第41話 ウィッテン
「僕思うんだけどさ、ノルンってかなりの濃霧だよね」
「土地のせいでしょう」
雑談をまじえつつ、ウィッテンはエリオとともに夜の街を歩いていた。食事と睡眠をしっかりとったおかげか、エリオも元気を取り戻したように見える。着替えもしたので、彼の僧衣は真っ白だ。
「レジーナに乗っているときに見ましたが、けっこうな山間部でしたからね」
レジーナの名を口にした途端、エリオが一瞬苦い顔をした。かなり嫌っている。しかしウィッテンはそれに触れず、エリオとともに飛竜の背から見た景色を思い出した。
地図を見ながら飛んできたので山間部とは知っていたが、上空から見たノルンは見事なまでの盆地に存在していた。このような土地ならば、昨晩体験したような秋の濃霧も仕方ない。
睡眠以外にも風呂やらなんやらと済ませているうちに、時刻は既に夜八時になっていた。
シグムントの屋敷から教会までは、さほど遠くない。緩やかな坂になっている大通りを下っていけば到着できた。
幸い老司祭はまだ起きているようで、教会の礼拝堂からは光が漏れている。セーフェル教の教会は、礼拝堂に灯りがついているうちは出入り自由だ。
重い木製の扉を開け、がらんとした人気のない礼拝堂へと踏み入る。特に霊の姿も見当たらない。礼拝堂には、祭壇で何事かをしている老司祭ひとりきりのようだった。
老司祭が振り返る。ふんわりとした白髭をたくわえた彼は、ウィッテンたちの姿を見つけると両目を細めた。
「おお、フェルベルト神父。今朝は世話になったのう。あんなに人が集まったのは久しぶりじゃよ」
「お役に立ててなりよりです」
「それで、どうしたのかね?」
「おうかがいしたことがあり、参りました」
老司祭が、祭壇に最も近い場所の長椅子を勧めてくる。ウィッテンとエリオは促されるままに腰かけた。古い木製の長椅子は綺麗に磨かれ、艶々とした飴色に輝いている。今まで多くの人が腰かけたであろうそれは、落ち着く座り心地だった。
「どれ、わしも失礼させてもらうよ」
物陰から小さな椅子を持ち出し、老司祭が腰かける。
ウィッテン自身も、いつか老司祭のような年になる。そのときに自分は、そしてエリオはどこでなにをしているだろうか。ふとそんな疑問がよぎった。
司祭は妻帯が許されているが、自分は結婚する気などない。独身の司祭も多くいるし、なによりも愛おしいと思える存在は、昔も今もオレーリアだけだ。
だがエリオは違う。助祭では妻帯できないが、助祭を辞めてしまえば、一般人としてすべての権利と自由が待っている。
まあ、エリオを見ているかぎりそんな気はなさそうだが。
「で、なにを訊きたいんだね?」
老司祭の声が、ウィッテンを静かに現実へと戻した。今は自分や相棒の老後について考えているときではない。仕事をしなければ、と気を引き締める。
「『エドワード・エリクセン』という青年についておうかがいしたいのです。四年前にロンベルク神父が、彼を訪ねてこちらの教会を訪れたそうですが」
「エドワード・エリクセン……」
老司祭の小さな目が左右に動く。
「ああ、彼か」
老司祭は長い白髭を撫でつつ、遠い目をした。
「彼については、わしもよく知らんのだよ。当時ロンベルク神父が来たときは、もう姿を消しておってな」
「彼が住んでいた家や仕事などはご存知ですか?」
「ああ。身寄りがない青年でな、教会に住まわせておったのじゃ。元々は孤児だとかで、先代の領主様が世話をして欲しいとお連れになったんじゃ」
「……先代の領主が?」
「うむ。どこから来たのかも、出身もわからん。行くあてもないとかで、わずかな着替えだけ持っておった。暫くはここでわしと暮らしながら、町人の簡単な頼み事を引き受けておったよ」
エドワードとの生活は楽しいものだったというように、老司祭の声は少し弾んでいる。
「品があるだけでなく、なかなかの働き者での。街の皆からは好かれておった。教会に住んでいるからといって気にせんでもいいとは言ったんじゃが、毎朝のミサも欠かさぬ性格でな。優しく、真面目な若者じゃった」
エレナの話の印象とはずいぶん違うな、とウィッテンは感じた。老司祭の話を聞いている分には、とてもエレナを捨てて姿を消すような若者には思えない。
エレナと老司祭の話では、エドワードについての印象は真逆だった。
「シグムント様が姿を現した頃だったかのう。エドワードは助祭になりたいと言ってきたんじゃ」
「たしか領主様って、就任するまで存在を隠して育てられるんでしたっけ?」
エリオが口を挟む。だがちょうどそれを気にしていたウィッテンは、特にエリオを止めなかった。
エリオの問いに、老司祭がゆっくり頷く。
「ハーシェル家のしきたりじゃ。正式に領主となるまで、一切子供について表に明かさぬ決まりになっておる。その誕生の瞬間さえ秘密じゃ」
「え? じゃあ洗礼は?」
「領主に就任するときに受けるのじゃよ」
礼拝堂を奇妙な沈黙が満たす。
跡継ぎが生まれたとなれば、領民にはすぐに報されるものだ。
いや、たとえ後継ぎになる息子でなかったとしても、子の誕生は慶事に変わりない。多くの人に祝われ、教会で洗礼を受ける。
シグムントのどこか淡泊な様子は、その特殊な環境ゆえなのか。くすんだ金髪の青年の姿が、一瞬ウィッテンの脳裏に浮かぶ。
「エドワードの容姿などは覚えていませんか?」
「ふうむ、これといって特徴はなかったような……」
思考を巡らせる老司祭は、なにか思い当たる節があったようで、その目がわずかに見開かれた。




