第32話 ソフィア
「ねえゲイル、あれなに?」
「見てのとおり、バケツ持った騎士団員だな」
真夜中、濃霧が立ち込める道端。意気揚々と見回りに出発したソフィアとお供のゲイルは、不思議な光景を見かけた。見回りをしているはずの騎士団員が二人、バケツを重そうに持ち歩いている。
こんな時間にそんなものを持って、いったいなにをしているのか。気になったソフィアは、つい彼らの後ろをふらふらとついていった。そんなソフィアの後を、ゲイルが追いかける。
暫く行ったところで、ソフィアはゲイルに肩を引っ張られた。ゲイルがソフィアの前に出て、視界が遮られる。
「おまえは見ねえ方がいいぜ」
ゲイルの足下から覗く石畳を、水が流れていく。さっき騎士団員が運んでいたバケツの中身らしい。濃霧のせいでぼんやりとしている街灯の灯りではよく見えないが、石畳を流れる水はうっすら赤く染まっているようだ。
たぶん、血だ。
喉元まで出かけた悲鳴を押し殺すように、ソフィアが両手で口を塞ぐ。
「ソフィア、気をつけろ。『霧の悪魔』は近くにいるかもしれねえぞ」
「分かった」
こういう場合は元傭兵だというゲイルに従っておいた方がいいと、ソフィアもさすがに思う。彼の言葉に頷くと、ソフィアは血を洗い流す騎士団員たちから離れるように、狭い路地へと入る。
街灯の光がほとんど届かぬそこは、濃霧のせいもありほとんど先が見えない。ゲイルが念糸で作ってくれたカンテラの灯りを頼りに、住宅の石壁に沿ってゆっくり進む。
路地から路地へと渡り歩くように進んでいたそのとき、先導してくれていたゲイルが止まった。振り向いた彼が、声を出すなというように口元に人差し指を当てる仕草をする。ソフィアは己の手で口を塞いだ。
そうして前方に視線を移し、濃霧の中に目を凝らす。
直後。
ふわり、と青白い光が舞った。
一瞬だが、ソフィアは見逃さなかった。念糸の光に違いない。ということは、この先に誰かしら死者がいる。
それは『霧の悪魔』を恐れて身を潜めている霊かもしれないし、ひょっとしたら本物の『霧の悪魔』かもしれない。
ゲイルが、ソフィアを手で押し戻すような仕草を見せる。危険に備えて距離を取れということだ。そうして、そろりそろりと先を進んでいく。相手に敵意があれば、まずもみ合いになる。そうなれば強いのは、ソフィアよりもゲイルに決まっている。
それでもあまり離れてしまうと、ゲイルの姿を見失いそうで怖い。軽鎧姿のゲイルの背中を、ソフィアは必死で追いかけた。
住宅の間を抜けると、細い十字路に出た。二人で周囲を見回すが、念糸の光と思しき光は見当たらなかった。
「気のせいか……って、おまえ、楽しそうな顔してんなあ」
「え?」
ゲイルに言われて、ソフィアは己の笑顔に気づいた。若干の恐怖はあるものの、それ以上に、まるで探偵かなにかになったようでわくわくする気持ちが抑えられない。
「こういうのって、ちょっとだけ楽しくない?」
そんなソフィアの言葉に、ゲイルがため息をついた。それを合図にしたように、二人の間に漂っていた緊張感も解ける。
「さっきの光って、念糸よね?」
「たぶんな。生きてるやつらが使うカンテラが青く光るなんて、聞いたこともねえし」
「じゃあ、『霧の悪魔』ってこと?」
「さあな。別の霊って可能性もあるぜ」
『霧の悪魔』を恐れる霊は意外と多い。酒場で生者たちが集団で帰ると同時に、あれだけ店内にいた霊たちもそれぞれの隠れ場所へと向かっていった。こんな時間にふらふらと『霧の悪魔』捜しをしているのは、ソフィアたちくらいのものである。
そんな特別さが、まるでいたずらをしているときのようなわくわく感に感じられるのだ。
もっともソフィアがそうやってわくわくしていられるのも、ゲイルがいてくれるからなのだが。ひとりきりだったら、おそらくこんな危険な行為には出なかった。
「ねえゲイル、もう少しこのへんを回ってみましょ。もしかしたらってこともあるわ」
「おまえ元気だなあ」
「当たり前よ。『霧の悪魔』を捕まえて、ウィッテンの前に突き出すのが目的なんだから」
「へえ……」
ゲイルのじっとりとした視線に、ソフィアは口を滑らせてしまったと気づいた。だがもう遅い。
「そ、それに念糸を使うかもしれないってことは、『霧の悪魔』が死者かもしれないでしょ? そしたらあたしたちが役に立つはずよ」
なんとか取り繕おうとするソフィアに、ゲイルが小さく息をつく。
「念糸はなにも死者だけのもんじゃねえぞ、ソフィア。エクソシストが起こす奇跡も、魔術師が使う術も、ぜーんぶ念糸と同じ原理だ」
念糸は死者の特権とばかり思っていただけに、ソフィアはゲイルの言葉に口をぱくぱくさせた。だが、今手元にあるたしかな情報は先ほどの念糸と思しき光の存在だけだ。
「そうだとしてもよ。『霧の悪魔』が死者っていう可能性を否定する材料にはならないわ。それに本当に霊だったら、あたしたちの方が騎士団より先に見つけられるかもしれない」
「ふうん、それが目的なんだねえ」
突然背後から聞こえた声に、ソフィアは肩を震わせた。その声には聞き覚えがある。
振り返ったそこに見えたのは、血のような汚れがついた白い僧衣だ。




