第14話 ソフィア
生者が普通しないことは、死者もしない。
そんな暗黙のルールがあるのは、ソフィアも知っている。
けれども、やはりエクソシストの青年をそばで見てみたいという欲望には勝てず、ソフィアはエレナが教えてくれた客室に来てしまった。
ベッドに転がっていた彼に一瞬睨まれたような気がしたが、ソフィアは恐ろしさと同時に恍惚ともいえる感覚を覚えていた。
ウィッテン――助祭は彼をそう呼んでいた――は、本当に霊であるソフィアが視えるのだ。ウィッテンに視認してもらえたという事実に、ソフィアは今までにないほど興奮していた。
しかしそれもつかの間。
ウィッテンは、助祭の青年が飲ませた薬のせいか死んだように眠ってしまった。
「もし司祭に用事があるなら、この教会にでも行ってくれないかな」
今ソフィアに話しかけてくるのは、助祭の青年だった。ウィッテンが起きていたときに見せていた人懐っこそうな雰囲気はどこへやら、一切笑顔のない彼の丸眼鏡の奥の黒い瞳は、鋭くソフィアを見据えている。
「僕たちは、きみが旅立つ手伝いをする為にここに来たわけじゃないんだよね。悪いけど、僕の相棒の仕事を増やさないでくれよ」
「あたしは別に旅立ちたいわけじゃないわ。ただ、その……」
エレナの忠告を無視して、興味本位で勝手に部屋に侵入しただけだ。
生者だって、赤の他人が家や部屋に侵入してきたら騒ぎになる。助祭の青年の態度がきついのは当然だと、ソフィアは今更になってようやく理解した。
聖職者だからといって、無条件にいつでも優しいわけではない。彼らもまたひとりの人間なのだ。
「旅立ちの相談でもないなら、なおさら関わらないでくれるかな。それに、人の部屋に無断で入って生活を覗き見するなんて、悪趣味もいいところだよ」
助祭の青年にあらためて言葉にされると、己の異常なおこないというものがより鮮明になり、ソフィアは消え入りたい気持ちになった。恥ずかしさで、時間が戻るなら部屋に入るのをやめたいという考えでいっぱいになる。
「たしかに壁をすり抜けられるってのは便利だよ。ウィッテン目当ての霊は、そうやって部屋に入ってくるしさ。でも、少しくらい考えてみなよ。きみだって、生前の自分の部屋を知らない霊が覗いていたらって思うと、嫌だろ?」
「う、それは」
助祭の青年の言葉は正論すぎて、ソフィアは言い返せなかった。知らない霊に着替えやらなんやらを覗かれていたかもしれないと考えると、かなり気味悪い。
だからこそ、生者が普通しないことは死者もしないのだ。
先ほどまでウィッテンに視認された喜びではしゃいでいたソフィアは、久々にまともに怒られたというショックですっかりしょげていた。
ソフィアに追い打ちをかけるように、助祭の青年が大きなため息をつく。
「とにかくさ、部屋から出ていってくれないかな」
それでさ、と彼が続ける。
「もう二度とウィッテンに近づかないでくれよ。きみみたいに好奇心だけで寄ってくるタイプの霊って、仕事の邪魔になるから迷惑なんだよ」
迷惑。
そこまではっきり言われる体験を、ソフィアはしたことがなかった。短くて鋭い言葉が、心にざっくりと突き刺さる。もうどんな顔をしていいのかさえ、ソフィアは分からなかった。
「あの、あたし」
絞り出した声が震える。
「……ごめんなさい」
やっとそれだけ言うと、ソフィアは壁をすり抜けて逃げるように廊下へ出た。
ひっそりと静まりかえった夜の廊下には、霊の姿もない。ここにエレナがいなくてよかったと、ソフィアはほっとした。今の精神状態でエレナからも叱責されたら、立ち直れる自信がない。
人から露骨に拒絶されたのは、初めてだった。ひょっとしたら睨みつけてきたウィッテンも、助祭の青年と同じ考えだろうか。
だとしたら、ウィッテンに与えた心証は最悪だ。
自分はただ、ウィッテンを少しでも近くで見てみたかっただけなのに。
けれども死者として過ごすうちに、生者の頃は持っていた当たり前の感覚について鈍くなっていたのかもしれない。
なんとか挽回しなければ。
でも、どうやって。
ソフィアは暫し考えを巡らせたが、答えはひとつしかなかった。
『霧の悪魔』を捕まえて、ウィッテンに差し出すのだ。
ウィッテンに迷惑をかけてしまったのなら、挽回するには彼の役に立つしかない。でも自分は死者だ。できることなど限られている。
ソフィアが唯一持っているものは、もう死ぬこともなく、睡眠も不必要な、魂剥き出しのこの体しかない。生者よりも危険な目に遭う可能性は少ない。
それにゲイルは、『霧の悪魔』はこの町の住民しか襲わないと言っていたではないか。
夜の街中を徹底的に見回れば、住民が襲われているところにも出くわす可能性がある。
そこで『霧の悪魔』を捕まえれば、ウィッテンの役に立てる。
そうとなれば、ゲイルにも手伝ってもらった方がいいに決まっていた。自称傭兵であるからには、少なくともソフィアよりは腕が立つに決まっている。それに、ゲイルは器用に念糸を操る。まともに操れないソフィアとは大違いだ。
今となっては真面目に念糸の練習をしてこなかった時間がもったいないが、後悔しても時間が戻ってくるわけではない。
ゲイルはきっと明日の朝も、いつものように宿屋にソフィアの様子を見に来るだろう。そのときにソフィアの考えを話してみればいい。一年つるんで旅をしてきた仲だ。おそらく嫌とは言わないはずだという自信が、ソフィアにはあった。口はあまりよくないが、ゲイルは面倒見がいいのだ。
エレナに見つからないうちにと、ソフィアは屋敷を出ることにした。向かうのは、最近寝床にしている宿屋だ。
今日は死んでから久々に色々あった。疲れたというわけではないが、心の整理が追いつかない。物体をすり抜けてしまう霊なのだからどこで寝ても一緒だが、気分はやはり違う。見た目だけでも心地よさそうなベッドの上に行きたいと感じていた。




