第92話
玄関のドアが閉まる音に続いて、エリオが大きなため息をつく。
「ちょっとウィッテン、せめて村行きの内容を聞いてからどっちにするか決めてくれないかな?」
「決めるもなにも、俺がどちらを選択するかなんて最初から決まっていたじゃないか。猊下もそれを見越して行動していただろう?」
「そりゃあそうなんだけどさあ」
ウィッテンの社交界嫌いは、なにも今に始まった話ではない。そもそも華々しい場所に出るのを嫌う性格だ。長年付き人をしているエリオは、もちろんウィッテンのこの性格を知っている。
小さな頃から容姿を褒められることの多かったウィッテンだが、容姿にばかり注目されるのは好きではなかった。綺麗なものを見て満足したいのならば、宝石なり花なり好きに見ていればいいではないかと思ってしまうのだ。
「ウィッテン、せめてお茶くらいは飲んでから行くよね?」
「そうだな」
ルーエルも朝食はしっかり食べるように言っていた。ゆっくりと朝を満喫するくらいは許されるはずだと、ウィッテンは考えた。
それにせっかくエリオが、ウィッテンの好物を仕入れてくれたのだ。少々長くなりそうな仕事に出かける前に、せめて一度くらいは味わっておきたかった。
ルーエルが嵐のように去っていった部屋で再び食卓について、ウィッテンはふと思い出した。
「そうだエリオ、途中でフィオナの店に寄ってもいいか?」
「いいけど、この時間だしフィオナ寝てるんじゃないかな」
「置き手紙をするだけだ」
置き手紙をする相手、ソフィアはまだしばらくはフィオナの店にいるような話をしていた。一昨日礼拝堂に来たのを考えるに、ウィッテンがいない間に大聖堂を再訪する可能性があった。
ソフィアが昇天したとて、ウィッテンはなにも困らない。しかしフィオナの店でまた会えるのを楽しみにしていたソフィアに、『霊に優しい聖職者』としては暫くセーフェルを離れることくらいは伝えておくくらいはしてもいいかと思えた。いくらソフィアの瞳がオレーリアと同じ色だからといって、特別な感情を抱いているわけではない。
「ところでエルディア村ってどこだろうね」
エリオが壁に貼られた地図に目をやる。自然とウィッテンもそちらを見た。
たしかルーエルは、北方の村だと言っていた。教会で飼育している飛竜を使う際は、飛竜が自力で教会に日帰りできるだけの距離でしか使えない。地方の教会には飛竜の発着に使う裏庭があるものの、世話までは無理だからだ。ルーエルの話では、その飛竜を限界まで飛ばしてもまだ着かず、馬での移動が必要なほどの遠方らしい。
ウィッテンたちの目線がどんどん地図の上の方へと移動していく。地図に引いておいた飛竜の飛行限界距離を示す赤い線を越える。そうして発見したのは、北側の国境近くにある山村だった。
「うわあ、めちゃくちゃ遠いじゃん。こないだ行ったノルンの比じゃないよ。これ、帰りは何日かかるだろうね」
ウィッテンと同じタイミングで村を見つけたらしいエリオが、驚いた声を上げる。
「うーん、まあ、ちょっと長い旅行になるとでも思っておけばいいか」
なにをしに行くのかもわからないウィッテンに随伴して、辺境の地まで行くのだ。普通なら嫌がりそうだが、エリオの反応は前向きだった。
よほどの理由がないかぎり、帰路はいつも馬車を乗り継いだりして移動するので、たしかに旅行のような気分だ。そのせいか、エリオは任務で遠出する際に向かう地域ごとの旅行本を携帯していくのを、ウィッテンは知っている。
今回はかなり日数がかかりそうだが、エリオならばなんだかんだ楽しんでくれるのではという思いがウィッテンにはあった。エリオは自分で楽しみを見つけて、旅行気分を満喫するのが上手だ。
「これは……先に大家さんに家賃を払っておいた方がよさそうだな」
村の位置を確認したウィッテンが真っ先に気にしたのは、家賃の支払い日だった。隣家に住む大家の老婆は、ウィッテンがエクソシストとしてあちこち出かけるのを理解した上で、家を貸してくれている。家賃の支払いが遅れたからといって嫌な顔をされたことは一度もない。しかし日頃世話になっているからこそ、ウィッテンは彼女になるべく迷惑をかけたくなかった。
「俺が行ってくるから、その間に支度は任せていいか?」
「そうだね。ウィッテンが荷造りするよりも、僕がやった方がはるかに早いもんね」
「いや、そうじゃなくてだな」
「冗談だよ」
いつでも出動できるように、ウィッテンたちは普段から二人分の簡単な荷造りをしてくれていた。しかし最後の仕上げとなると、なにを荷物に追加するかはエリオに判断を任せた方が効率よく進む。なにが必要になるのかを考えるのが、エリオは上手い。旅先でウィッテンが困ったときは、必ずエリオが必要なものを持ってきていた。
それに、一応ここの家主はウィッテンだ。大家に挨拶がてら家賃を支払いにいくなら、自分が行った方がいい。




