第63話 カチュア
晩秋の夜。エルディア村の端にたたずむ小さな館は、ひっそりと静まりかえっていた。
それもそのはず。
この別荘には自分以外、夫のフレデリックとメイドのティナしかいない。その顔ぶれの中でソフィア――正確には、ソフィアに間違われたまま、すり替わるようにしてフレデリックの妻になってしまったカチュア――がひとりで部屋に閉じこもっていれば、この静けさも当然だ。
フレデリックはとても優しい。
そしてティナも、いつでも明るく話しかけてくれる。
カチュアさえ望めば、二人とも快く話し相手になってくれるはずだ。だが、あいにくカチュアにそんな元気は欠片もなかった。
姉のソフィアを崖から突き落として殺してしまってからというものの、もうずっとこんな調子だ。なにもする気が起きず、なんの為に生きているのかも分からない。どんどんカチュアが衰弱していくので、心配したフレデリックが勧めるままに本宅がある町で様々な医者にかかったが、特に体に異変があるわけでもない。
ただひとつだけ、この時点ではっきりしているのは、自分は『ソフィア』ではなく『カチュア』ということだけだ。
控えめなノックの音に続き、メイドのティナの声がドアの向こうから聞こえてくる。
「奥様、入ってもいいですか?」
「……どうぞ」
正直に言えば、一切誰にも会いたくない。しかしここでティナの入室を断ればフレデリックが来てしまうかもしれない。彼と顔を合わせる気まずさよりはましだと、カチュアはティナの入室を許可した。
毎晩これくらいの時間になると、ティナは部屋を訪れる。
ドアに鍵はかけていない。装飾を施されたドアがそっと開かれ、シンプルなメイド服姿のティナが入室してきた。栗色のショートカットがよく似合うティナは、十八歳になったカチュアと同じくらいの年齢に見える。彼女が持つトレイには、湯気を上げるティーカップがひとつ載っていた。
「寝つきがよくなるように、カモミールティーをお持ちしましたよ。今夜も冷えますねえ。温かくしてお休みくださいな」
ソファにもたれて座るカチュア。その目前にあるローテーブルに、ティーカップが置かれる。蒸気に乗って、カモミールと蜂蜜の柔らかな香りがふわりと広がった。
「奥様、少し髪を触りますね」
ティナが鏡台からヘアブラシを持ってくる。そのまま彼女は、慣れた手つきでカチュアの髪を丁寧に梳き始めた。
カチュアがゆっくり眠れるようにと、ティナは毎晩髪を優しく梳いてくれる。いいマッサージになるとティナが言うとおり、たしかに心地いい。体は弱っていくものの、ティナのおかげで髪だけはさらさらと心地よい音を立てるほどの美しさをかろうじて保っていられた。
人に髪を梳かれるなんて、小さな頃に母がしてもらって以来だ。年頃になってからは、カチュアは毎日自分で櫛を入れていた。双子の姉であるソフィアの髪を梳いていたのも、カチュアだ。双子のお揃いのはしばみ色の長髪は、自分でもお気に入りだったのだ。
ソフィアとはなんでもお揃いがよかった。お揃いのなにかがあるというだけで、姉の朗らかさや快活さが自分にも宿ってくれるような気がしたものだ。それに実際『お揃い』が後押ししてくれて、気弱で引っ込み思案なカチュアは何度も助けられた。
だが幼馴染であるフレデリックと自分が結婚したことで、姉と自分の夫が『お揃い』になっても、それはカチュアを勇気づけてはくれなかった。
フレデリックは、この別荘を所有しているエヴァンス家という貴族の青年だ。幼い頃から毎年避暑に訪れている彼の遊び相手にと、姉妹揃ってあてがわれたのが出会いだった。
そんなフレデリックと結婚してからは、身の回りの世話は基本的に使用人がしてくれる。体調がすぐれないどころか日々弱っていくカチュアが生活できているのは、使用人たちのおかげだ。
実家が農家であるカチュアにとっては、生活環境は大きく変わった。なんの病気でもないのに弱っていくカチュアを「生活が変わったからかもしれない」とフレデリックや彼女の両親は心配してくれるが、そうではないことはカチュア本人が一番よく知っている。
すべては、姉のソフィアを殺してしまったせいだ。
カチュアはずっとフレデリックに想いを寄せていたが、農家の自分と貴族の彼では身分が違う。自分の恋は叶わないものだと諦めていた。
それなのに、フレデリックはソフィアに求婚したのだ。
活発なソフィアにフレデリックが惹かれていたのを、カチュアは感じ取っていた。しかし、本当にソフィアを自分のものとすべく行動するとは。
だが当のソフィアがフレデリックを異性として見ていないというのも、カチュアは分かっていた。なによりソフィアは超がつく面食いだ。平凡な顔立ちのフレデリックに惹かれる理由がない。
そんな姉に想い人を取られてしまう悔しさや、取られたくないという思いが、自分のどこかにあったのだろう。
衝動に突き動かされた結果。
姉を崖から突き落としていた。
けっして瓜二つのソフィアを殺してすり替わろうだなんて、考えていない。
だが実際には、見た目がそっくりな双子を気が動転した周囲が間違え、カチュア自身も言い出せず、こうしてフレデリックのもとへ嫁いでしまった。
過程はどうあれ、意中の相手と結ばれたのだ。代償として一生『ソフィア』として扱われるが、その名前を受け入れるのが贖罪になるのかもと、都合のいいように考えたりもした。
だが、気の小さいカチュアが罪の意識から逃れるなど不可能だ。
鏡に。
窓に。
『お揃い』のはしばみ色の髪が、『お揃い』のはしばみ色の瞳が、『お揃い』の顔が、常に映り込む。まるでそれは死んだソフィアにいつも見られているようで、ひどく落ち着かなかった。




