第9話
「エレナ! エレナ!」
「ソフィアちゃんじゃない。どうしたの?」
鼻息も荒いソフィアとは対照的に、メイド服姿も優雅なエレナは落ち着いたものだ。そんなエレナの両肩を、ソフィアは力強く掴んだ。エレナの細い肩の手触りがメイド服越しに伝わってくる。
「すっごいイケメンのエクソシストが来たの! なにか知らない? なんでもいいから、知ってることがあったら教えて欲しいの!」
「ときどき思うけれど、ソフィアちゃんってとても素直よね」
たとえ鼻息の荒いソフィアに両肩を鷲掴みにされて迫られても、エレナの落ち着いた態度は変わらなかった。いつもソフィアに会っているときのように、あどけなさの残る顔に穏やかな笑みを浮かべている。
「シグムント様がご依頼された方がいらっしゃったのね。たしか、そこのお部屋に泊まっていただくのよ」
エレナが細い指で示した先のドアからは、ちょうど生者のメイドが出てくるところだった。
ふわふわと浮かれた雰囲気を放ちながら部屋に向かいかけたソフィアの首根っこを、笑顔のエレナが掴んで引き留める。
「だめよソフィアちゃん。覗き見なんてはしたないわ」
エレナの言葉に、ソフィアは我に返った。
たしかに、生者がしないことは死者もしないという暗黙のルールがある。いくらあちこち出入りし放題の死者とはいえ、部屋で待ち伏せして生活を覗くのははばかられる行為だった。
「それにねソフィアちゃん、聖職者だけは絶対にだめよ。どんなに顔がソフィアちゃんの好みでも、耳に心地のいい言葉を紡いでくれても、最後にはソフィアちゃんが悲しくなるだけだから」
そう呟くエレナの声は、憂いを帯びていた。
「えっと、よく分からないんだけど……初恋は実らないって話みたいなもの?」
ソフィアが問う。そうしながら、ソフィアはこれが自分にとっての初恋なのかと自問していた。
今までのようにイケメンに熱を上げたときは、なにか違う気がする。けれども、恋とはどんなものなのか。残念ながら生前そういった経験がなかったので、ソフィアはぼんやりとした想像しかできなかった。
カチュアの様子を思い出そうとしても自分が殺されたときのことを思い出すだけだし、生前友人と恋愛について話に花を咲かせたこともない。
要するに、お子様だったのだ。ソフィアは心の中で自嘲した。
きっとエクソシストの青年に対するこの胸の高鳴りが恋だったとしても、ソフィアはおそらく後悔などしないという確信があった。初恋は実らないと物語の中でもよく言われていたし、実際に生者と死者――まして、エクソシストと幽霊の間に恋愛感情が成立するはずがないのだ。
セーフェル教の聖職者たちは死者に寄り添ってくれるから、きっと彼もソフィアに優しくしてくれるに違いない。しかしそれはソフィア個人に興味を持って接してくれるからではない。
「それなら大丈夫よ。覚悟はできてるもの」
軽い言い方になってしまったが、ソフィアは物悲しい思いをする覚悟を決めていた。
だがそんなソフィアに、エレナがふるふると首を振る。長いおさげ髪が、彼女の動きに合わせて揺れた。
「そうじゃないの。うまくは言えないけれど、聖職者を好きになってもソフィアちゃんが満たされはしないの。深く傷ついて失望する前に、そのエクソシストの方は見なかったことにして忘れた方がいいわ」
「……それは、エレナが経験したことだから?」
ソフィアの問いに、エレナの否定がすぐに返ってきた。
「違うわ。私は聖職者を好きになった経験はない。でも分かるの」
まるで親が子を諭すときのようなあいまいさで、エレナが言葉を紡ぐ。
「聖職者は必ずしも清らかな存在ではないのよ。それに、エクソシストならソフィアちゃんに直接危害を加えられるわ」
エクソシストと霊だからといって出会いがしらになにかされることはまずないだろうが、あまりにもソフィアが邪魔をした場合はやはり悪霊の類に分類され、武力行使されてしまう場合がある。それはソフィアも考えないわけではなかった。だが怖がってばかりでは、エクソシストの青年に近づくことなどできない。己の中から溢れ出す好奇心を満たす為には、多少の覚悟も必要だった。
「明日になったらソフィアちゃんが消滅してましたなんて未来、私は嫌よ?」
エレナの悲しそうな呟きが、ソフィアの胸にぐさりと刺さる。エレナがソフィアを心底心配してくれているのはたしかだ。
「約束して、ソフィアちゃん」
華奢なエレナの手が、ソフィアの手を握った。
「『もしどうしても彼が気になったとしても、遠くから見ているだけにする』って。私はせっかくできた友達を失いたくないの」
触れ合った手は、生者のように温もりや重みなどはまったく感じない。死者特有の冷気だけが伝わってくる。それでも不思議とエレナの切実さが伝わってくるような気がして、ソフィアは彼女の手を振りほどけない。
「分かった、約束する」
そう言うしかない空気だった。
ソフィアの返事に安堵したのか、エレナが手を離す。その顔は、普段の穏やかな笑みへと戻っていた。




