第44話 ウィッテン
全身がふわりとした暖かさに包まれる。体を包む青白い光が、エリオの奇跡が発動したのだとウィッテンに告げていた。
この奇跡が続く間、エリオは一歩も動けない。
彼は約束しているとおりどこかに隠れているはずだが、ウィッテンがやられてしまえば、次は彼が狙われかねない。
なんとしてもエリオを守らなければ。
ウィッテンが目前の相手に集中する。
濃霧の中から突如しかけてきた黒ずくめの相手の武器は、すぐに判明した。斧だ。戦場で使われるようなものではない。薪割りなどに使われるごく一般的な両手持ちのものだ。だが戦用でなくとも、まともに攻撃を受けてはこちらのレイピアが折れてしまう。
繰り出される攻撃を受け流しながら、ウィッテンは相手を観察していた。
相手の太刀筋はめちゃくちゃだ。武術をたしなんだ者とは考えられない。だが人体の動きというものを無視したかのようなタイミングで、息つく間もなく斧を振るってくる。完全に人外としか思えない動きだった。
接近できたおかげで、濃霧の中でも相手の姿を確認できる。頭からすっぽりと黒いローブで体を隠しているが、斧を持つ手元は隠しようがない。
見えた手は、白骨だった。
白骨が斧を握り、猛烈な勢いでそれを振るっている。
「あなたが『霧の悪魔』ですか?」
念の為問うてみたが、返事はない。
よく見れば相手は、体に無数の青白い糸がまとわりついている。
念糸だ。
悪魔や魔術師が死体を操るときは死体に術を施すので、わざわざ念糸で術者と死体を繋ぐという手をあまり使わない。どうやら相手は、念糸で物を掴まなければ操れない者――死者の可能性が高かった。
念糸の出処を探れば、宙に浮くそれらしき人影があった。だが、濃霧のせいでよく見えない。
「沈黙は肯定と受け取ってかまいませんね?」
ウィッテンの問いに返ってくるのは、大きく振りかぶった斧の一撃だ。
相手のフードがめくれ上がり、頭部が露わになる。それもまた、真っ白な骨だった。
白骨を操る霊の正体を見極めるべく、ウィッテンは大きく踏み込んだ。しかし接近されすぎるのを恐れたのか、白骨と人影が後ずさる。白骨を操っている霊は勘がいいようだ。
ならば、とウィッテンはわざと攻撃を大きく空振りした。
案の定、好機とばかりに白骨が踏み込んでくる。振り下ろされる斧をウィッテンが受け流そうとした、その瞬間。
「見つけたああああああ!」
威勢のいい少女の声が響き、鮮やかな青とはしばみ色が視界に飛び込んできた。
白骨に体当たりするかのように突っ込んできたのは、ソフィアだった。人差し指からわずかに伸ばした極太の念糸を、斧を持つ白骨の手首に巻きつけている。
突然の事態に動揺したのか、白骨が動きを止めた。
「ゲイル、今よ!」
「よっしゃ!」
ソフィアに続いて突っ込んできたのは、傭兵風の青年の霊だ。念糸で見事なバスタードソードを作り出し、白骨に絡みついた念糸をぶちぶちと断つ。
支えを一気に失った白骨が、くしゃりと石畳の上に倒れた。
すぐに霧の中から新たな念糸が無数に伸ばされ、白骨の首へと絡みつき、勢いよく白骨を引っ張る。
ウィッテンが突き出したレイピアが、白骨の肘へと当たった。乾いた音を立てて骨が割れ、斧の重みで腕が落ちる。飛び散った骨の破片がウィッテンの頬を掠めた。
「第五の奇跡、ゲブラー!」
ウィッテンの声に呼応して、その足下から帯状の青白い光が幾筋も霧の中へと伸びる。帯状の光が白骨を引っ張る念糸の主を捕まえようとしたが、濃霧の中では問題の霊との距離感がうまく掴めない。空を切った帯状の光は、ウィッテンの足下へと消えていった。
「ウィッテン!」
エリオが駆けてくる。
白骨はというと、既に濃霧の中に紛れて見えなくなっていた。
ソフィアたちは、白骨とそれを操る霊を追いかけていったらしい。周辺に姿がなかった。『霧の悪魔』の正体が死者である可能性が強くなった今、ソフィアたちとて安全ではない。危険だから追いかけなくてもいいと伝えたかったが、ウィッテンにはその術がなかった。
ソフィアと一緒にいたゲイルという霊は腕が立つようだし、いざとなれば彼がどうにかするに違いない。
そう考えながら、ウィッテンは石畳の上に転がっている白骨の腕を拾い上げた。
「ああもう、顔に傷なんか作っちゃって。とりあえず薬塗っておくからね」
「大げさですよ。ただのかすり傷です」
エリオがポケットから出した傷薬の軟膏をぐりぐりと塗られながら、ウィッテンは拾った腕と斧を検分した。
よく乾燥した白骨だ。骨の細かい部分には、いまだに千切れた念糸の残りが無数に絡みついている。その念糸によって、白骨の手は斧を握る形を維持していた。この白骨は、相当長い間念糸で操られていたようだ。そうでなければ、ここまで細かい部位に念糸が入り込み、切り落とされても念糸としての姿を残さない。
乾燥具合と念糸の残り方からして、『霧の悪魔』は四年前からこの白骨を使い続けていると考えられた。
幾人もの犠牲者の血を啜ってきたであろう斧は、ひどく錆びている。切れ味は期待できないこれを、力任せに叩き切るという方法で使っていたに違いない。
ふと、ウィッテンの目が斧の一ヶ所で止まった。
持ち手の先、刃の付け根部分に紋章がついている。
二本の剣が十字に交差した、シンプルな紋章。
ウィッテンはどこかでこれと同じものを見たような気がしていた。
「エリオ」
こんなときに頼るのは、記憶力のいい相棒だ。
「あー、なんかどっかで見たなあ、これ」
エリオの答えはウィッテンと同じものだった。さすがにどこで見たのかまでは、すぐに思い出せないようだ。
ひとまず屋敷に持ち帰ろうかとウィッテンが考えていたとき。
「ああよかった! 無事でしたか!」
「思い出した! 肖像画の額縁だ!」
慌てた様子で駆けてくるシグムントの声と、唸っていたエリオの声が重なった。
シグムントの後ろには、幾名かの騎士団員が一緒についてきている。
「立ち回るような音が聞こえたので何事かと思いましたが、ご無事でなによりです」
そんなシグムントは、ウィッテンが持つ白骨の腕に気づいたらしい。ぎょっとして若干後ずさる。
「神父様、それは」
「『霧の悪魔』の一部です。逃げられました」
「えっ、遭ったのですか」
『霧の悪魔』は、ノルンの住民以外は襲わない。そんな暗黙のルールが破られた事実にシグムントが動揺を見せ、周囲の騎士団員たちが息をのむ。
ウィッテンとて驚かないわけではないが、充分予測はできていた。『霧の悪魔』は、自分を調べて回るウィッテンたちを邪魔に思っている。そして直接ウィッテンを狙ってきたからには、ウィッテンたちがその正体に近づいているのは確実だ。
「シグムントさん、少しお時間をいただけますか」
「ええ、それはかまいません」
シグムントが、騎士団員たちに巡回を指示する。
「屋敷へどうぞ」
シグムントに先導される形で、ウィッテンとエリオは彼の屋敷へと向かった。




