第96話
先ほどまでいたセーフェルやゲマトリアと違い、エルディア村は街灯が非常に少ない。それでも十七年間使っていた道を間違えなどしない。まっすぐ実家へ向かうと、ソフィアは壁をすり抜けて中へ入った。
母のマーサは、すぐに見つかった。母は父のベッドにもたれかかるようにして眠っていた。起きている間は、ずっと泣いていたのかもしれない。サイドボードに置かれた蝋燭の光のおかげで、母の赤く腫れた目元がよく分かった。
母にせめて毛布をかけようと試みるが、ソフィアのたった一本しか出せない念糸ではなかなかうまくいかない。
「ほれ、貸してみろ」
見かねた様子で、ゲイルが念糸で包んだ両手を伸ばした。手甲をはめた両手は毛布を広げ、母にふわりとかけてくれる。それを終えるとゲイルは蝋燭に近づき、念糸を混ぜた吐息で火を吹き消した。
「ありがとう。ついてきてもらってよかったわ」
「おまえの念糸じゃ、ほとんどなにもできねえからな」
ゲイルが毛布をかけてくれたおかげで、母は起きたときに父かカチュア――本当はソフィアなのだが――のどちらかが来てくれたと思ってくれるかもしれない。それが少しでも母を元気にしてくれるようにと願いつつ、ソフィアは家の中を素早く見回った。
さほど広くない家だ。すぐに確認は終わる。
嫁いでいったことになっているソフィアの部屋は綺麗に片づいていたが、死んだことになっているカチュアの部屋はそのまま残されている。誰にも使われない部屋が増えていく家に母をひとり残してしまったと思うと、ソフィアは胸が締めつけられる思いだった。
そんな家のどこにも父の姿はない。ソフィアのようにトラブルがあったわけでもなさそうな父は、もうセフィロートへと旅立ったのかもしれない。父の霊が彷徨っていないと安心する一方で、もしも父の霊がいてくれたらなにが起きたのか直接訊けるのにと少し残念な気持ちになる。
そんなふうに考えていて、ソフィアは思い出した。この小さな村にも、一応酒場というものがある。
「村に一軒だけ酒場があるの。行ってみましょ」
いつまでも母を心配して家にいるわけにもいかない。
知人たちの家を回って安否を確認するよりは、情報の集まる場所でなにが起きているのか調べた方が早いと、ソフィアは考えた。情報が集まる場所は酒場だと、ソフィアはゲイルとの旅で学んだ。いくら田舎の酒場といえども、まだ宵の口であるこの時間にやっていないということはない。生きているときは酒場に行きはしなかったが、知らない場所などない小さな村だ。酒場の場所くらいは覚えている。
酒場への道中に、生者の姿はない。田舎ゆえかと思ったが、それが単に人口のせいだけではないと酒場に入って分かった。店内はぽつぽつと客がいるだけで、静かなものだ。酒場といえば賑やかな店ばかりを見てきたソフィアにとって、それは少し異様な光景に見えた。
「それで、ソフィアが……」
「次は俺たちが……」
ぼそぼそとした話し声が聞こえてくる。
ちょうど一組の客が帰っていくのとすれ違いに、二人連れの客が入ってきた。見覚えのある二人組は、ソフィアの父の友人たちだった。彼らが偶然ソフィアから近いテーブルへと着き、エールと軽食を二人分注文する。
「マーサは大丈夫かね。全然姿を見ないが」
「うちのかみさんが様子を見に行っているんだが、食事もほとんどとってないみたいだ。まあ、カチュアに続いてジェームスまでいなくなっちゃあな……」
「しかもジェームスを殺したのはソフィアだって? やってらんないよなあ、かわいそうに」
父の友人たちの会話に、ソフィアの耳が敏感に反応した。
父を殺したのはソフィア……もとい、本物のカチュアとは、どういうことだ。フレデリックたちはいつも夏の間しか村にいないのに。だからこそカチュアだけは無事だと思っていたのに、この晩秋のエルディア村にカチュアが来ているのはなぜだ。
混乱して頭がくらくらする。
「おい、大丈夫か?」
ゲイルの手が背中を支えてくれる感触があった。
「うん、大丈夫。ありがとう」
返事をして、ソフィアは父の友人たちの会話に更に聞き耳を立てた。
「だいたい妙な話だよなあ。あの元気の塊みたいなソフィアが、村に戻ってこなきゃならんくらい衰弱するなんて。いくらなんでも考えられんよ」
「元気いっぱいの娘だったもんな。妹のカチュアだっていうなら、気の弱い子だったからありそうな話だが」
「ソフィアは町で妙な呪いにでもかかったのかね」
「いずれにせよ、フレデリック様とソフィアが村にいる間は、要注意だな。次は俺たちが襲われないともかぎらん」
「まったくだ」
それ以降は、農作物の収穫量がどうだの、出稼ぎがどうだのというソフィアには関係ない話になってしまった。
「おまえの妹、ずいぶんいい家にでも嫁いだのか?」
ゲイルの言葉に、ソフィアは頷いた。
「あたしと間違えられたまま、貴族の家に嫁いだのよ。あたしと違ってちゃんと結婚相手を好いていたから、てっきり幸せにやってるんだろうと思ってたんだけど……」
どうやら現実は、ソフィアが思い描いていたものとは大きく違っているようだ。
大好きなフレデリックと結婚したはずのカチュアは、なぜ衰弱するほど不幸な目に遭っているのか。あの優しいフレデリックとその両親が、カチュアを虐げるとは考えられない。
それ以外にカチュアのストレスになりそうなものといえば慣れない生活だが、フレデリックがそばに寄り添っているはずのカチュアがそこまで疲弊してしまうものなのか。
それにたとえ嫁ぎ先でなにかがあったとしても、それが実父を殺したという話にどうやって繋がるのかが分からなかった。
「この村には、妹が嫁いだ家の別荘があるの。いつもは夏にしか使われないんだけど、今そこに妹が来てるみたい」
「おっさんたちの話を聞いてるかぎりだと、その妹がなんかやらかしてんのか」
ソフィアとゲイルが無言で見つめ合う。
村で起こった事件を知るには、別荘に行くしかない。そしてウィッテンが村に来ているのなら、目的地は別荘だとソフィアは考えている。
そしてゲイルは、そんなソフィアの考えを読んでいるに違いない。
暫しの無言が続いた後。
「……分かった、分かったよ。そこに行きてえんだろ? ここまで来たら仕方ねえからついてってやるよ。だからそんな目で見んな」
先に折れたのはゲイルだった。
「ありがとう、ゲイル。あなたって優しいのね」
「おまえに褒められても全然嬉しくねえよ」
げんなりとした顔のゲイルと共に、ソフィアはフレデリックの別荘へと向かった。別荘は村の端にあるが、小さな村だ。飛んで移動できるソフィアにかかればあっという間である。




