第95話
周囲の音がじわじわと遠ざかり、ソフィアの意識を懐かしい場所へと運んでいく。カチュアと一緒に遊んだあの場所の暗闇は柔らかく、ほんのりと暖かかった。
ゲマトリアに来たときのように、ぬるま湯に沈んでいくあの独特な感触がソフィアを包み込み――気がつくと、ソフィアは体を丸めていても窮屈なほど狭い場所にいた。小さな袋にでも詰め込まれたかのように、ゲイルと体を寄せ合う。互いの頬が触れ合うほど狭く、昔のように身動きなどとれる余裕はまったくなかった。
「おい、どこだここ」
「その話をする前に出ましょ」
「出ましょうもなにも、すり抜けられねえんだけど! おまえどこに連れてきたんだよ!」
「ゲイル暴れないでよ! ここ狭いんだから!」
「言われなくても分かるよ、狭ぇよ! 驚きの狭さだよ!」
どうにか抜け出そうと二人でもぞもぞ動いていると、突然闇が上へと持ち上がった。寄りかかっていた壁がなくなったかのように、二人揃って外へと転がり出る。そこはエルディア村の小さな教会だった。
「なにかがいると思えば、カチュアじゃないか。そっちは友達かね?」
ソフィアたちに声をかけてきたのは、エルディア村の老司祭だ。
エルディア村はかなり北方にあるので、秋や冬の冷え込みは厳しい。普段はウィッテンのような紺色の僧衣を着ている老司祭も、この時期は寒さ対策の為か裾が長く厚手のゆったりとしたローブを着ていた。
「くっそ、なにが悲しくて爺さんのローブなんか入らないといけねえんだよ」
ゲイルが涙目で呟く。
老司祭がソフィアを『カチュア』と呼ぶことについて、ゲイルは特になにも言わなかった。墓標の前で出会ったゲイルは、ソフィアが名前を間違えられていたという件を覚えているのかもしれない。
「仕方ないじゃない。はっきり思い出せる暗いところっていったら、ここしかなかったんだもん」
幼い頃のソフィアは、友人たちとかくれんぼをするたびにカチュアとよく老司祭のローブに隠れたものだ。
あの頃は体が小さかったので二人でこそこそと隠れられたのだが、すっかり体が大きくなった今、聖別されて通り抜けられないローブの中にゲイルと入るのはなかなか無謀だった。
「そうしていると、まるでソフィアと一緒に遊んでいた頃のようだな」
ソフィアとゲイルをローブから出した老司祭が、目を細める。
「神父様、その手どうなさったんですか?」
ソフィアが、老司祭の手の包帯に気づく。
「ああ、これは……なんでもないよ。儂がちょっとへまをしただけだ」
それにしては仰々しい見た目だが、ソフィアはそれ以上訊くのをやめた。それに手はともかくとして老司祭自体は元気そうなのだ。皆の安否を気にしていたソフィアは、ほっとした。
「それにしてもどうしたんだね? てっきり儂は、きみが旅立ったものだとばかり思っておったんだが。なにか心残りでもあったかね?」
まさか本物のカチュアと間違われているなんて言えない。ソフィアの視線が泳ぐ。
それを助けてくれたのはゲイルだった。
「こいつが村の外を見てえっていうから、一緒に旅してたんだ」
そんなゲイルの言葉に、ソフィアはこくこくと頷いた。我ながらとてもカチュアらしい行動だと思う。
「それがなぜまた村に?」
「懐かしくなって、つい。父たちは元気ですか?」
「ジェームスは……亡くなったよ」
「えっ」
ソフィアは耳を疑った。
たしかに父は村の医者から心臓に気をつけるようにとは言われていたが、そこまで深刻なものではなかったはずだ。生活環境に気をつける程度でいいと言われ、家族で「年かねえ」なんて父をからかったものだ。実際、父の具合が悪くなったところなど見たためしがない。
「ちょうどいい。ジェームスの墓参りでもしていきなさい。おまえさんの墓のすぐ隣だよ」
「父は、なぜ死んだんですか?」
「……ちょっとした事故だよ」
老司祭の含みのある言い方が、確実に村でなにかが起きていると語っていた。それがソフィアの家族に起こっているものなのか、それとも他の誰かが原因で父が巻き込まれたのかは分からない。
だがこれ以上突っ込んだ話がしたくても、老司祭は教えてくれなさそうな雰囲気を漂わせている。
「母は無事ですか?」
「ああ、マーサは無事だ。おまえさんの姿は視えないだろうが、よかったら様子を見に行ってみるといい。カチュア、念糸は使えるかね?」
「少しだけ」
老司祭が満足そうに頷く。
「器用なおまえのことだ。すぐに使い方を会得しただろう」
老司祭の言葉に、ソフィアは苦笑いをするしかなかった。もしも霊になったのが本当にカチュアなら、繊細で器用な妹は念糸を上手に操ったと思う。しかしここにいるのは、残念ながらソフィアだ。不器用な自分では、老司祭の期待に応えられないかもしれない。
そんなソフィアの気持ちなど老司祭が察するはずもなく、彼は嬉しそうに口を開いた。
「念糸が使えるのならば、マーサに気配を感じさせてやるといい。きっと少しは慰めになるだろうて」
ひとりぼっちになった家で、母はどうしているのだろう。ソフィアは急に心配になってきた。
「ねえゲイル、まずはお母さんの様子を見に行ってもいい?」
「そのへんは好きにしろよ。俺はただついてきただけだからよ」
ゲイルの言葉に甘えることにしたソフィアは、老司祭と別れて教会を出た。
墓地を巡ってみるが、父と思しき霊の姿はない。ひょっとしたら、父の霊は母を心配して家にいるかもしれない。ソフィアは実家へと急いだ。




