第65話
そういえば昔、姉のソフィアと一緒になって悪戯をしていて、家にあった林檎の酒を飲んで酔っ払ったことがある。あのときは二人揃って両親にこっぴどく怒られたなと、カチュアは思い出した。
悪戯するときは……いや、悪戯だけではない。なにをするにも一緒で、仲のいい双子だと周囲からは言われていた。自分でも仲のよさは認めるが、いつでも一緒にいたのは、単に臆病者のカチュアがたったひとりでなにかに挑戦することがないからだ。
あれもこれも、ソフィアと一緒だったからこそできた。
だからフレデリックはソフィアを選んだのだと、分かっていたのに。
ソフィアがついた嘘だって、両親が貴族に取り入るようなしたたかな人物だと噂されないように、そしてフレデリックが恥をかかないように、という優しさからだったのに。
ティーカップをローテーブルに戻し、カチュアがよろよろと立ち上がる。
「お姉ちゃん……」
向かう先は鏡台だ。どんなものよりも綺麗に姿を映してくれる鏡は、ソフィアと話せる唯一の道具だった。
カチュアと間違われて埋葬されてしまったソフィアの魂は、セフィロートに旅立てずにどこかを彷徨っているに違いない。ソフィアはなにか罪を犯したわけではないのに。
むしろ罪人はカチュアだ。
にもかかわらず、カチュアのせいでソフィアの魂は、今も苦しんでいるかもしれない。そんなソフィアの姿が、鏡に映っているような気がした。
「お姉ちゃんも、今、苦しいの?」
鏡台に近づき、鏡の中の姿に声をかける。
あんなにきらきらとしていたはしばみ色の瞳は、どんな光も映さないかのようにどんよりしている。やつれた容姿も相まって、鏡に映る姿はとても生者とは思えなかった。フレデリックが様々な医者にかからせ、最終的に帰省を提案してきたのも頷ける。
死者もやつれることがあるのだろうか。彷徨っているかもしれないソフィアが、元気にしているという想像はできない。もしソフィアがそばにいるのだとしたら、カチュアのように衰弱した姿でもおかしくないと思えた。
「でも、お姉ちゃんが悪いのよ。つまらない嘘をつくから……」
ひどく自分勝手な言葉を口にしているのはカチュアも分かっていたが、一度言葉にしてしまえば、もうそれを止められなかった。
自分だけには、本当のことを言って欲しかった。どんな秘密も共有してきた双子だったのだ。ソフィアがいつものように真実を口にしてくれていたならば、カチュアも「やっぱりね」なんて笑っていられたかもしれない。
そんなカチュアの気持ちを「愛してるわ」というあからさまな偽りで壊したのは、間違いなくソフィアだ。そんなふうに考えてしまう。
カチュアが覚えているかぎり、ソフィアが自分に対してついた嘘はあの一言が最初で最後だ。魂の片割れが初めてついた嘘は、カチュアにとって残酷なものだった。
「お姉ちゃんは、あたしを恨んでるの? ねえ、そうなんでしょう? だからそんな目で私を見るんでしょう?」
鏡面に両手をつき、間近でその双眸を覗き込む。だが返ってくるのは、鏡面の氷のような冷たさだけだ。所詮は鏡。その頬を撫でても、生前のソフィアに触れたときのような柔らかな温もりは一切存在しない。
それでもカチュアには、指先から伝わる冷気が、淀んだ視線が、すべてが自分を恨むソフィアの気持ちそのものに思えた。
「違う、違うのよ」
反射的に否定の言葉を口にするが、ソフィアからすべてを奪ったのは、他の誰でもなくカチュア自身だ。カチュアさえ余計な真似をしなければ、ソフィアは今でも生きていて、日々の生活を謳歌していたはずなのだから。
「今のあたしはお姉ちゃんだけど、本当は『カチュア』なのよ。なんで皆分からないの」
『カチュア』という存在を、誰かに気づいて欲しい。
しかし気づかれてしまえば、『ソフィア』が守ろうとした安寧が崩れる。
逃げ道のないカチュアは、こんなに苦しいのはソフィアのせいかもしれないとさえ考えるようになっていた。ソフィアがカチュアを恨む気持ちが、分け合った魂を通して伝わってきているからなのではと感じてしまう。
姉の魂を救える方法があるとすれば、ただひとつ。
カチュアが真相を司祭に話し、正しい墓標を用意してもらうしかない。
だがそれは、絶対に選べない道だった。
「ねえ、なんとか言ってよお姉ちゃん……!」
思わずカチュアは、鏡台に置かれていた化粧道具の小さなはさみを手にした。そのまま切っ先を鏡面へと突き立てる。衰弱したカチュアの与えた一撃はほんの些細な力でしかなかったのに、はさみを突き立てた場所から見る間に鏡面にひびがはしる。
直後、鏡面が勢いよく割れた。
派手な音がカチュアの鼓膜を震わせ、砕け散った無数の破片が体に降り注ぐ。
骨ばった手から、血色の悪い頬から、温かな血が滴り、白いネグリジェを染めていく。
ずきずきと疼く痛みと引き換えに、カチュアを悩ませるソフィアの幻影は姿を消した。
「あたしはカチュアなの。カチュアなのよ……」
細やかな破片にまみれた両手で顔を覆うと同時に、涙が溢れた。自分でもこんなに泣けるのかと驚くほど、大粒の涙だった。頬についたざらざらとした細やかな鏡の破片が、涙に流されていく。
そのときだった。
「泣かないで」
耳元で、女の声がした。




