第60話
想い人と会うことも叶わず、雨に濡れることもできないソフィアは、お気に入りの青いエプロンドレス姿でたたずむしかできなかった。
そのとき。
「こんなとこでなにしてんだ?」
背後からソフィアにかかる声があった。振り向けば、そこにいたのは幽霊仲間のゲイルだ。
故郷のエルディア村の墓地で茫然としていたソフィアを、自由気ままな旅に誘ってくれたのがゲイルだった。今ソフィアが友人といえるほど親しい霊は、ゲイルしかいない。本当はもうひとり友人と呼べる霊はいたのだが、彼女は少し前に昇天してしまった。ソフィアの人間関係は、あまり広くはない。
「そんなとこで突っ立ってても暇なだけだろ」
「たまたまいただけよ」
「ほぉう、たまたまねえ」
なにか言いたげなゲイルに、ソフィアはなるべく平静を装ってみせた。
ゲイルにはここがウィッテンの家であることや、聖別されていて入れないことは伝えていない。それでも察しのいいゲイルだ。ソフィアがここにいる理由はとっくに気づいているはずである。
それにソフィアがなじみのないセーフェルでなにか行動を起こすとなれば、それはウィッテン関連以外には考えられない。
だがゲイルは、それ以上ソフィアに言及してはこなかった。
「ゲイルこそ、こんなところでどうしたのよ。いつもは酒場にいるじゃない」
「散歩だよ、散歩」
言われてみれば、たしかにゲイルは昼間よく散歩をしていた。そんな行動を知ったときソフィアはまるで老人のようだと思ったが、それを言うとゲイルが怒るのが分かっているので、言わないようにしている。一応享年が二十代だという彼は、老人扱いされるのを極端に嫌がるのだ。
だが元傭兵だったとゲイルに言われてもピンとこないソフィアからすれば、ゲイルは遠い昔の戦で死んだ霊なのかとつい考えてしまう。それほど、このアルカナ神聖国は長い間戦に巻き込まれたことがない。
ソフィアが傭兵という仕事であまり想像ができないのは世界情勢に疎いせいだと、ゲイルは言っていた。しかしそもそも片田舎の農家に生まれ、村の外に出ないまま死んだソフィアは、世界のほとんどを知る機会などなかったのだ。
ウィッテンがいないのだから、もう彼の家に用はない。ソフィアはゲイルと共にふわふわと飛びながら、帰路を辿り始めた。
雨をしのぐ生者たちの中で、たまに聖職者が着る紺色の外套が目につく。そのたびに、ソフィアはウィッテンを思い出してしまう。
この半月、完全にウィッテン成分が不足していた。
ウィッテン・フェルベルト。
ゲイルの日焼けした小麦色の肌とはまた違った色合いの、褐色の肌。
端正な顔を彩る宝石のような、金色の双眸。
銀色のリボンを使い後ろでひとつにまとめられた、宵闇色の長い髪。
そんな彼の姿が、ずっと脳裏から離れない。目を閉じれば、耳に心地いいウィッテンの美声が思い出される。
今まで見たことがないほどの美形の彼に、面食いのソフィアは夢中だった。
ウィッテンについてぼんやりと考えながらゲイルについていくうちに、気づけばソフィアは繁華街へと辿り着いていた。酒場が一軒しかなかったソフィアの故郷とは大違いで、様々な飲食店がずらりと軒を並べている。
その中の一軒に、ゲイルと共に壁をすり抜けて入る。お世辞にも広いとはいえない店内は静まり返り、雨のせいもあって薄暗かった。
夕暮れにはまだ早いので営業はしていない。けれどもいつもならそろそろ開店準備をするはずだ。それなのに、店主の姿は見当たらなかった。
勝手知ったる家のように天井をすり抜けて二階へ上がると、ソフィアは廊下の突き当りにある窓から通りを眺めた。水滴が流れ落ちるガラスからは、通りの様子がよく見える。
ゲイルはというと、彼は彼で建物のどこかに姿を消してしまっていた。彼とはたまたま帰路が一緒になっただけで、お互い普段の過ごし方についてあまり詮索しない。寝る必要がないにもかかわらずよく昼寝をしていたソフィアが、最近ではウィッテンを求めてうろちょろしているのを、ゲイルが時折からかう程度だ。
普段であれば、のんびり気ままな旅の死者だったソフィアたちは、とっくに次の町を目指してもいい頃合いだ。
だが今は、ソフィアの『ウィッテンのそばにいたい』というわがままのような理由で、セーフェルに半月も留まっていた。
ウィッテンを諦めきれないソフィアに、ゲイルは行動を合わせてくれている。エクソシストのウィッテンに近づくのを、ゲイルはあまりよしとしていない。だがこちらの希望に一応合わせてくれていることに、ソフィアは感謝していた。
貴重な友人であるゲイルに若干気を使わせているという思いがあるソフィアはというと、肝心のウィッテンとの関係は一ミリとて進展していない。エリオには鼻で笑われるかのような扱いを受けているし、散々だ。
ウィッテンのプライベートについて、ソフィアはほとんど……いや、まったく知らない。彼の趣味も、好きなものも、休日の過ごし方も、なにも知らない。
ウィッテンについて知っているものといえば、奇跡のようなイケメンで、酒にとても弱く、そして霊に対して優しいエクソシストというくらいだ。
けれども、エリオは違う。彼はソフィアの知らないウィッテンを知っている。それどころか、ソフィアでは絶対に近づけないほどの距離で、常にウィッテンのそばにいられる。
ウィッテンとエリオが男色という関係ではないのは見ていてすぐに分かったが、それでもエリオに負けているという事実は悔しかった。
無意識に下唇を噛み締めながら外を見ていたソフィアの耳に、若い女の声がかすかに聞こえてきた。
「ねえ、誰かいない?」
窓のすぐ下、酒場の入り口あたりからの声だった。床をすり抜けて一階の店内に降りてみれば、入り口のドアの向こうから声はしている。
「アーウィンでもソフィアでも、誰でもいいから。いたらここ開けてくれない? 手が離せないの」
このはきはきとした女性の声を、ソフィアはよく知っていた。酒場の店主であるフィオナの声だ。彼女は昼過ぎに買い物に出かけたはずだったが、やっと帰ってきた彼女になにがあったのか。ソフィアはドアをすり抜けて彼女の様子を見た。
そこにいたのは、両手いっぱいに荷物を抱えた外套姿のフィオナだった。そんなに荷物を持っていては、鍵を開けるのは難しい。
更新再開は8月12日(水)の0時更新分からです。よい祝日を。




