第49話 ある女――エレナの思い出
いつものように納屋で会いたいというエドワードからの連絡を無視して、何日が過ぎただろう。
「喧嘩でもしたのかい?」
「そういうわけじゃないんです」
にこにこと笑いながらエドワードの手紙を渡してくる料理人に、ぎこちなく笑い返す。
「エドワードはちょっと優柔不断なところがあるけれど、優しい子だよ。ほら、二人でお食べ」
料理人が差し出してきたのは、二人分のサンドイッチだった。きっとこのパンは、エドワードが配達したものだ。
あいまいに微笑むしかできない私はそれを受け取り、厨房を出た。誰もいない廊下の隅で、エドワードからの手紙を開く。
『お願いだから、落ち着いて聞いて欲しい話がある』
そんな書き出しで始まった短い手紙には、納屋で会いたいという旨が書かれていた。今更なにを伝えたいというのか。心に冷たいものが流れ落ちる。
けれど距離を置いている間に、私もある程度心の準備ができていた。
エドワードがなにを言ってきても、もう私の決意は揺るがない。みっともなく取り乱した先日の私とは違い、心は氷のように冷えて固くなっていた。
自室に寄ってから、いつもの時間に、いつもの納屋に向かう。
納屋のある裏庭はシグムント様の執務室から丸見えのはずだけれども、お忙しいはずなので一メイドの行動など気にも留めていないと思う。
今日も古い納屋の周囲には誰もいない。元々持て余され気味なのだ。使用人の姿などあるはずもなかった。
納屋の木戸を開けると、そこにエドワードはいた。
木箱に腰かけていた彼が、私の姿を見て困ったような笑みを浮かべつつ立ち上がる。くすんだ金髪が、明り取りの窓から差し込む光で一瞬きらりと輝いた。
私が来ない間も、エドワードはずっとここで待っていたのだろうか。
彼からすれば他人の家だ。心細かったかもしれない。いや、通い過ぎてなにも感じないのかもしれない。
私を待っている間、彼はなにを考えていたのか。様々な疑問が浮かぶ。
だけど、私はそのどれも彼に訊きはしなかった。
訊く必要もないと思っていたから。
「よかった。もう来てくれないのかと思った」
久々に聞くエドワードの声は、いつもと同じ調子に聞こえた。
「伝えたいことってなに?」
対する私の声は、自分でも淡々としていると思う。
「その前に、確認させて欲しい。きみの名前は、本当に『エレノア』かい?」
「……そうよ」
だからどうしたというのだ。
「きみの姓は?」
「『リザック』よ。それがどうしたの?」
「そうか、きみがエレノア……」
エドワードが近づいてくる。
「大きくなったね」
その言葉に、私は嫌な予感を覚えた。
彼が私の頭を撫でてくる。慈しむような手つきに、心地よさも苛立ちも感じない。ただ次に彼がなにを言うのかという、それだけを気にして怯えていた。心臓をぎゅっと押さえつけられるような痛みがはしる。
「僕にも本当の名前があるんだ」
「待って、言わないで」
「言うよ。きみに伝えたかった、大事な話なんだから」
「やめて」
それを知ってしまったら、私は世界のすべてが崩れてしまうような気がした。
聞きたくない。
心が全力で拒否するが、エドワードには伝わらない。
「僕の本当の名前は」
「やめて!」
「アルウィン・リザック」
「……嘘よ!」
「本当だよ。僕たちは間違いなく兄妹だ」
なんてことだ。ずっと探し求めていた兄が、まさかエドワードだったなんて。
最もあってはならない現実に、目眩がした。
ぐらついた私の背中を、エドワードの腕が支える。
「あんまり大きくなっていたから、名前を聞くまで気づかなかったよ。再会できるなんて奇跡だ」
奇跡なんかではない。呪いかなにかだ。私も気づかなかったとはいえ、自分たちが兄妹でなにをしたかなど、彼もとっく分かっているだろうに。
赤の他人でなくては許されない関係を持ったという事実に絶望する私に、エドワードは変わらず笑顔を向けてくる。いつもは優しそうに見えていた笑顔がへらへらとしただらしのないそれに見えて、沸々と怒りがこみ上げてきた。
「ねえエレノア、僕たちは兄妹だ。互いがどんな立場だって、どこにいたって、それは変わらない。こうして再会できたように、関係は途絶えないんだ。だから僕が助祭になっても、僕たちはなにも変わらない。僕は妹のきみがいるこの町に、必ず戻ってくるよ。そしたら」
「なにも変わらない?」
私を支えていた彼の腕を振りほどく。
「たった今関係性が変わったばかりなのに、『なにも変わらない』ですって?」
彼の物言いが無責任で頼りないものに聞こえて、私はついに声を荒げた。私の心は、凍ってなどいなかった。ただ薄氷に包まれていただけで、その薄氷を割るには彼の言葉充分すぎる衝撃をともなっていた。
「だったら今すぐ教会に行ってすべてを話してもいいのよ? 『この男は実の妹を何度も抱きました。なのにそれを隠して助祭になろうとしています』って!」
「エレノア、それとこれとは違うよ! だって僕たちは大きくなってからのお互いを知らなかったんだ! まさかこんなところで再会するなんて思ってなかったんだから、しょうがないじゃないか! それに僕はもう二度ときみに手を出さないと誓う!」
そんな誓いに、いったいどれほどの価値があるのか。私は頭を振った。
「あなたが誓ったからって、私たちは幸せになれるの? 私はっ、私は……『エドワード』と幸せになりたかったの! 彼と家庭を築いて、子供を産んで、穏やかに年老いていきたかっただけなの!」
ただ彼には『エドワード』として共に生きて欲しかっただけなのに、なぜそれがこうもうまくいかないのか。望まない事実ばかりが露わになって、私を傷つけていく。
兄妹で愛し合うなんて許されないけれど、だからといって私ばかりが傷つく必要はあるのか。問うたところで、それに対する答えはない。答えてくれる存在がいないのだから、当たり前だ。




