第76話 フィオナ
酒場の仕事は嫌いではない。両親が経営していた店をそのまま継いだ今の暮らしに、特に不満はなかった。若干夜が遅いものの、元々フィオナは夜型なので気にならない。それに、自分が作った料理を楽しんでくれる人の顔を間近で見られるのは嬉しいものだ。
酒場に集う様々な人と話をするのも、フィオナは好きだった。中にはフィオナが知らない土地の話も含まれていて、そんな話を聞いていると、まるで自分も旅をしているような気分になれる。
顔なじみとの会話も、初めての客との会話も、霊たちとの会話も、フィオナは全てが好きだった。
その中でもお気に入りは、ゲイルの話だ。
五年前、いつものように「ちょっと行ってくらあ」と軽い調子でこの店を出たきり、一度も帰ってきてくれない傭兵の青年ゲイル。
フィオナと年が近かったゲイルは、仕事柄様々な国へと出かけていた。彼が行った国の話は、どれもフィオナが知らない世界のことばかり。彼が店に来る日時は不定期だったが、来てくれたときは心が弾んだ。
よく日焼けした肌と、健康的な笑みが特徴的な、明るい青年だった。
それが、ぱったりと来なくなってしまったのだ。
最後にゲイルが話していたのは、遠く離れた異国にあるイゼラ半島での戦に参加するという物騒な話だった。
『土産はなにがいい?』
『土産なんていいから、必ずちゃんと帰ってきなさいよね』
相変わらずの軽い調子で訊いてきたゲイルに、フィオナもいつもと同じように返した。最期となってしまったあの会話は、今も昨日のことのように思い出せる。
……いや、『忘れられない』と言った方が正しかった。
フィオナの店に出入りしている傭兵稼業の者は、ゲイルだけではない。連れ立って行動しているグループもいたが、ゲイルはどうやらいつもひとりで行動していたらしい。誰に聞いても、店でゲイルに会ったことはあっても、どこでどうしているのかという話は一切聞けなかった。
おそらく、ゲイルは死んでしまった。
フィオナは直感でそう感じていた。
そもそも、ゲイルはいつ死んでもおかしくない仕事をしていたのだ。あんなによく店に来てくれていたのにぱったり来なくなったからには、彼は死んだのだと考えるのが当然だった。
ゲイルが生きていて、遠く離れた土地で新しい店に入り浸るようになった……と考えるのは、あまり現実的ではない。ゲイルは約束を破ったことがないのだ。最期の会話で「土産はなにがいい?」と言っていたのだから、生きていたら間違いなく帰ってくる。いつだって、よく分からない雑貨やその土地の酒などを手土産に、必ず帰ってきてくれた。
ゲイルがまったく姿を現さなくなってからも、フィオナは彼の帰りを待ち続けた。他の客を心配させるわけにはいかないのでいつも元気なふりをしてはいたが、店のドアが開くたびにゲイルかと期待し、閉店しては「今夜もゲイルは来なかった」と落胆していた。
そのうち、フィオナは待ちきれなくなった。魔術協会の門を叩いたのは三年前だ。
協会を仕切っている魔術師のマダム・ローザという美しい女性は、三つのものをフィオナに与えてくれた。
ひとつは、霊が視える魔術師の瞳。もしゲイルが死んでいて、それでもフィオナの店に戻ってきてくれているとしたら、彼の姿を視る為に必要な能力だ。
もうひとつは、霊の声が聞こえる魔術師の耳。この能力があれば、ゲイルさえ話しかけてくれたのなら、声が聞こえる。
最後のひとつは、人形師としての技である。肉体を失ったゲイルに新しい肉体を与えるには、魂の器となる魔術人形が必要になる。他者の体を奪うわけではないから、セーフェル教からなにかを言われる心配もない。
結局それでもゲイルには出会えず、ついに今年初めにフィオナは魔術協会を去った。マダム・ローザや他の魔術師からの引き留めは特になく、あっさりと抜けられた。
協会を抜けた理由は、魔術師の瞳と耳の能力に耐えられなくなったからだ。
霊が視えるようになるというのは、フィオナが想像していた以上に精神的に追い詰められるものだった。ゲイル以外の霊が視えるのもストレスになるが、それ以上に落ち着いて眠れなくなってしまったのだ。
ひょっとしたら、自分が寝ている間にゲイルの霊が姿を現すかもしれない。
そう思うと、まともな生活を徐々に送れなくなってしまった。
なにをしていてもゲイルが気になり、なぜ姿を現してくれないのかと不安が募る。
耳も同様で、ゲイルを求めて様々な音に過敏になり、起きている間はとにかくうるさい。
気が触れてしまいかねなかった。




