第20話 ゲイル
本来ならば、空に昇った月が見える時刻。
ゲイルは宿屋の空き部屋にいた。曇天のせいで月光は地上に届かず、宿泊客のいない室内はかなり暗い。
その室内にある、ベッドの上。
そこでソフィアが眠りこけていた。
はたして死者に仮眠は効果があるのか。ゲイルも昼寝は好きだが、さすがに夜の見回りに向けて仮眠を取ろうとまでは思わない。別に寝なくても眠気など感じないし、パフォーマンスにも一切影響しないからだ。
ソフィアに起こしに来て欲しいと頼まれたのでゲイルは律儀にやってきたのだが、こんなにもきっちりと睡眠をとる死者はソフィア以外見たことがない。
毎日よくそんなに眠れるものだと、ゲイルは感心した。純粋に飽きないのかと不思議だが、ひょっとしたら生前のソフィアは眠りに関して強い執着心があったのかもしれないと、ゲイルは考え直した。
とりあえず、約束しているのだから起こさなければ。ゲイルはソフィアへと近づいた。
「おいソフィア、出かけるぞ」
「あと五分……」
「お決まりのセリフ返すんじゃねえよ。起こしてくれって言ったの、おまえだろうが」
寝返りをうつソフィアを見ながら、ゲイルは小さなため息をついた。
できることなら、無防備な状態のソフィアには触りたくない。相手は一応年頃の少女だ。変なところを触っただのなんだとの騒がれるのは嫌だ。
「おーい、見回り行くんだろー」
「うーん……」
「イケメンの為に行くんだろー」
「ん……」
声だけでは絶対に起きない。早々にゲイルは悟った。
そうとなれば、仕方ない。
ゲイルの右手から、念糸がぞわぞわと生えた。それらが絡み合い、掌の形をとる。
「おい、起きろって」
「あいたっ!」
念糸で作られた掌で、ソフィアの頬にビンタを放った。
ソフィアの悲鳴に合わせるように、彼女の体が一瞬青白く光る。衝撃で彼女の体から飛び出した念糸が、声に混ざったようだ。
念糸は指先から生やして使うだけのものではない。なにかしらの衝撃で魂から溢れた念糸が感情を表すラップ音に変化したり、声そのものに混ざって生者に聞こえる場合がある。
念糸を操るのが苦手なソフィアでも、こういった部分は霊らしく機能するようだ。
「いきなり殴るなんてひどいじゃない!」
ソフィアが頬を押さえて起き上がる。
「あたしがなにをしたってのよ!」
「起こしてくれって言ったのはそっちだろ。声かけても全然起きねえから、こうして仕方なく手を出したってわけだ」
念糸でできた掌を霧散させ、ゲイルが当然という顔をする。
ゲイルは戦死した為、軽鎧姿をしている。両手には手甲がはめられていた。この武骨な手で叩くよりは、手加減をした念糸の一撃のほうがましだったはずだ。
「もうちょっと優しい起こし方ってもんがあるでしょ、普通」
起こされたソフィアはというと、ぶつくさ言いながら窓の外を見ている。
「あれ、あんまり霧出てないのね。もう少し寝ようかしら」
もう充分寝ただろうと、ゲイルは心の中で呟いた。たしかに予定よりは早い時間だが、寝直されても困るのだ。早めにソフィアを起こしたのには、それなりの理由がある。
「見回りの前に、いいところ連れてってやるよ」
「いいところ?」
「だからまずは、そのぼさぼさの髪なんとかしろ」
そう言ってから、ゲイルは念糸でヘアブラシを作ってソフィアに渡した。
昼間の努力も空しく念糸に変化がなかったソフィアが、ヘアブラシを受け取り髪を梳く。エレナの丁寧な梳き方と比べるとずいぶん雑だが、それでも一応髪が整う。
これではまるで自分は母親代わりだな、とゲイルは内心苦笑した。
ソフィアが返してきたヘアブラシを霧散させると、彼女を連れて宿を出る。まだ夜中というには早い時間だったので、街灯が照らす通りを行く人の姿も多少はある。その中には、霊と思しき姿もちらほらあった。
秋の夜ということもあり冷えると頭では分かっているが、実際には気温など感じない。死んだ今となっては半袖でもまったく問題なかった。それは夏物のエプロンドレスを着ているソフィアも同じで、寒がる様子もなくゲイルの後をついてくる。
屋根伝いに飛んで目指すのは、小さな繁華街だ。
「いいところって、どこ?」
「ほれ、ここだ」
ゲイルがソフィアを連れてきたのは、繁華街の一角にある酒場だった。店の中からは、陽気な笑い声が漏れ聞こえている。昼間の街中に漂う陰鬱な空気とは真逆だ。元々酒場とはそういう場所だが、特に今のノルンでは、生者たちは飲まなければやっていられないのだろう。
ソフィアは、酒場が初めてかもしれない。ちらりと見ると、不安そうな視線をゲイルに向けていた。
「大丈夫、大丈夫。ほれ行くぞ」
そんなソフィアに手招きをして、ゲイルは酒場の屋根をすり抜けた。
天井を抜けると、途端に笑い声が大きくなる。狭い店内では、日頃の鬱憤を晴らすかのように、酔っ払いたちが声をひとつにして歌っていた。客の多くは男だが、ちらほら女も混ざっている。彼らの頭上では、店に集まった数人の霊たちも一緒になって歌っていた。
賑やかな彼らの上を飛びながら、ゲイルは壁際のカウンター席へと向かう。聖別された僧衣に身を包む聖職者などでなければ、生者の体をゲイルたちがすり抜けるのは簡単だ。しかしそうすると、すり抜けた瞬間に生者は寒気を感じてしまう。せっかく楽しそうにしている彼らを無駄に驚かせたくはなかった。




