第94話
「お願い、ゲマトリアに連れてって。どうしても行きたい場所があるの」
「い・や・だ」
頼み込むソフィアに、ゲイルがご丁寧に一音ずつ区切って断る。
「おまえの頼みって、どうせウィッテン絡みだろ? わざわざ危ない目に遭いに行くのは賛成できねえな」
「うっ……」
ソフィアが頼れる者はゲイルしかいない。だが肝心のゲイルは、ソフィアがウィッテンに近づくのをこころよく思っていない。ウィッテンを追いかけてセーフェルに来たのはしょうがないという顔をしつつ許してくれたが、それ以外については常に難色を示していた。
だがソフィアとて、おとなしく引き下がる気はない。
「たしかにそれもあるけど、お父さんたちが心配なのよ。ウィッテンが行ったのは、あたしの故郷エルディア村よ。そこにウィッテンが行ったんだもん。お父さんたちや友達が無事なのかだけでも知りたいの」
この言葉は嘘ではない。本当に心配なのだ。それにゲイルに嘘をついたところで、ソフィアは嘘が下手だからどうせすぐにばれる。
「うーん、まあ、それを見るくらいならいいけどよ……」
家族の話を持ち出されては、ゲイルとしても断れないようだ。
「行くのはいいけどよ、行き先はちゃんとイメージできるんだろうな? 狭間に落ちたら、自力じゃ抜け出せねえんだぞ。さすがの俺でもどうにもできねえことはあるんだからな」
どうやらゲイルは、ソフィアについてきてくれるらしい。一人では村どころかゲマトリアまで行ける自信のなかったソフィアは、ほっとした。
カウンターへと向かったゲイルが、念糸を伸ばす。念糸でウィジャボードに置かれたコインを持ち上げると、ゲイルはそれでこつこつとボードを叩いてフィオナの注意を引いた。
「なに、アーウィン?」
ゲイルしかやらない呼び方に、フィオナが反応する。フィオナの視線がウィジャボードに向いたのを確認すると、ゲイルは暫く出かけることを告げた。
「ウィッテンたちの次は、あんたたち? どこに行くかは知らないけど、出かけるって言ったからにはちゃんと帰ってきなさいよね」
『分かってるって。任せとけ』
フィオナにこう応えるゲイルは、ソフィアにはどこか寂しそうに見えた。だがソフィアに質問させる隙を与えず、ゲイルが口を開く。
「そうと決まれば、まずはゲマトリアに行くぞ」
言うと、ゲイルは上階へふわふわ上がっていった。それにソフィアも続く。
ゲイルが向かったのは、使われていない部屋に置かれた古いクローゼットだった。たしかにその中ならば、真っ暗だ。
ゲイルが伸ばしてきた手を、ソフィアは握った。
ゲマトリアは暗闇の中で強くイメージすることで行けるとゲイルから教えてもらったが、ソフィア自身はまだ一回しかゲマトリアに行った経験がない。あの街並みに感動した記憶はあっても、はっきりと思い出せるほどではないのだ。ゲマトリアの街並みを確実に覚えているゲイルが一緒にいてくれなければ、ソフィアはあの町に辿り着けない。
現世とゲマトリアの狭間に落ちたら自力では脱出できないと聞いてしまったせいか、ソフィアがついゲイルの手を強く握ってしまう。硬質な手甲の感触があった。
「安心しろ、絶対離さねえから」
ソフィアの気持ちを汲んだかのように、ゲイルが手を握り返してくれる。
こういうとき、心が通じ合える友人がいてくれるというのは本当に心強い。死後にできた貴重な友人に、感謝の気持ちでいっぱいだった。
ゲイルに引っ張られるままに、クローゼットの中へと入る。戸をすり抜けるときの無感覚とは違い、中に入ると質量のある闇に沈み込んでいく感覚がソフィアを包む。ぬるま湯にずぶずぶと沈んでいくような感触が、全身を包み込んでいく。
思わずソフィアは両目をぎゅっと閉じた。
ゲマトリアに行くのは二度目だが、闇を抜けるこの感触は慣れる気がしない。
ずるり、と膜を一枚突き抜けるような感覚の後で、体がふわりと軽くなる。
目を開けるとそこは、街灯や店の窓から漏れる灯りなどが煌めく通りの一角だった。つるりと滑らかな石畳の道を行く人々は皆、ふわふわと体が浮いている。
すべてが大量の念糸をより合わせて作られたこの町が、ゲマトリアだった。生者の町のように作られているので、現世と同じようにゲマトリアでも昼夜が再現されていた。酒場や屋台からは、愉快そうな笑い声が漏れ聞こえてくる。
この町では、死者も生きていた頃のように様々な体験ができた。
ソフィアが初めてゲマトリアに来たきっかけも、食事をする感覚が恋しいと口にしたことだ。それを聞いたゲイルが、ここに連れてきてくれた。
「今日はなんか食ってくか?」
前回屋台の料理を堪能しまくったソフィアに、ゲイルが訊いてくる。ソフィアは首を横に振った。
「ううん、今日はいいかな。それよりも先を急ぎましょ」
「いいぜ。じゃあ行き先をイメージしてみるといい。やばくなりそうになったら俺がどうにかするから、ゆっくり集中してやってみな」
ゲマトリアから出るには、行き先をイメージするようだ。ゲイルの手を固く握ったまま、ソフィアはカチュアとよく遊んだあの場所を思い出そうと意識を集中した。




