第18話 ソフィア
高く澄んだ秋の青空の下。緑色の瓦が敷き詰められた、いつもの宿屋の屋根。相変わらず陰鬱な空気の街並みを見下ろせるそこで、ソフィアは険しい顔をしつつ己の指先を見つめていた。
ソフィアを見守るエレナは苦笑い気味だし、ゲイルにいたっては隠す気もないのかにやにや笑っている。
だがソフィアは、そんな二人の様子に気づくほどの余裕などなかった。
「ソフィアちゃん、もうちょっと落ち着いてみよっか。肩の力を抜いて、リラックスだよ」
エレナのアドバイスにリラックスを意識するソフィアだが、意識するほど逆に全身がこわばってしまう。すると、ソフィアの人差し指の先から出るはずの念糸も、極太のパスタのようなものになってしまうのだ。しかも集中すればするほど、長さはソフィアの気持ちに反比例してどんどん短くなっていく。
エレナたちのように念糸を絡ませて物を作るなど無理に思えて、ソフィアはがっくりと肩を落とした。
念糸を自在に使えたら、『霧の悪魔』を捕らえるのに使える。
それに、自分で身だしなみを整えられる。念糸では髪飾りや服も作れるのだ。旅の途中でゲイルが一度だけ連れていってくれた死者の町で、念糸製の服飾品で着飾った死者を見た覚えがあった。
せめて次にウィッテンと会うときは、可愛らしい髪飾りのひとつくらい身に着けたい。
基本的に死者は、死んだときの服装のまま霊になる。
今ソフィアが着ているエプロンドレスは、妹のカチュアとお揃いでお気に入りだ。それはいいのだが、たまにカチュアがしてくれたように髪を編み込むなどといった小技を、ソフィアは一切こなせなかった。農作業の後にカチュアと遊んでいて死んだので、髪飾りなどという洒落たものもつけてないし、カチュアがたまにしていたように紅のひとつも差していない。
そんな違いがあったおかげで、瓜二つの双子でも生前は皆なんとか区別をつけてくれていたのだが。
ソフィアが突き落とされたあの日、カチュアが化粧をしていなくて幸いだった。もし一家での農作業がなければ、カチュアは薄化粧をしていた。そんなことをしていれば、周囲は完全に双子の区別がついていて、カチュアが責められていたかもしれない。
今となってはもう双子の区別をつけてもらう必要もないのだが、そうなるとおしゃれに興味がないというソフィアの性格は、ただ単に外見的な魅力に欠けるという悲しい要素でしかなかった。
ゆえに今日も髪を梳きに来てくれたエレナを捕まえ、念糸の練習がてらまずは櫛を作ろうとしていたのだ。
身の回りのありふれたものならイメージしやすい。それにエレナやゲイルは、いつも念糸で簡単に作っている。ならば自分もできるはずと思ったが、そもそもより合わせて形を作れるような細い無数の念糸すら作れない。
「おまえ、思ってたより不器用なのな」
屋根の上で寝転がっていたゲイルが、けらけらと笑い声を上げる。疲れている今、その無遠慮な声はソフィアの気に障った。
「なによ。そういうゲイルはヘアブラシよりすごいもの作れるってわけ?」
かちんときたソフィアが、ゲイルをじろりと睨む。
ソフィアの目前で、ゲイルが片腕を上げた。その手から、青白く光る無数の念糸が出る。ふわふわと絡まり合う大量の念糸は、ゲイルの手の中であっという間に一振りのバスタードソードになった。
「これくらい朝飯前だろ」
バスタードソードを霧散させ、ゲイルがにやりとした。
彼が器用に念糸を操ることを、ソフィアは充分知っている。しかし正直ソフィアから見てもがさつな印象のゲイルが、そんな大物を瞬時に作り出すとは思っていなかった。普段言うだけのことはあるということだ。
愕然とするソフィアを慰めてくれる唯一の存在は、もちろんエレナだった。
「大丈夫よソフィアちゃん。毎日やっていたら、いつかできるから。だから一緒にがんばりましょ」
そう言い、エレナは念糸で作った櫛でソフィアの髪を梳き始めた。けれども、エレナの優しい手つきもソフィアの心を落ち着かせてくれはしない。
「いつかじゃだめなのよ、今じゃないと」
昨晩も『霧の悪魔』が出たらしい。きっと今夜も濃霧ならば、『霧の悪魔』は出る。今このとき念糸を使いこなせるようにならなければ、いつまで経ってもウィッテンの役に立てない。ソフィアが下唇を噛む。
「焦ってもいいことないよ」
そう言いつつ髪を梳いてくれるエレナは、ソフィアにカチュアを思い出させる。繊細で慎重な性格だったカチュア。刺繍も料理も、すべてカチュアの方が上手にこなしていた。部屋の掃除だって、おおざっぱにやっては母に怒られるソフィアと違い、カチュアの部屋はいつも綺麗だったのだ。そんなカチュアならば、もし霊になったとしても念糸をすぐに自在に操れたに違いない。
だが急にカチュアのようになりたいと願っても、無理なものは無理だ。
結局、ソフィアはソフィアでしかなかった。




