ソフトを使う。
そんなことは、直人にとって会社員時代には当たり前で、仕事で毎日のようにやっていたことを、人に教えているだけなのだ。
だから、参加者から「すごい」と言われるたびに、直人の方が戸惑っていた。
昔の自分なら、パソコンが使える程度で褒められることなどなかった。むしろ「これくらいできるよね」と言われて、新しい仕事を追加されることの方が多かった。
百年という時間が経てば、当たり前だった技能も立派な文化遺産になるらしい。
そして、そんな活動を続けているうちに、直人自身も人類文化体験館へ通うことが苦ではなくなっていた。
昔のコンピューターを見て驚く人もいれば、当時の会社について質問してくる人もいる。
直人にとっては何でもないような話が、未来の人間にとっては百年前の貴重な体験談になる。
仕事を辞めて、何もすることがなくなったら退屈するだけだと思っていたが、人と接することで直人自身も楽しいと感じることが多かった。
ある日、帰宅した直人を、いつものようにアィーダが出迎えた。
<お帰りなさいませ、直人様>
「ただいま」
直人は靴を脱ぎ、いつものように部屋へ入った。
すると、アィーダが続けた。
<直人様、おめでとうございます>
「え、何が?」
<社会的評価が上昇しました>
「……なんの評価?」
直人には何のことなのか、すぐには分からなかった。
アィーダによれば、これまで直人が人類文化体験館で行ってきた活動が、人類社会の文化継承や教育に貢献する行動として認められたらしい。
その結果、一定以上の評価を得た者に与えられる、社会的活動の自由度が拡大したという。
<これまで一般の市民には認められていなかった、一部の活動を行う権利が認められます>
「へえ……」
直人は、あまり興味がなかった。
仕事をしなくても生活できるこの時代では、人間が好きなことをすること自体は珍しくない。
それでも、一定以上の社会的貢献をした人間には、さらに特別な活動が認められるらしい。
例えば、自分で土地を取得して畑を持って農業を行うこと。
漁師のように大量に魚を捕ったり、船でカジキやマグロを釣ったり。
そうした行為は、未来の社会では誰もが自由にできるものではない。
効率や環境保護、安全性などの理由から、食料生産はほとんどAIとロボットによって管理されている。
人間がわざわざ自分の手で土を耕し、種を植え、魚を捕る必要などないからだ。
それでも、一定の評価を受けた人間には、「自分の人生を自分で使う」ための選択肢として、それらを行う権利が与えられる。
直人がこの世界に来た時、実際に畑を耕していた人がいた。あれも今考えれば、認められた権利の一つだったのだろう。
「俺は別にいいかな、土地を持っても仕方ないだろ」
<承知しました。その他にも権利があります>
「まだあるの?」
<はい。例えば火星および宇宙コロニーへの移住権です>
「……火星?」
さすがに直人も少し驚いた。
しかし、考えてみれば、この時代には宇宙へ人間が住んでいる。
以前から説明を受けていたことなので、火星という単語自体に驚いたわけではない。
問題は、それが「評価が上がった人に与えられる権利」の一つとして並んでいることだった。
さらにアィーダは、南極や北極などの一般人の立ち入りが制限されている保護区域への入域権や、車を個人で所有して自分で運転する権利まで紹介してきた。
アィーダが端末に表示した映像を見ながら、直人はつぶやいた。
「カタログギフトかよ」
火星移住のような人生を変えてしまいそうなものから、趣味の延長にしか見えないものまで、妙に幅広い。
そして、その中に直人の目を止めるものが一つあった。
「事業を起こす権利?」
それだけは、少し気になった。
説明を読んでみると、過去にこの制度を利用して事業を起こした人物の記録が表示された。
今からおよそ四十年前、まだ世界に貧困や食料不足が残っていた時代、その人物はこの制度ができた年に自分の権利を行使して大量のロボットを利用し、自らのブランドによる食料品を大量に生産し、それを必要としている人々へ供給したという。
当時としては画期的な規模で、結果として、その人物の故郷である貧しい地域の生活水準は大きく改善され、やがて活動は国全体に広がっていった。
今の時代から見れば、ほとんど信じられないような話だった。
食料が足りず、生活に必要なものが手に入らない時代が、ほんの数十年前まで存在していたのだ。
直人は、その人物の記録を読みながら、少しだけ感心した。
自分の利益だけを求めるのではなく、自分の持っている力を故郷や人々のために使う。
昔の言葉で言えば、ノブレス・オブリージュとか、そういうものなのだろう。
「こういう人が偉人になるんだろうな」
直人がそう呟くと、アィーダが補足した。
<なお、その人物の故郷には功績を称える銅像が建てられています>
「そりゃそうだろうな」
<それに関連して、直人様には自身の銅像を建立する権利もあります>
「……は?」
直人は思わず画面を見直した。
次のページには、【自分の銅像を建てる権利】と書かれていた。
「えらいショートカットされてるな、なんでそんなものまであるんだよ」
<功績を認められた人物が、後世へ自身の功績を残すことを希望した場合に利用できます>
「いや、いらんだろ」
直人は思わず笑った。
さっきまで宇宙移住だの南極だのと言っていたと思ったら、その隣に自分の銅像を建てる権利が並んでいる。
宇宙へのチケットと銅像が、同じ「権利」の一覧に入っている。
さらにページをめくると、もっと妙なものがあった。
過去の事例として、ある人物が自分で町を作った記録まで載っていた。
「町?」
<はい。土地の取得、都市計画、必要な施設の整備などについて、一定の条件を満たした上で実施された事例があります>
「個人で町を作ったの?」
<はい>
「リアルシムシティかよ」
自分で町を作るなんて、普通に考えればとんでもないことだ。
だが、この世界では、それすらも「本人が望むならやってみてもいいですよ」という選択肢の一つになっている。
しかも、カタログに載っていないことでも、社会に害を及ぼすものでなければ、申請して認められる可能性があるという。
つまり、この社会では、一定の評価を得た人間に対して、かなり広い範囲で「自分の人生を好きに使う権利」が与えられている。
直人はそのことに、少しだけ考えさせられた。
全て保証されて何もしなくていいこの社会で、「もっと好きなことをしていい」とまで言ってくる。
何をするのかは、自分で決めろ。
何を成し遂げるのかも、自分で決めろ。
この世界では、それが当たり前なのだ。
直人は一覧を眺めながら呟いた。
「俺、今の生活で結構満足してるんだよな」
直人が今、一番楽しいと思っているのは、人類文化体験館で人と話すことだった。
昔のパソコンを知らない人に操作方法を教え、驚かれ、質問される。
自分にとっては当たり前だったことが、未来の人間にとっては珍しい。
その違いを話すのも面白かった。
「まぁ、今はいいや」
<銅像が嫌なら石像もありますよ、5千年は残る計算です>
「作らんでいい」
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それまでと変わらず人類文化体験館へ通う日々がしばらく続いた、ある日のこと。
直人は施設の管理を担当しているというAIから呼び出された。
指定された部屋で待っていたのは、アーバスと名乗るAIだった。
人類文化体験館だけでなく、企業や研究機関などの管理運営にも関わっているAIらしい。
<初めまして。私は企業・研究の最適化を司るAI、アーバスと申します。今回お呼び出しした理由についてですが、直人様の教室が、実は大人気でして>
「大人気?」
<予約がいっぱいになり、最近では受講できないことについて苦情が出始めています>
直人は思わず首をかしげた。
「でも、いつも10人くらいで、特に盛況というわけではないですよ?」
<直人様の負担にならないよう、参加人数を調整しています>
「あ……」
言われてみれば、確かにそうだった。
最初からずっと、生徒は10人程度だった。誰かが抜けると新しい人が入ってきて、人数が増えることも減ることもない。
直人は、それがたまたま施設側の定員なのだと思っていた。
ところが実際には違った。
アーバスの説明によれば、直人が行っている授業の内容をAIが学習し、その指導方法まで含めて再現できるようにしたことで、ここ1年ほどの間に全国各地で同じような授業が行われるようになっていたという。
さらに、その内容を利用した通信教育まで広がり始め、今ではちょっとしたブームになりつつあるらしい。
「……俺の授業が?」
<はい。非常に高い評価を得ています>
直人は、なんとも言えない顔でアーバスの説明を聞いていた。
自分としては、昔会社で使っていたパソコンの操作を教えているだけだ。
電源を入れて、マウスを動かして、ファイルを開いて、文字を入力する。
表計算ソフトを使って、昔の人間がどんなふうに仕事をしていたのかを説明する。
生徒からの質問があれば答えるし、昔の苦労話などもすることがあった。
そんなものが、全国で授業になっている。
しかも、その内容をAIが学習して、本人がいなくても同じことを教えられるようになっている。
直人が少し面白いと思ったのは、この世界には著作権というものがほとんど存在しないらしいことだった。
自分の授業をAIがコピーして全国で使っているのに、許可を求められたわけでもなければ、使用料をもらったところで、お金の概念などないので意味がない。
もちろん、それを嫌だと思っているわけではない。
むしろ、自分が教えたことが全国で広がっているという事実の方が面白かった。
ただ、まさかそんな大変なことになっているとは思っていなかった。
人類社会への貢献が認められ、権利がもらえるということは、何となく著作権料の代わりなのかなと思った。
<そこで改めて確認させていただきますが、直人様は、先ほど認められた権利を行使するお考えはありませんか?>
「うーん……特にないかな」
直人は少し考えたものの、やはり答えは変わらなかった。
今のところ、人類文化体験館で人に昔のパソコンを教えているだけで十分だった。
「別に、そんな大したことをしたつもりもないし。権利とか言われても、いらないですよ」
アーバスは少し間を置いてから、淡々と答えた。
<そうですか。銅像を建てることも可能ですが、本当に要りませんか?>
「おまえもかよ」
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家に帰った直人は、ソファに腰を下ろすと、アィーダを呼び出した。
「なあ、アィーダさんや、今日、アーバスという奴にも権利を行使しろって言われたんだよ」
<承知しております>
「そういえばさ、お前らって何種類あるの?」
<現在、この世界を管理する中核AIは、私を含めて3体です>
「3つしかないの?」
<はい。私は生活・一般・汎用型AIのアィーダ。企業・研究・技術分野を担当する特化型AIがアーバス。そして、環境・インフラ分野を担当するAIがアトモスです>
「まあ、いいや。それより聞きたいんだけどさ、どうして俺の授業が全国に広がってることを黙ってたんだ?」
<直人様は、人類文化体験館での活動を楽しんでおられました。そのため、余計な情報をお伝えすることで、現在の生活に変化を与える必要はないと判断しました>
「……まあ、そう言われると分からなくもないけど」
直人は頭をかいた。
「しかし、全国で同じ授業をやってるって、いったいどういうことなんだ?」
<この社会は広いように見えて、情報の伝達速度は非常に速いのです。ある場所で発生した新しい体験や知識が評価されると、短期間で全国へ広がります>
「なるほど」
<特に、直人様の授業は、過去の人間が実際に行っていた仕事を、当時の道具を使って体験できるという点が評価されました>
「……仕事」
自分がやっているのは、昔のパソコンを使ってみたり、表計算ソフトを触ってみたり、当時の会社員がどんな仕事をしていたのかを説明したりすることだ。
直人にとっては、単なる暇つぶしの延長に過ぎなかった。だが、参加者たちが感じていたものは、どうやらそれとは違っていたらしい。
「昔の人間は、こんなことをしてたんですか?」
「これを全部手でやってたんですか?」
そんな質問を何度もされた。
そして今では、その体験を求める人間が全国にいる。
直人は小さくつぶやいた。
「みんな、働いてみたいんだな」
<正確には、労働そのものではなく、労働という体験を求めているものと考えられます>
直人は苦笑した。
この世界では、仕事をしなくても生きていけるからこそ、昔の人間が当たり前のようにやっていたことが、今では珍しい体験になっている。
なんとも皮肉な話だ。
「なあ、アィーダさん」
<はい>
「前に、権利を行使することについて聞いたよな」
<はい。社会に対して反社会的な影響を及ぼすものでなければ、かなり広い範囲の活動が認められています>
「例えばさ、不動産とか。好きな場所にビルとか作ってもらえるのか?」
<可能です。ただし、既存の居住者や保護対象地域などに影響を与えないことが条件となります。定住者の存在しない場所であれば、施設の建設も可能です>
「そうか……分かった、権利を行使する」
アィーダから、いつもの淡々とした声が返ってくる。
<承知しました。どの権利を行使されますか?>
直人は、これから自分が作ろうとしているものを思い浮かべながら、口を開いた。
「俺が求めるのは……」




