第101話 ソフィア
「ソフィア、こっちだ! すげえ勢いで走っていきやがった!」
ふらふらと食堂のあたりをさまよっていたソフィアを、突然現れたゲイルが大声で呼ぶ。
「おまえに似たやつが走ってったぞ!」
ゲイルの声に続くように、遠くから乱闘でも起きているような乱暴な音が響いてきた。
「どこ! カチュア!」
音が聞こえた方へと、ソフィアは飛び出した。壁や家具をすり抜け、カチュアの姿を探す。
そうして辿り着いたのは、先刻覗いた居間だった。家具が乱雑に倒されているそこに広がるのは、火かき棒を手にしたカチュアと、それに向き合う抜刀したウィッテン、そして尻もちをついたフレデリックと彼を助け起こすエリオという光景だ。
「カチュア、なんてことしてるの!」
ソフィアが思わずカチュアに突進しながら、念糸を伸ばす。青白く光る極太の念糸がカチュアの腕に引っかかるが、それはあっさりと振り払われてしまった。想像していなかった事態に、ソフィアが後ずさる。
だが同時に、ソフィアは気づいた。フィオナのような通常の生者に触ったときと、カチュアに触ったときでは、感覚が違うのだ。
「ゲイル、なんかおかしい。あの子の体、中に芯が入っているみたいな感触があるの」
今まで感じたことのない異様な感覚に、ソフィアが息をのむ。
「てことはあれだ。あの肉体の中に、別の霊がいるんだ。隠れてやがるな」
「間違いなく霊なんですね?」
ソフィアとゲイルの会話に、ウィッテンが加わる。
「ソフィアの言葉を信じるならな」
ゲイルの一言に、ウィッテンが動いた。
「第五の奇跡、ゲブラー!」
ウィッテンの声に呼応するように、彼の足下から帯状の青白い光が無数に現れた。光の帯が一直線に伸び、カチュアの四肢や胴体へと巻きつく。
直後、カチュアの体に巻きついた光の帯がその体からなにかを引きずり出した。
操り人形のようにだらりと力の抜けた肉体から出て来たのは、二人分の魂だ。
カチュアの魂が、質素な青いドレス姿の女の念糸にがんじからめになっている。それを見たウィッテンが、帯状の光の戒めを解いた。
「お、お姉、ちゃん……ごめん、なさい……」
身動きのとれないカチュアが、それでも大きな瞳を動かしてソフィアを見つめてくる。
「さすがはエクソシストね。まさかこんな技があるなんて」
青いドレスの女が嗤う。三十代後半ほどに見えるこの女が、カチュアに憑いていた霊だ。ソフィアが女をびしりと指さす。
「あんたが元凶ね! さっさとカチュアを離しなさい!」
「お断りよ」
女は即答した。その細い指が、カチュアの顎をそっとなぞる。
「こんな素敵な玩具を手に入れて、簡単に手放す馬鹿がどこにいると思うの?」
「強制的に取り上げることもできますよ」
ウィッテンの声は、ソフィアが思わずぞくりとするほど冷たかった。
そんなウィッテンの剣先がわずかに動く。カチュアに絡んでいる女の念糸を狙っているようだ。エクソシストの武器は聖別されているので死者にも干渉できると、ソフィアは聞いた覚えがあった。
「自ら片づける方と、無理矢理取り上げられる方。あなたはどちらがお好みですか?」
「私が好きなのは……」
女の化粧を施した艶やかな顔が、憎悪に歪む。
「いつまでも遊び続けることよ!」
叫び、女がカチュアの魂を勢いよく引っ張った。ウィッテンが動くが、女は念糸で握り直した火かき棒をめちゃくちゃに振り回し、進路を妨害する。
火かき棒をウィッテンがレイピアで受け流すのと、ばりばりとなにかが引き剝がされる音が響くのは、ほぼ同時だった。
引き剝がされる音に、念糸が混ざっているようだ。ウィッテンの後ろにいたフレデリックが、響き渡る音におろおろしながら周囲を見回している。
ソフィアの目には、カチュアの魂がその体から離されるのが視えていた。青白い念糸の切れ端を宙に舞わせながら、カチュアの魂が完全に肉体から離れる。
「ゲイル、あれ……!」
「生きてるやつの体と魂を繋いでる念糸だ。あの女、力づくでおまえの妹の魂を体がから引き剝がしやがった」
糸が切れた操り人形のようにゆっくり倒れるカチュアの体を、飛び出したフレデリックが抱き留める。部屋の端へと運ぶその様子を見るに彼はきっとカチュアを『ソフィア』と信じているのだろう。
そうとしか思えない光景だった。
ソフィア自ら望んだ状況とはいえ、フレデリックに対して「騙してしまった」という意識が芽生える。そんなにも大切にしてくれる気でいた相手に、自分は何と残酷な嘘をついているのかと心が痛む。
それと同時に、カチュアは間違いなく大事にされていたのだなと実感した。そうでなければ、フレデリックはわざわざ飛び出してきてくれなかったはずだ。
「こんなに楽しい玩具があるのよ! 壊れるまで遊ばなくちゃもったいないじゃない!」
青いドレスの女は、狂ったように笑っていた。女が興奮している証に、ばちばちと激しいラップ音があたりに響き渡る。
女がウィッテンめがけて火かき棒を振るたび、女の手から伸びている大量の念糸も青白い波のように揺れた。そのたびにカチュアの魂が引きずり回され、その口からか細い悲鳴がこぼれた。
「お姉ちゃん、ご、ごめん、なさい」
女に引きずり回されながらも、カチュアの魂が呟き続ける。
「あんたが謝ることなんて、なにひとつないわよ!」
止むことのないカチュアの謝罪に、ソフィアがついに叫んだ。
「あんたを傷つけたのはあたしよ! あたしがあんたを傷つけたから、罰が当たっただけなの! あんたはただ、大好きなフレデリックと幸せに暮らしたらいいの。あたしはそれで幸せなのよ。だから謝るのはあたしよ、カチュア!」
ソフィアの心からの叫びを表すかのように、室内になにかが爆ぜるようなラップ音がいくつも生まれる。
瞬間、ソフィアとカチュアの視線が絡み合う。
「あたしは、カチュアが幸せなら、それが一番幸せなのよ」
だって、とソフィアが続ける。
「あたしたちは魂を分け合った双子なんだから。片方が幸せになってくれなくちゃ、あたしも幸せになれないじゃない」
その言葉がカチュアにしっかり伝わったかどうか判断する術を、ソフィアは持っていなかった。伝わっていますようにという祈りにも近い気持ちだけを頼りに、自然と言葉が出ていた。ソフィアがカチュアに直接言葉を伝えられるのは、カチュアの魂が抜け出ている今このときしかない。
カチュアにはソフィアの元気そうな姿が視えていて、声が届いているはずだと信じるしかなかった。




