第13話
ウィッテンはエリオの気配を探った。彼はまだテーブルでいつもの薬を用意しているようだ。
「シグムントさんが今夜は僕たちをゆっくり休ませてくれるつもりでいてくれて、本当によかったよ。感謝だね」
のんきな声を上げながら、エリオが作業をしている。
「エ……エリオ……」
ウィッテンがなんとか絞り出した声は、蚊の鳴くような弱々しいものだった。それでもなんとかエリオの耳に届いたらしく、物音が止まる。
「え? なんだい? 薬が待ちきれないって?」
そうではない。いつもの薬を用意しているのがわかりきっているので、そんなこと絶対に言わない。あれは人の飲み物ではないと、ウィッテンは常日頃思っている。
「エリオ……れ、霊……」
「まあまあ、ちょっと待ってなって。あと少しでできるからさ。本当、僕とコンビでよかったねえ。これが作れるのは師匠と僕くらいなもんだよ」
エリオの朗らかな声は、悪酔いしているウィッテンの頭にがんがん響いた。思わず冷たい濡れタオルに顔を埋める。
ややあって落ち着いたウィッテンが、自分でも情けない声だとは思いつつもか細い声で、必死になってエリオを呼ぶ。
しかし助けを求める気持ちは、エリオには届かなかった。それどころか、漂ってくる臭気は確実にウィッテンの大嫌いな薬が作られていると示している。
仕方ない。霊は自分でなんとかするしかない。せめて今夜は都合が悪いと、なんとか霊の少女に伝えなければ。とてもではないが話を聞ける状況ではないと伝えられたら、さすがに霊の少女も退いてくれるかもしれない。
覚悟を決めて、ウィッテンは霊の少女を見た。
瞬間、少女がびくりと怯えたように体を震わせる。
どうやら、睨みつけるような視線になってしまったらしい。ウィッテンの金色の瞳は、時折自身も想っていなかったようなきつい印象を他者に与えてしまう。普段は充分気をつけて表情を作るのだが、余裕のない今、それは難しかった。
霊に無断で部屋に居座られるのはあまり気持ちのいいものではないが、それについて怒っているわけではないのだ。霊は聖別されていないものはなんでもすり抜けてしまうので、どこにでも入り込める。他人の部屋に無断で入るのはマナーからすれば大いに問題があるが、できてしまうものは仕方ない。
それにそうして室内に侵入してくる霊は、なにか伝えたいことがあってそういう手段に出る場合もある。眼前にいる霊の少女もそんな理由なのだろうと、ウィッテンは考えていた。
視線で怖がらせてしまった分、せめて言葉だけでも優しくしなければ。ウィッテンが言葉を紡ごうと呼吸を整えていたときだった。
「さあウィッテン、できたよ! 僕お手製の酔い覚まし薬が!」
エリオが嬉しそうな声を上げた。身の危険を感じたウィッテンがそちらを見ると、ティーカップを手にしたエリオが近づいてくる。
「ほら、ぐいっと飲んで楽になっちゃいなよ」
「やめろっ、それは人の飲み物じゃない!」
「あ、そういうこと言うわけ? じゃあこれは奇跡の飲み物ってやつだね。なんたって効果は抜群なんだから!」
エリオが押しつけてくるカップの中身は、濁った緑色をしている。かなりの粘度がありそうな液体の表面に、こぽぉ、と大きな泡がひとつ生まれて消えた。爆ぜた泡の中からは薬臭いともなんとも形容しがたい独特の臭気が生まれ、ウィッテンの鼻を刺激する。お世辞にも一息に飲めるような見た目ではない。
というかむしろ、飲食物の見た目をしていない。
「平気だって。体にいい成分しか入れてないからさ、たぶん」
「たぶんってなんだ、たぶんって!」
いつものウィッテンならば、運動はからきしというエリオに力負けなどしない。だが酒を飲んだときだけは、どうしても勝てなかった。
馬乗りになったエリオが、ウィッテンの口にカップを押しつける。
もう少し人道的な薬が欲しいウィッテンも必死で抵抗するのだが、鼻をつままれてしまっては口を開けるしかなかった。
空気を求めるウィッテンのわずかな隙をついて、どろり、と異様な粘り気のある液体がカップから流れ出た。エリオが慣れた様子で、ウィッテンの口へと粘度の高い液体を流し込んでくる。
喉を流れ落ちる生ぬるく不快な感触に、今度こそウィッテンは吐きそうになった。濡れタオルを顔に押しつけ、なんとかこれ以上の醜態を晒すのだけは避けようと体をこわばらせる。
「やあ、よく飲んだね! 偉いよウィッテン!」
エリオがウィッテンの肩をぽんぽんと叩く。
「まあ、そんなわけだからさ」
次に聞こえてきたエリオの声は、ウィッテンに向けられたものではなかった。
「悪いけど、今日の『フェルベルト神父』は店じまいだよ」
どうやらエリオは、霊の少女に向かって言っている。
なんだ、気づいてたんじゃないか。
心の中で呟きながら、ウィッテンは速やかに意識を失った。




