第82話
田舎の小さな教会とはまったく違う、広々とした礼拝堂の中。無数の燭台が照らし出す堂内は、華麗なステンドグラスで飾られている。両脇に長椅子が並ぶ通路を進めば、ずっと奥に月光を通すひときわ立派なステンドグラスがあった。青々と葉を茂らせた大樹をモチーフとしたそのステンドグラスを背にしたあたりに、大きな祭壇と演台がある。
演台の横に人影があった。
宵闇色の髪に、褐色の肌の若い司祭。
間違いなくウィッテンだ。
どうやら彼は演台のそばに置いた椅子に座り、なにか本を読んでいるようだった。
ぐるりと堂内を見回してみるが、他に生者や死者の姿はない。この広い礼拝堂の中で、ソフィアはウィッテンと二人きりだった。
霊は移動するときに、音が立たない。それでも興奮するとラップ音を鳴らしてしまうので、胸に手を当ててあるはずのない心臓をなだめつつ、慎重にウィッテンへと近づく。だが彼のもとへと辿り着く前に、ソフィアは立ち止まってしまった。
人並外れた美形のウィッテンはなにをしても様になるが、そんな彼が読書をする姿はまるで一枚の絵画のようだった。彼の金色の双眸に見つめられる本に思わず嫉妬しそうになるほど、美しい。燭台の揺れる灯火に照らされる褐色の肌がどこか蠱惑的に感じられて、ソフィアは思わず息をのんだ。
今自分だけが目にしているこの光景を、壊したくない。
そうしてウィッテンを見つめ続けて、どれほど時間が経ったのか。実際にはたった数分なのだが、ソフィアには何時間も経過したように感じられた。
それほど、ソフィアはウィッテンに見とれていた。
当初はウィッテンと話をしたくてやってきたが、まるで絵画のような光景を目にしたら、なにも言葉が出てこない。彼の姿をひたすら眺めていたソフィアは、満たされたような気になっていた。
そのとき、ウィッテンが動いた。
「ソフィア?」
気配に気づいたウィッテンが、視線を本からソフィアへと移す。
「あ、あの、こんばんは」
ソフィアの声が震える。いざ二人きりになると、なにを話していいか分からない。それに目前のウィッテンは、ノルンで会ったときや、フィオナの店で会ったときとは雰囲気が違い、緊張してしまう。
「今日はどうしましたか。昇天の相談でも?」
「ううん、えっと、そういうわけじゃなく」
麗しい笑みで問うてくるウィッテンに、ソフィアがしどろもどろに返事をする。話をしたくて来たのまではよかったが、肝心の話のネタがなにも思い浮かばなかった。
ソフィアの様子から、ウィッテンはなにかを察したらしい。手にしていた本を閉じると、彼はソフィアに手招きをした。近くの長椅子に座り直すと、ソフィアに隣を勧めてくる。
霊は聖別されていないものをすり抜けてしまうので、本当に座れるわけではない。それでもソフィアはウィッテンの隣で、長椅子に座っているような姿勢をとってみた。こうしてウィッテンの視線から外れると、少しだけ心が落ち着く。
「セーフェルは少し大きな町ですが、慣れましたか?」
ウィッテンは「少し」と言ったが、そんな規模ではない。首都というだけあって、セーフェルはソフィアが想像もしていなかったほどの大都市だ。この大聖堂を中心にして広がっている町をうろつくたび、決まったルートから外れるとすぐ迷子になってしまう。それでも、一応慣れてはきた気がする。ゲイルに苦笑されるような、おのぼりさん丸出しの行動はしなくなったのだ。
「なんとか慣れてきたわ」
「それはよかった」
ソフィアが横目でウィッテンを見やれば、彼はその金の双眸を細めてこちらを見ていた。柔らかな笑顔に、ソフィアの胸のあたりがとくんとひとつ温かくなる。心臓なんてこの体にはないのに、不思議なものだ。
ウィッテンの笑顔ひとつで、ソフィアはこんなにも幸福感を味わえる。もっと多くの時間を彼のそばですごし、笑顔を眺めていられたらいいのに……と、ソフィアは心底思った。そしてそう思えば思うほど、いつもウィッテンのそばにいるエリオが羨ましい。
だが、ソフィアは死ななければウィッテンに出会うことすらなかったのだ。生きていたら今頃は婚約者だったフレデリックと結婚し、想像もつかない貴族の暮らしに四苦八苦しながら、地方都市で暮らしていただろう。そんな生活では、まずウィッテンと出会えるような接点があるとは思えない。
ソフィアは、どうやってもウィッテンの一番近くにはいられなかった。そう気づいてしまうと、一抹の寂しさが心に生まれる。
「あの、聞いてもいい?」
「なんでもどうぞ」
自分で切り出しておいてから、ソフィアはなにを訊こうか迷った。ほとんど無意識に出た言葉だったのだ。それに、なんでも訊いていいと返ってくるとも思っていなかった。
結局ソフィアの口から出たのは、
「どうしてエクソシストになろうと思ったの?」
という、色気もなにもあったものではない質問だ。
だが、ウィッテンの好物を知ったところでソフィアは作れないし、好みの女性のタイプを聞いても、自分と真逆のタイプだったときはただ悲しい。先ほど彼が読んでいた本はなにかと問うても、そもそもソフィアは今まで読書を趣味にしたことがないので、会話を続けられないに決まっている。
短時間であれこれ悩んだ結果の質問が、これだった。




