第73話 ウィッテン
長雨が止んだせいか、それとも久しぶりに訪れたせいでそう感じるのか。ウィッテンが酒場のドアを開けると、小さな店内からはなにかの祝い事かと思うほどの賑やかな音が飛び出してきた。
歌い、語り、騒ぐ客たちの間を縫うように、ひとりの給仕の女性が酒や料理を運んでいる。
賑わう店内には、生者の周囲で躍りながら騒ぐ死者の姿もあった。死者たちも大いに興奮しているようで、パチパチとなにかが爆ぜるような軽やかなラップ音が、あちこちから聞こえてくる。
そんな騒がしさの中を、エリオの慣れた先導でカウンターへと向かう。
奥に小さな厨房を備えたカウンターでは、亜麻色のポニーテールを揺らしながら店主のフィオナがシェイカーを振っていた。こちらに気づくと、フィオナがにこやかに声をかけてくれる。ウィッテンたちより少し年上の彼女は、この忙しさを愉しんでいるかのようだ。明るい青の瞳が、活き活きと輝いている。
「あら二人とも、久しぶりね。ちょっと開いてるとこに座ってて」
仕上がったカクテルを、フィオナがカウンターの端に置く。それを客席へ運んでいくのは、働き者の給仕の女性だ。
その光景を何気なく眺めていて、ウィッテンはカウンターの上に出された木の板に気づいた。
「おや、ウィジャボードですか」
「ああそれ? 最近うちの子に新入りちゃんが二人増えたの。二人ともうまく喋れないみたいだから、その子たち用よ」
フィオナは自分の店に寄りつく霊たちを『うちの子』と呼んでいた。どうやらフィオナは彼らを、店を盛り上げる従業員のような存在として認知しているらしい。
もっとも、こういう商売をしていて霊を嫌がる者というのは非常に少ない。賑やかな場所は、霊が集まりやすい場所のひとつだ。陽気な場所には明るい性格の霊が集う。そして彼らにより、場は更に賑やかになり、生者が集まりやすくなる。それを酒場の店主たちは理解している。
ウィジャボードが置かれている端の席を避けて、ウィッテンたちはカウンター席に着いた。ボードが置かれた席に霊の姿はないものの、戻ってきたときに別の人間が座っていたら霊とて面白くないのでは、というのがウィッテンの考えだった。
「で、今日はなんにするの?」
手の空いたフィオナの問いに、エリオが指を二本立てる。
「美味しくて元気が出るご飯、二人前!」
エリオの声は元気いっぱいだった。大聖堂では疲労困憊といった様子のエリオだったが、フィオナの店に来て元気が出たらしい。ウィッテンはほっとした。勝手な話ではあるが、元気のないエリオというのは調子が狂う。いつも人懐っこい笑みを浮かべているエリオの存在は、ウィッテンにとって大切な心の支えだった。
「むちゃくちゃな注文だけど仕方ないわね。がんばっちゃうわよ」
「さっすがフィオナ。あ、そうだこれ。はい、お土産」
「なあに? ……あら、紅茶酒じゃない! いいものをありがと」
言うなり、フィオナが嬉しそうにウィッテンとエリオの前にグラスを用意する。
「もちろん一緒に飲んでくれるのよね?」
「遠慮します」
フィオナの誘いを、ウィッテンは笑顔ですっぱりと断った。紅茶酒については、ノルンで嫌というほど痛い目に遭った。もう二度と口にする気はない。
「あら、つれないわね。旅の話でもしながら一杯くらいいいじゃない」
「嫌です」
お互い笑顔を崩さずにおこなわれる、言葉の応酬。しかしこの雰囲気は、ウィッテンは決して嫌いではなかった。
普段の『フェルベルト神父』なら勧められる酒は善意であるから断らずに飲むが、フィオナは冗談で勧めてくるのだと分かっているから、遠慮なく断れる。そんな関係だからこそ、フィオナの店はウィッテンも気に入っていた。
「旅の話はいくらでもしますが、一緒には飲みませんよ」
「仕方ないわね。まあとりあえずは、元気が出る二人分の食事か。ちょうどいい食材仕入れたところだったから、ちょっと待ってなさい」
ウィッテンのグラスに茶を、エリオのグラスにワインをそれぞれ注ぐと、フィオナは奥の厨房へと姿を消した。
この店の料理は、すべてフィオナが作っている。元々は彼女の亡き両親が営んでいた店だったが、その頃から店のウリは料理だったそうだ。そしてそのレシピをフィオナがどんどん改良した結果、この店は料理が美味いと話題になるほどになった。
ウィッテンとエリオがこの店に来たきっかけも、まさに料理が評判の店だったからだ。セーフェルに来て間もない頃から通っているが、フィオナは話しやすい性格だし、彼女の料理の腕も信頼できるいい店である。
家の食事を用意してくれるエリオの腕に不満があるわけではない。だが家庭料理と外食は、別物だ。いったい今夜はどんな料理が出てくるのかと、ウィッテンは心を躍らせていた。
フィオナが姿を消したカウンターの中に、人影があった。
気まずそうに立っているのは、夏物の青いエプロンドレスを着た少女だ。どうやらフィオナの陰に隠れていたらしい。
その姿に、ウィッテンは見覚えがあった。




