第七話 来訪
若田さんが工場に来たのは、依頼を受けてから三週間後だった。
JAXA(宇宙開発の国家機関)側は最初、筑波での打ち合わせを提案してきた。私は社長と相談して、工場での対面を強く要請した。城島さんは少し驚いた様子だったが、若田さん本人が「ぜひ伺いたい」と言ったらしく、話はすぐにまとまった。
当日の朝、ヨシコさんは工場に来るなり窓を全部開けた。
「湿度を入れる」
「今日は曇りですが」
「曇りの方がよかとよ。乾きすぎとる日は生地が固くなる」
私は言われた通り、残りの窓も開けた。
サチコさんはその日の朝だけ、いつもと違う生地を縫っていた。
「練習?」
「手を慣らしとる。人が来る日は、ちょっと身体が固くなるけんね」
若田さんは城島さんと一緒に、昼前に着いた。
工場の引き戸を開けて入ってきた瞬間、若田さんは少し止まった。
「ミシンの音が」
「うるさいですか」
「いえ。……懐かしいなと思って」
若田さんの視線が工場の中を一周した。機械。生地のロール(巻き反物)。採光のための高い窓。
「祖母が洋裁をしていたので」
「ほお」
ヨシコさんが近づいてきた。
「あんたが若田さんね」
「はい。よろしくお願いします」
「立ってみて」
いきなりの指示に、若田さんは一瞬だけ戸惑って、それからすっと背筋を伸ばした。
ヨシコさんは若田さんの周りを、ゆっくり一周した。黙ったまま。視線だけが動いている。
一分ほど経って、ヨシコさんが言った。
「右の腰が、左より前に出とる。宇宙では逆になるかもしれん」
「……どういうことですか」
「無重力では、地上でのクセが出んくなる。今は右腰が前に出る立ち方をしとるけど、重力がなくなったら、身体は中心に戻ろうとする。そのとき、今の体型に合わせて縫ったものが、合わなくなる」
若田さんは黙って聞いた。
「宇宙での体型の変化は、データ(数値情報)がありますか」
「あります。過去の滞在記録を持参しています」
「それと、あんた自身の変化も教えて。前の滞在のときと、今とで、何が変わったか」
若田さんはしばらく考えた。
「前回より、肩が前に入るようになりました。デスクワーク(机仕事)が増えたせいかもしれません」
ヨシコさんが頷いた。
「見ればわかる。でも、自分で気づいとるのは大事なことよ」
採寸は、通常の数値だけでなく、ヨシコさん独自の観察が加わった。
呼吸したときの胸郭の広がり方。腕を上げたときの肩甲骨の動き。座ったときの背骨の形。
若田さんはその全部を、黙って受け入れた。
城島さんが私の隣で小声で言った。
「こんな採寸は初めて見ました」
「私もです」
昼を挟んで、三時間の打ち合わせが終わった。
帰り際、若田さんが私に言った。
「一つ、聞いてもいいですか」
「はい」
「ヨシコさんは、どうして宇宙での体型変化がわかるんですか。経験がないはずなのに」
私は少し考えた。
「たぶん、重力がなくなったとき、身体が『本来の形』に戻ろうとするということを、知っているからだと思います。生地でも同じことが起きる、とヨシコさんは言っていました。引っ張られていたものが解放されると、本来の形が出る」
若田さんはしばらく黙った。
「重さが欲しかった、と思ったことがあります。宇宙に行ってはじめて、重力は負担じゃなかったと気づいた」
「……それは」
「着ていることを忘れる布があれば、少しだけ地球の重さを思い出せるかもしれない。そう思っています」
私は何も言えなかった。
でも、ヨシコさんなら、それを縫えると思った。
了
次回 第八話 型紙




