第64話
もしカチュアがソフィアを殺していなければ、本物のソフィアは予定通りフレデリックの妻になっていたはずだ。優しいフレデリックの愛情を一身に受けて、幸せに暮らしたに違いない。もしかしたら、一緒に暮らすうちにソフィアがフレデリックを愛した可能性だってあった。そしてカチュアはそんな二人を見ながら平凡な生活を続け、いつかは誰かと恋に落ちて添い遂げられたかもしれないのに。
そんな平穏な未来をすべてぶち壊してしまったのは、自分の浅はかさだ。
『お姉ちゃんの嘘つき!』
崖の上で姉に投げつけた自分の言葉が、幾度も耳の奥によみがえる。
ソフィアが「愛してるわ」と嘘をついたからといって、なんだというのだ。たとえソフィアが最初からいなかったとして、フレデリックがカチュアを見てくれたかは怪しい。
むしろソフィアがいてくれたからこそ、自分はセーフェル教でめでたいとされる双子として、フレデリックとお近づきになれたのに。
ソフィアに感謝すれども、たったひとつの嘘を非難するなんて間違っていた。
「奥様、寒くないですか?」
ネグリジェの上から羽織っていた厚手の肩掛けを、ティナが掛け直してくれる。本宅にいるときにティナがせっせと編んでくれた肩掛けは、ほんのりと暖かい。
しかしこのティナの献身的な行為も、カチュアを『ソフィア』だと信じているからだ。姉を殺してすり替わった女と分かれば、優しいティナといえどもカチュアを軽蔑するに決まっている。
だがどんなに辛くても、もうカチュアには『ソフィア』として生きる道しか残されていなかった。
「大丈夫よ、ありがとう。ティナは寒くない?」
「ふふふ、厚着の用意をしてきたから平気です。ほら!」
ティナがメイド服の裾を持ち上げ、分厚い靴下を見せながら笑う。
普段この別荘は、夏しか使われない。エルディア村は国内でもかなり北方にあるので、避暑にちょうどいいのだ。ただ、これといって名物があるわけでもない田舎だ。避暑地としての人気など底辺なので、フレデリックの家が別荘を構えているというのは奇跡みたいなものだ。
夏は避暑地としてちょうどいい気候なのだが、おかげで晩秋の村はとにかく冷える。それをカチュアが先に伝えておいたからか、ティナはばっちり用意をしてきたようだった。
「あたし、別荘に来てよかったです」
「そう?」
「奥様があたしと話してくれる機会が増えましたもん。本宅にいたときとは全然違いますよ」
ティナは笑顔が似合う。彼女を見ていると、見た目はまったく似ていないのにソフィアを思い出すから不思議だ。
フレデリックも、彼の両親も、皆優しい。本宅の使用人たちも農民上がりの『ソフィア』にとても親切で、その中でもティナは専属のメイドとしてよく世話をしてくれた。
そんな本宅は穏やかな時間が流れ、居心地のよさそうな場所だった。
なんとも落ち着かない気分を味わい続ける羽目になったのは、すべて姉を殺したカチュア自身のせいだ。誰にも言えない秘密を抱えていては、自然と口数も減った。
けれども、こうして村に戻ってきてからも特に変わっていないと自分では思っていたものの、いつもそばにいるティナが言うからには変化があったのかもしれない。
「あ、大変。あんまり奥様を疲れさせちゃったら、フレデリック様に怒られちゃう」
ティナが冗談めかして言う。その様子すら、ソフィアに似て見えた。
エルディア村には、夏からずっと滞在している。慣れた土地で少し休んではどうかと、フレデリックが提案したからだ。季節の変わり目に必要なものは本宅から送られてきていたので、生活には困らない。
ゆっくりとした別荘での暮らしの間、カチュアはティナと話すたびに少しでもその明るい部分を吸収できないかと願っていた。
しかし、答えはいつでも「否」だ。
自分がどうあがいたところで、『カチュア』以外の何者でもない。
いつも元気なソフィアの後ろにこそこそ隠れている、引っ込み思案な妹。
ひとつの魂を分け合った双子の、おとなしい方。
その性質は簡単には変えられるものではない。ソフィアが死んだからといってその魂がカチュアとひとつになるわけでもないので、朗らかさや快活さといった眩しい光のような気質は、すぐにカチュアが真似できるわけがないのだ。
「では奥様、ゆっくり休んでくださいね。風邪ひかないように、お布団ちゃんとかけてくださいよ? もし明日になって奥様が風邪をひいていたら、あたしはとても悲しいですからね」
気さくな様子でそう言うと、ティナは部屋を出ていった。
後に残されたのは、ティナの優しさを具現化したような温かいティーカップだ。それを両手で包み込むと、やつれて骨ばったカチュアの手に一気に血が通う感覚があった。じわりじわりと、痺れにも似たものが両手に広がっていく。
自分でも気づかないほど、体は冷えていたらしい。
そのままカモミールティーを口にすれば、林檎に似た甘く柔らかい香りが鼻を抜ける。体の中を温かい液体が滑り落ちていく感触が、じんわりと感じられた。




