第61話
ソフィアは店内に戻ると、人差し指の先から青白く光る念糸を伸ばした。パスタのような極太の念糸をなんとかサムターンに巻きつけ、回そうとあがく。
「おまえ、念糸の扱い全っっっ然上達しねえな」
「うっさいわね。言ってる暇があったら手伝って」
いつの間にか隣に姿を現していたゲイルの呆れ声に、ソフィアの語気が若干荒くなる。
「それが人にものを頼む態度かよ」
口ではそう言いつつも、ゲイルが手甲をはめたいかつい手の先から、髪の毛のように細い念糸を無数に出す。それらはソフィアが苦戦していたサムターンをいとも簡単に回すと、続いてドアノブに絡みついてドアを開けてみせた。
「ありがと、助かったわ」
開いたドアから、フィオナが滑り込むように店内へと入ってきた。彼女の外套から水滴がぼたぼたと落ちて、板張りの床を濡らす。
通常の生者であるフィオナには、もちろんソフィアたちの姿は視えていない。しかし彼女はソフィアたちを気味悪がらず、こうして店舗兼住居の建物に滞在させてくれていた。
酒場の店主にとって、賑やかな場所に霊が寄りつくのはほぼ常識だ。それゆえ、フィオナの店にもウィジャボードがあった。最近ではソフィアたちと会話できるようカウンターに出しっぱなしにされている。
そんな環境が当たり前になっているせいか、フィオナは霊を恐れない。それどころか、こうしてちょっとした手伝いを頼んだりしていた。まるで生者と同じように接してくるフィオナの態度は、ソフィアにとって新鮮だ。
フィオナのところに滞在している間の少々の疑問といえば、なぜかゲイルがアーウィンと名乗っていることだ。しかも声に念糸を混ぜて生者と直接会話ができるくせに、頑なにウィジャボードを使い続けている。
ゲイルの態度があまりにも気になったので、ソフィアは彼に問うてみたことがある。だが返ってきたのは、「フィオナには絶対言うな」という一言だけだった。
お互い余計な詮索はしないようにしているので、ソフィアはそれ以上突っ込んだ質問はしていない。もちろんフィオナに訊こうなどとは思っていなかった。ゲイルが秘密にしたいのなら、それに従うだけだ。
「ちょっと多く買いすぎちゃったけど、まあ仕方ないわ。今買わなきゃいつ買うのって話だもの。料理の材料がなければ、店だって開けられないんだから」
抱えていた大量の荷物をカウンターに置き、フィオナがばさりと外套を脱ぐ。
エプロンドレス姿のソフィアとは違い、フィオナは活発そうなパンツスタイルだった。ソフィアの故郷では、フィオナのような服装をしている女性はまず見かけない。フィオナと出会うまで、ソフィアも自分がスカートしか身に着けてこなかったことになんの疑問も持っていなかった。
今年でちょうど三十歳だとソフィアに教えてくれたフィオナだが、ソフィアの目にはもう少し若く見える。薄化粧をしている顔も、可愛いと美人のちょうど中間くらいで、カワウソ似と言われるソフィアには羨ましかった。
全体的に凹凸の少ないボディラインのソフィアと違って、フィオナは出るべきところがしっかり出ている。その体つきのおかげで、フィオナは男勝りな服装をしていても艶っぽく見えた。
もしもフィオナのような色気がソフィアにもあったら、ウィッテンも少しは振り向いてくれたかもしれない。
……いや、彼にかぎってそれはない。
ソフィアはすぐに考え直した。
ただでさえ女性から人気がありそうなウィッテンだ。様々な容姿の女性たちなど、とっくに見飽きていそうだ。それに彼が外見の美醜で物事を決めるような性格なら、とっくに目玉が飛び出るほど美人の妻がいそうなものである。そうではないからには、彼は人を外見だけで判断しないタイプということだ。
隙があればついウィッテンについて考えてしまうソフィアの視界で、フィオナの亜麻色のポニーテールが揺れる。彼女はカウンターの奥にある厨房へと、せっせと買い物を運んでいた。
ここ数日続いた秋の長雨で、フィオナは買い出しに行くのを渋っていた。しかしついに店の食材が足りなくなってしまい、よりにもよって大粒の雨が降る今日、買い出しに出かけたのだった。
片付けをしているフィオナを手伝いたいとう気持ちはあるものの、念糸をまともに使いこなせないソフィアにできる手伝いなど、なにもしない以外にない。
ちなみにゲイルはというと、腕枕をして寝転がった姿勢のまま、店の端で暇そうにふわふわ浮いていた。そんなゲイルを、フィオナが呼ぶ様子はない。フィオナはなんでも霊に頼ってばかりではないし、ゲイルも声をかけられないかぎり手を出さなかった。
雨は相変わらず降り続いていて、店の外からは激しい雨音が響いている。
天気が悪いからといって死者が体調を崩すことはまずないが、心は暗鬱としていく。セーフェルに来た最初の頃こそ、ソフィアはウィッテンに少し近づけたような気になって喜んでいた。だが今では、なんとも消化できないもやもやとした気持ちばかりが渦を巻いている。ノルンからセーフェルまではウィッテンと少しではあるが雑談できただけに、彼と関われない日々は余計に不満を募らせた。
しかし元々、ウィッテンに招待されてセーフェルに来たわけではない。
ソフィアが勝手についてきただけで、すべては己の行動の結果だ。
分かってはいても、心の底に不満は澱のように溜まっていった。




