第10話 エリオ
領主の屋敷というわりには小規模だが、町の規模からしたら妥当かもしれない。浮遊霊をちらほら見かける二階建ての古い建物は、手入れが行き届いている。
本当に使用人がいるのかというほど静かな館内は、質素というよりも無駄のなさを感じさせた。そんな雰囲気は、シグムントにそっくりだ。
それが、エリオが屋敷に抱いた感想だった。
一階の執務室で、この地方の特産だという紅茶を味わう。音もなく歩くメイドが運んできてくれたそれは、頻回飲むにはちょうどいい軽い飲み口だった。紅茶の味の当たり障りのなさもまた、エリオから見たシグムントのようだ。
教会から屋敷への道すがら雑談などはしたが、特にシグムントについて強烈な印象というものが残らない。領地についてや町の人々の様子はよく分かっても、シグムント本人となるとまるで人形と話をしているかのようで、つかみどころがなかった。だが「仕方なく領主をしています」という雰囲気でもない。
不思議といえば不思議な人物だった。
「正直、茶としては少し物足りない気もしますが」
エリオの心を見抜いたかのように、シグムントが口を開く。領主本人もこの味について少し思うところがあったのかと、エリオは意外に思った。彼の印象からすれば、紅茶の味になどさして意見がないように感じていたのだ。
「酒に漬け込むと、香りが開いて驚くほど美味しくなるのです。紅茶酒として輸出しているほどですよ。夕食の際にお出ししましょう」
シグムントの言葉に、ウィッテンの美しい横顔が一瞬引きつる。
それに気づいたエリオは、思わず茶を噴き出すところだった。
ウィッテンは下戸だ。軽い酒なら少しは飲めなくもないが、それでもできたら口にしたくないというレベルである。
セーフェル教では、聖職者の飲酒を禁止していない。それにミサなど儀式でワインを使うこともあるし、醸造所を構えて酒類を販売している修道院などもある。その為か聖職者に飲酒を勧めるというのはごく普通のことであり、基本的に人の善意を拒否しない『フェルベルト神父』が痛い目に遭うのもいつものことだった。
エリオはどちらかというと酒好きなので、紅茶酒という名にも聞き覚えがあった。どこの酒場で飲んだかまでは覚えていないが、ウィッテンは確実に飲めない強い酒だ。彼が酔って倒れたときに備えて薬はいつも用意しているが、どうやら今夜も役に立ちそうだった。
「リラックス効果も期待できる酒なので、今夜はゆっくりお休みいただけると思います」
「それは楽しみですね」
『フェルベルト神父』は決して善意を断らない。ウィッテンの強がる声を聴きながら、エリオは必死で笑いをこらえていた。
どうにかして意識を逸らさなければ、大笑いしてしまう。なんとかしようとして、エリオは室内を見回した。
ウィッテンとシグムントの会話に一応耳を傾けつつ、執務室に飾られた肖像画を見る。わざわざこんな場所に飾っている上に、額縁には家紋と思しき二本の剣が十字に交差した紋章があしらわれている。おそらく歴代領主の肖像画で間違いない。
領主たちは皆、くすんだ金髪に緑の瞳だった。いくら遺伝といっても、皆が皆同じ色というのは出来過ぎな気がする。ひとりくらい例外がいてもいいのにと思うほどだ。顔はさほど目の細いシグムントに似ていない……というか、肖像画同士もあまり似ていない。
例外は一切受け入れないと示しているような、息の詰まる肖像画たち。
それらから、エリオは視線をそらした。こんなおっさんたちの肖像画を見ているくらいなら、笑いを我慢しながら麗しの主人兼幼馴染の相棒ウィッテンを見ているほうがはるかにましだ。ウィッテンの横顔は生気がある分、芸術品よりも更に美しさを感じる。
そんな横顔を眺めながら、エリオはこれといって特徴のない茶を啜った。
「『霧の悪魔』事件は、四年前から不定期に発生しているのです」
執務室にあつらえられた大きな机。それとセットになっている大きな椅子に腰かけ、シグムントが無意識であろう深いため息をつく。若い領主の顔には、疲れの色がわずかに滲んでいた。
「被害者は皆、ノルンに住んでいる者のみでした。一昨日のように、一度町を離れた者が襲われるというのは初めてです。犯人についてはまったく分かりません。住民は皆、濃霧の夜はほとんど出歩きません。ここ最近事件が起きていなかったのは、町の皆の協力があったからこそだと思います」
シグムントの眉間の皺が深くなる。
「最初の事件が起きた四年前というと、先代だった私の父が亡くなり、私が領主になった頃です。そのせいか、私が呪われた領主だという噂も出回っておりまして」
心底困っているという面持ちで、シグムントがもうひとつため息をつく。
「おそらく私が就任した年から事件が始まったので、そんな噂が出ただけだとは思うのですが……」
住民たちの間に流れている心ない噂に悩むシグムントは、「味気ない雰囲気の領主」というよりは「二十代前半と思しき年相応の若者」に見えた。シグムントという人間の内面に近い部分を初めて見たなと感じていたエリオが、ふと大事なことを思い出す。
「そういえばあれ、誰だっけ。事件現場の近くで住民が聞いたとかいう名前。えーと……アルウィン、そう、アルウィン・リザックだ」
大聖堂で依頼内容を教えられたとき、さらりと耳にした気がする。そんなエリオの言葉に、シグムントは頷いた。
「ええ、アルウィン・リザックで間違いありません。若い女の声でそんな名前の人物を知らないかと問う声が聞こえたという証言が、事件現場の通りに面した家に住む者からありました」
シグムントが目に見えて肩を落とす。
「申し訳ないのですが、私どもはその名前にまったく聞き覚えがないのです。その名前が報告されたのも、今回が初めてでして。一応調べはしたのですが、知っているという者はいまだ見つかっておりません」
そんなシグムントの言葉に、ウィッテンが軽く眉根を寄せる。麗しの主人は困り顔も美しいと、エリオは一瞬うっとりした。
更新再開は6月1日(月)の0時更新分からです。良い週末を。




