第30話
エドワードが困り顔で口を開く。
「たしかに司祭と違って結婚はできないけれど、だからってきみとこれで終わりってわけじゃないよ。僕は必ずこの町に戻ってくる。そしたらまた、同じ町で暮らせるじゃないか」
さも素晴らしい提案のような顔するエドワードに、私は目眩を覚えた。
私が求めているのは、そういうあやふやな関係ではない。私が信じていたものは『夫婦』という未来に繋がる『恋人』という関係だ。そしてその関係においては、エドワードが聖職者になりたいなんて話は、片鱗すら見たことも聞いたこともなかった。
「あなたがまたこの町に戻ってきたって、今までの関係は終わりなんでしょ? それじゃあ結局私を捨てるのと同じじゃない!」
「そうじゃないよエレナ。それにほら、いつか司祭になったら、そのときは結婚できるんだよ。そしたら僕たち二人で暮らせるんだ」
「いつかっていつよ! 私はいつまで、あなたに捨てられた女だっていう看板を背負って生きてなければいけないの!」
「それは……」
「もうやめて! なにも聞きたくない!」
これ以上エドワードの声を、彼の声を、聞いていたくなかった。
私がなにを言ったところで、彼が私を捨てるのは決定事項だ。司祭になったらまた私を拾う気でいるなんて、傲慢すぎる。
いつになるかわからない約束を待つなんて、私にはできない。
ひょっとしたら、約束は一生果たされないかもしれないのだ。彼と夫婦として添い遂げる夢を見たまま、ひとりで年老いていく。そんな未来耐えられない。
それに、もしエドワードが司祭になったとして、そのときに私を選ぶという保証はない。私とは別の道を歩むと決めたエドワードが他の女と出会っても恋に落ちないという保証は、誰も与えてなんてくれない。
そんな不安定な未来、私は望んでいない。
エドワードが私の生き方を変えてくれると、私が勝手に期待しただけ。
そして勝手に裏切られただけ。
それだけだと思いたいのに、涙が止まらない。
悪いのは私なんだろうか。
なにが原因だったのか。
私が婚約もしていない相手に体を許してしまうふしだらな娘だから、罰が下ったのだろうか。
私はいったいどこでなにを間違ってしまったのか。
どんなに考えても、わからなかった。
この問いに明確な答えがあるというのなら提示して欲しいけれど、そんな答えをくれるようなすがれる存在、私にはいない。今まで私の心の支えになっていたのは、エドワードだったのだから。
彼が私の前からいなくなるという事実に、支えを失った私の心は崩れかけていた。
エドワードが必死そうになにかを言っているけれど、もう私にはよく聞こえない。
「エレナ」
かろうじてそれだけ聞き取れた。彼の口の動きで、やっとわかったのかもしれない。数え切れないほど私を呼び、何度も好きだと言ってくれて、幾度も口づけをくれたその唇が、今は気持ちの悪いものにしか感じられなかった。あの唇が私の体を這いずっていたのだと思うと、悪寒がはしる。
「やめて、その名前で私を呼ばないで」
吐き気がした。
私はそんな名前なんかじゃない。
それは幼い頃の私が、自分の名前をうまく喋れなかったせいでついた名前だ。
その名前がついた日から、私の孤児院暮らしは始まった。
『エレナ』という名前には、兄と離れ離れになった長い歳月と、エドワードの嘘に甘い夢を見た愚かな自分しか詰まっていない。
「私は……」
エドワードに深く関わらなければよかった。当初の予定通り、幼い頃生き別れになった兄を探していればよかった。そうしたらこんなに傷つかずに済んだし、痛みを伴う悲しみを覚えることもなかったはずだ。
兄を探し続けるだけの日々は、つまらない毎日だったかもしれない。それでも、いつか見つけられるかもというささやかな希望を抱いていられただろう。そしてそれがただの叶わない夢になってしまっても、その頃には私もすっかり大人になっていて、他の幸せを見つけて暮らせたかもしれない。
「私の本当の名前は……エレノアよ!」
エドワードを感情のままに突き飛ばし、納屋を飛び出した。
彼の手が届かない場所へ。
声が聞こえない場所へ。
誰にも邪魔されずに泣ける場所へ、行きたかった。




