第八話 型紙
若田さんが帰った翌日から、ヨシコさんは型紙を引き始めた。
寸法表を使わなかった。
机の上に大きな紙を広げて、昨日の観察を反芻するように、鉛筆を動かした。
私はその隣に座っていた。
「見ていていいですか」
「邪魔せんなら」
邪魔にならないよう、息を潜めて見た。
ヨシコさんの鉛筆は、寸法から引かれていなかった。体の輪郭から引かれていた。若田さんの肩の傾き。胸郭の広がり方。呼吸のリズムが入ったときの形。
ヨシコさんはたまに目を閉じた。
「何をしてるんですか、目を閉じると」
「昨日の体を思い出しとる」
「写真や数値じゃなくて?」
「写真は、止まっとる体よ。私が縫うのは、動く体やけん」
私はその言葉を書き留めた。
型紙が半分できたところで、ヨシコさんが鉛筆を置いた。
「呼んで」
「誰をですか」
「トミエを」
浜田トミエさんを呼びに行った。トミエさんはミシンの前にいた。
「ヨシコさんが呼んでいます」
トミエさんは何も言わずに立った。
二人は型紙の前で向き合った。どちらも黙っている。ヨシコさんが指先で一箇所をなぞる。トミエさんが見る。小さく頷く。
「ここの縫いしろ、広めに取った方がよかね」
「そう思った。無重力で布が浮く分、縫い目の張力が変わるかもしれんけん」
「縫い方は、扁平縫いで行けるとね」
「普通の扁平縫いじゃ引っかかりが出るかもしれん。考えよる」
二人はそれだけ話して、また黙った。
私には半分しか理解できなかった。でも、二人の間にある情報量は、私の言語をはるかに超えていた。
その日の夕方、社長が私に言った。
「あんた、今日のやり取り、全部記録しとるね」
「メモは取っています」
「それ、もう少し丁寧に書いてくれんか。JAXA(宇宙開発の国家機関)へ定期報告が要るけん」
「……私が書くんですか」
「あんたが一番、両方の言葉がわかるけんね」
通訳という言葉が、また浮かんだ。
私はノートを広げた。
今日見たことを、整理し始めた。
ヨシコさんの型紙の引き方。寸法より先に体を読む順番。トミエさんとの無言のやり取りに含まれていた縫製の判断。
言語にならないものを、言語にする作業だった。
それは、東京でやっていた仕事と似ていた。でも、向きが違った。
東京では、人間の言葉を数値に変換していた。
ここでは、身体の言葉を人間の言葉に変換している。
どちらが正しいのか、まだわからない。
でも、今の方が、少しだけ、手が止まらなかった。
了
次回 第九話 糸




