第6話 エリオ
「もうやだ本当やだ絶対やだ! 今度からはなにがあっても絶対乗らないからね!」
秋の夕暮れを少し過ぎた頃。黄昏時に差し掛かろうかという中に、エリオの涙声が響く。かろうじて破壊を免れた丸眼鏡をかけ直す彼の僧衣は、師匠と同じ白。医術を修めた特殊な助祭の証だ。短く切り揃えた黒髪は、一連の騒ぎでぼさぼさになっていた。
エリオが今いるのはノルンの教会、その裏庭だ。各地にある教会の裏庭は、どこも青々とした草が生えていて広い。飛竜の発着場としての役割も担っているからだ。エリオは相棒のウィッテンと共に飛竜でここに降り立ったわけだが、まだなにもしていないのに既に疲れきっていた。体のあちこちがひどく痛む。
決して飛竜に乗り慣れていないわけではない。
飛竜は人が騎乗する動物の中で唯一空を飛べる特殊な生物ではあるが、もう幾度となく乗っている。エクソシストのウィッテンは任務とあらばすぐさま飛び出していくタイプなので、必然的にコンビを組んでいるエリオも飛竜に乗る機会は多くなる。
エリオの全身にはしる鈍痛の原因は、明らかに別のところにあった。
「仕方ないだろう。大聖堂にいたのがレジーナだけだったんだ」
首都セーフェルの方向へと飛び去る飛竜を見送りつつ呟くのは、エリオと同じく僧衣姿――ただしこちらは、司祭が通常身に着けている紺色だが――を身に着けたウィッテンだ。
「いいや、全然よくないね!」
エリオが涙を拭って反論する。
「レジーナが尻尾で僕を殴るのは、いつもなんだ! もう絶対レジーナには乗らないよ! どうしてもっていうなら、他の助祭を連れていくんだね!」
「子供みたいな駄々をこねるな」
「こねたくもなるよ! おかげで僕の体はぼろぼろなんだから!」
エクソシストがパートナーと決めた者以外の助祭を連れて任務に赴くなど、滅多にない。危険の多い仕事なので、息の合う助祭がいてこそなのだ。
エリオもそれは理解している。
それに子供の頃からウィッテンの付き人をしていたエリオは、自分の意思で彼をサポートするべく助祭になった。ウィッテンが行くならばどこまでもついていく覚悟はできている。
だが、レジーナとの問題は別の話だ。困った顔でこちらを見るウィッテンには悪いが、エリオにしてみれば深刻な問題である。ウィッテンにどこまでもついていく覚悟はしているものの、そこにレジーナという要因があっては体がいくつあっても足りない。
レジーナは騎乗用の小柄な飛竜――翼の生えた大きなトカゲといった容姿の動物――だが、それでもその尻尾はたくましい。そんなものでばしばし殴られれば、馬に咬まれた以上に大きな青あざができる程度の威力はある。それに飛竜が本気を出して叩いてきた場合、人間など簡単に骨折しかねないのだ。
大聖堂で飼育している他の飛竜は、決してこんないたずらをしない。彼らは喋りこそしないが簡単な人語を解する程度には賢く、騎乗用に飼育できるほど温厚な性格だ。
雌の飛竜レジーナは、明らかにエリオを嫌っている。
いや、嫌っているというよりは邪魔に思っていると言うほうが正しい。
なんせ、レジーナが猫のように喉をゴロゴロ鳴らして出迎えるのはウィッテンだけなのだ。他の飛竜はエリオに対しても喉を鳴らしてくれるので、相手を限定して甘えるレジーナの行動はかなり珍しい。
それに他の飛竜は素直にエリオを乗せてくれるが、レジーナはエリオが乗ろうとすると尻尾で強烈な一撃をお見舞いしてくる。なのでウィッテンがあやしている間に乗るのだが、それでもレジーナは隙を見て攻撃してきた。
完全にエリオを、ウィッテンとの仲を邪魔する輩だと思っている節がある。
しかしエリオにしてみれば、こちらはウィッテンに甘えさせてやっている側だ。付き人でありパートナーという自負がある。往路だけ関わる程度の飛竜には負けていられない。
「くっそ、竜のくせに面食いかよ」
「エリオ、口が悪いぞ」
「……ごめん」
謝るエリオだが、その言葉はレジーナに対してのものではない。外見についてなにか言われることを嫌うウィッテンへの謝罪だった。
聖別された銀のリボンで結んだ、宵闇色の長い髪。色白のエリオとはまったく違う、南方の出自を匂わせる褐色の肌。整った顔立ちに、金色の双眸が華を添える。
一言で言えば、エクソシストのウィッテン・フェルベルトという男は奇跡のような美形だった。二十代の司祭はいないわけではないが、ここまで整った顔立ちの華やか司祭というと、エリオはウィッテンしか知らない。
ウィッテンは声も美しい。彼が朗々と説教する声はまるで音楽のようだと、男女問わず聞き惚れる者は多いのだ。
そしてウィッテンは、剣の腕も立つ。彼が佩いている、柄に繊細な銀色の蔦の装飾が施されたレイピアと、短剣。それが彼の腕を証明していた。
ちなみにウィッテンからほのかに漂ういい匂いは、ひとつ屋根の下で暮らすエリオによるものだ。性能と香りの両面でこだわり抜いた洗濯用石鹸で、二人分の洗濯をしている。
不思議なもので、同じ石鹸で洗っているはずのエリオの僧衣よりも、ウィッテンの僧衣の方が断然いい匂いのように感じられた。あまり露骨に嗅ぐとウィッテンに変な顔をされてしまうので、エリオはあくまでもさりげなく嗅ぐように用心している。
さすがに主人兼パートナーから変人扱いされるのは、エリオとしても不本意だ。
ちなみに洗濯もだが、家事のほとんどはエリオがしている。ウィッテンもすると言ってくるが、元々付き人であるエリオからしてみれば、彼にさせるわけにはいかなかった。
それに、エリオが洗濯した服を着て、エリオが作った食事を食べるウィッテンを見ていると、なんともいえない幸福感に包まれるのだ。
決して男色の気があるわけではない。エリオの性的な対象はもちろん女性だ。
それでも、妻が欲しいとは思わなかった。そもそも助祭は妻帯できない。貴族の家に生まれたウィッテンと共に生き、彼を支えるのがエリオの生きがいなのだ。
ちなみにウィッテン本人からは「幼馴染」とまで言われるほど、二人で長い時間を過ごしてきた。エリオのフランクな物言いだって、ウィッテンの方からそうして欲しいと願われたものだ。
そう、ウィッテンにとってエリオは間違いなく特別な存在なのだ。
それなのに、騎乗用の飛竜風情に邪魔者扱いされるのは納得がいかない。
「レジーナは他の飛竜に比べて気位が高いんだ。『乗せていただく』くらいの気持ちで向き合わないから、痛い目に遭うんじゃないか?」
「いや、あれはそういうもんじゃないね!」
ウィッテンはおそらく本心から言っている。エリオを乗せる為にレジーナをあやすときも、「今日もよろしくお願いします」と真剣にお願いするような性格なのだ。
「だとすれば、単にじゃれているつもりかもしれないな。好かれているんだろう」
「それこそ絶対に違うね!」
エリオは食い気味に否定した。
「だいたい今日はロンベルク神父もいたんだ。無理に僕らがレジーナに乗って出動する必要はなかったんじゃないのかい?」
「俺たちに声がかかったということは、役目を果たす運命にあるということだ。飛竜がレジーナしかいなかったのも、仕方ない」
ただ、とウィッテンが続ける。
「次回からは、少し考えよう」
「そうしてくれると、とても助かるよ」
これ以上青あざだらけにならずに済むようにと、エリオは普段大して真面目に祈りもしていない神に祈った。




