第93話 ソフィア
「ねえソフィア、いる?」
いつものように日が暮れて、フィオナの店が開く。開店から間もなくして、フィオナがソフィアを呼ぶ声が響いた。
昼間はフィオナが睡眠中だったり仕入れに出かけているので、彼女がソフィアを呼ぶのはいつも店が開いてからだ。
ソフィアが念糸をフィオナのポニーテールに引っ掛けて揺らし、自分の存在を報せる。毎日ウィジャボードを使っていたおかげで、パスタのような太さのたった一本の念糸でも、少しは繊細な動きができるようになっていた。ゲイルにも散々言われたが、日々の練習は本当に大切だ。
「ああ、いたのね。あなたに手紙が届いてるわよ」
そう言うと、フィオナは二つに折られた紙を開いてカウンターに置いてくれた。
死者であるソフィアに、いったい誰が手紙をくれるのか。不思議に思いながら覗き込んだ紙には、整った文字が並んでいる。最後に書かれているサインは、ウィッテンのものだった。
彼がわざわざソフィアに手紙を書いてくれるなんて、初めてだ。なにが書かれているのかと、胸を躍らせ文面に目を通す。
内容は、エルディア村に行くので暫くフィオナの店に来られないこと、そしてそれを詫びる簡単なものだった。
ウィッテンがわざわざソフィアに教えてくれたのは嬉しいが、彼の行き先がエルディア村というのが気になった。
晩秋のエルディア村を、フレデリック一家が訪れたことはない。彼らが来るのは、いつも夏だけだ。そうであるからにはカチュアになにか起きたわけではないと思うが、村にはソフィアの両親や生前仲良くしていた友人たちもいる。皆の安否が気になった。
「ソフィア、この手紙とっておく?」
『ううん』
フィオナの問いに、ソフィアはウィジャボードでそう答えた。
本当は、その手紙をずっと持っていたい。しかし既に死んでいるソフィアが、ウィッテンの手紙を誰にもばれずに肌身離さず持ち歩くなんて無理だ。服の中に隠そうにも、手紙はソフィアをすり抜けてしまう。念糸でぐるぐる巻きにすれば持ち歩けなくもないが、それでは手紙が丸見えだし、宙に浮く手紙を誰もが気にするだろう。それにそんな行動がウィッテンにばれてしまうのは、恥ずかしい。
せめてもの思い出にと、ウィッテンらしい整った文字と、優美なサインを目に焼きつける。こうして思い出として持ち歩くしか、ソフィアにはできなかった。
『アーウィンを捜してくるわ』
そうフィオナに告げると、ソフィアは上階へと上がった。ちらりと見た店内にはアーウィンことゲイルの姿はなかったので、二階でもいるのかと考えたのだ。
ウィッテンのエルディア村行きについて相談できる相手は、ゲイルだけだ。
以前ゲイルは、ソフィアを『死者の町ゲマトリア』に連れていってくれたことがあった。そのときに、「ここはこの世のすべての闇と繋がっている」と言っていたような気がする。それが本当ならば、エルディア村のどこかとも繋がっているはずだ。
こういうときにかぎって、二階のどこを探してもゲイルが見当たらない。それでもフィオナの部屋だと教えられたところに立ち入るのは、さすがにソフィアも気まずかった。
フィオナの性格からして、ソフィアが部屋に入っても気にしなさそうではある。それでもそこに入るだけの勇気は、ソフィアにはなかった。過去にウィッテンが宿泊していた部屋に入り、エリオにさんざん怒られ、それ以来煙たがられている。それが余計にソフィアを足止めする要因になっていた。
二階の探索を諦めて一階の店部分に降りると、そこにゲイルはいた。どこかで入れ違いになったらしい。店の端に置かれた操り人形のそばでふわふわと浮いているゲイルは、なにやら難しそうな顔をしていた。最近は考え頃をしているときが多いゲイルだが、今日は特に声をかけにくい雰囲気を醸していた。
ソフィアがためらっていると、その気配にゲイルが気づいたのだろう。彼がなにもなかったかのように、声をかけてくれる。
「おう、どうしたソフィア。相変わらずカワウソみてえな顔して」
「一言余計だけどまあいいわ」
最近では、ソフィアもカワウソに似ていると言われるのに慣れてきていた。それによくよく思い出してみると、カワウソは目がくりくりして愛らしい。きっと『カワウソみたいな顔』とは『カワウソのように目が特徴的な、愛嬌のある顔』という誉め言葉だと思うようにしていた。
「ゲイル、ゲマトリアって本当に世界中のどこの闇とでも繋がっているの?」
「どうした突然」
「行きたいところがあるのよ」
「場所にもよるけど、だいたいどこの闇とも繋がっているぜ。行きたいと願えば、そこに行けるように作られた町なんだ」
ただし、とゲイルが続ける。
「移動先は、おまえが知っている場所じゃないとだめだ。はっきりと思い浮かべられる場所にしか行けねえんだよ。曖昧なイメージのまま闇を渡ろうとすると、現世とゲマトリアの境目に落ちて、戻れなくなっちまう」
「はっきりと思い浮かべられる場所……」
ソフィアが記憶を探る。はっきり思い出せる場所といわれても、すぐに思い浮かぶような場所がない。どこか、ソフィアの記憶に強く残る暗闇はあっただろうか。
村や家の中をひとつひとつ思い出していて、ソフィアはある場所を思いついた。幼い頃、カチュアとよく入ったとても暗い場所がある。そこは今年も存在するはずだ。




