第70話
規則正しく上下するカチュアの胸元をぼんやり眺めながら、フレデリックが双子と出会った日を思い返す。
エルディア村へ来ている間フレデリックが暇をしているのではと感じた彼の両親が、セーフェル教ではめでたいとされる双子が村にいると聞き、ぜひフレデリックに紹介して欲しいとジェームスに頼んだのがきっかけだった。
燦々と降り注ぐ日差しに、蝉の声。庭に咲き誇るルドベキアの花に、花と同じ黄色のエプロンドレスを着た小さな双子の少女たち。
『はじめまして、フレデリック様』
親から教わったのだろう。スカートの裾をちんまりとつまんで会釈するソフィアと、その後ろに隠れるようにして同じく挨拶をするカチュア。
あのときから、常にソフィアは光で、カチュアは彼女にそっと寄り添う影のようだった。
影は光がなければ存在できず、まして光になるなど不可能。
それくらいの理は、フレデリックも知っている。常に影だったカチュアがソフィアになりきれず、やつれ細り、実父を手にかけるほど狂ってしまうのは、ある意味では当然のことだとフレデリックは考えていた。
もしもフレデリックの想像通り、カチュアがソフィアを殺したとすれば。
そうであれば、現在のカチュアの衰弱ぶりは当然の報いだとさえ思えた。
ノックの音が思考を遮る。聞き慣れたティナのノックではない。だが館内でノックをするからには、今ここの主であるフレデリックが出入りを許可した人物だ。
「どうぞ」
フレデリックの声に応じて入室してきたのは、村の老司祭だった。
秋のエルディア村はとても冷える。その為か、老司祭の僧衣は町で見かけるデザインとは違い、シンプルなローブの形状をしていた。いつも夏に会うときはフレデリックも見慣れたものを着ていたので、衣替えでもしたようだ。まるで子供の頃に読んだ絵本の挿絵にあった魔法使いみたいだな、とフレデリックは少しばかり和んだ。
「マーサは一旦家に送ってきたよ。あのままジェームスのそばにいつまでもいたとて、彼女の精神によくなかろう」
とても見せられない姿だと思い、フレデリックと老司祭はジェームスの死体の首から下をシーツで何重にも包んだ。だがそんな状態でも夫の死体と二人きりで過ごすのは、義母のマーサにとってあまりいいこととは思えない。その点では、フレデリックは老司祭と同意見だった。
フレデリックは老司祭に感謝の言葉を伝えた。自分ではマーサをどうなだめていいか分からなかったので、とても助かった。
「ソフィアも、このとおり落ち着いているようで。よく眠っています」
「それはなにより」
老司祭がフレデリックの隣に並び、眠るカチュアを見下ろす。
聖職者は死者の声を聞き、その姿も視るという。そんな老司祭がなにも言わないからには、ソフィアはフレデリックのそばや村内にはいないということだろうか。
ならば、ソフィアはどこに行ってしまったのだ。
まさか誤った墓標で、セーフェル教が説いているように昇天できたとは思えない。もし昇天できたのだとしたら、双子の魂というものは随分雑に作られたものだ。
しかしソフィアが死んでからもそれらしい様子がないからには、老司祭も目の前で眠る人物がソフィアと信じているに違いない。そんな彼に、本物のソフィアについて問うのは無理だった。
フレデリックの胸中になど気づいていない老司祭が、ゆっくり口を開く。
「別荘の周囲も、清めの香で浄化しておいたよ。これでひとまず雑霊は近づいてはこないだろう」
陰惨な事件が起これば、よからぬ考えを持った雑霊が寄ってきやすくなる。老司祭のその言葉を受け、フレデリックは彼に別荘の周囲の浄化も頼んでいた。
老司祭が全てを終えるまで、フレデリックはカチュアを眺めていたらしい。随分長い間この部屋にいたのだなと思うと、自分の行動が少しだけ笑えた。
「のう、フレデリック様」
「はい」
「ソフィアもこの調子で、ジェームスもあんなことになってしまった。ここはひとつ、エクソシストを要請してみてはどうかね」
エクソシスト。退魔を専門とする司祭だ。
たしかに現状は異常である。なにか人外の影響があるかもしれない。
しかしカチュアが単に発狂しただけと考えているフレデリックには、わざわざエクソシストを頼むほどの事態なのかという疑問があった。
フレデリックのためらいが伝わったのか、老司祭が言葉を続ける。
「この別荘もだいぶ古い。弱ったソフィアに害をなす霊が居着いたとしてもおかしくはないだろうて。もしもその存在が今回の事件に関わっているとすれば、儂ではどうすることもできん。頼むだけ頼んでみてはどうだろう?」
「そうですね……」
先刻部屋を覗き見したときのカチュアの様子を、フレデリックがあらためて思い出す。
ひとりきりの部屋で、何者かと会話をするかのようにぶつぶつと呟くカチュア。
単に発狂しただけだと思っていたが、発狂するに至る最後の一押しをした悪霊がいるかもしれない。この別荘の中によからぬものがいるのではという老司祭の言葉には、説得力があった。
「儂の方から連絡しておこうかの」
「お願いします。原因が判明するまでは、僕もなるべくソフィアから目を離さないようにしますので」
「うむ、それがいい。今のソフィアの心の支えになっているのは、フレデリック様、あなただけだ」
そう言うと、老司祭は静かに部屋を出ていった。
老司祭の足音が聞こえなくなってから、フレデリックは小さな笑いをこぼしてしまった。
カチュアにとって、フレデリックの存在は心の支えどころか毒にしかならない。カチュアはフレデリックを見るときに、顔色をうかがうような視線を向けてくる。彼女は無意識にしているのかもしれないが、その様子は自分がソフィアではないと白状しているようなものだ。
それだけ、カチュアは精神的に追い詰められている。
理解はしているが、心配して優しくするなど無理だった。
フレデリックにとって、カチュアはソフィアの代替品ですらない。その口から直接真実を語らせるまで、彼女を追い詰め続けてしまう。
しかし真実を知ったとて、彼女を憎む気持ちが消えるとは考えられなかった。
カチュアには、『ソフィア』だと偽ったまま生き続けてもらわなければならない。
そんな彼女を真綿で首を絞めるように責め続けるのが、フレデリックが正気を保つ為には必要なのだから。




