第100話 アイシス
フレデリックがエクソシストを呼んだ。。
カチュアの肉体に潜みながら、アイシスは一連のやりとりを見ていた。カチュアを『妻のソフィア』だと紹介するフレデリックの面の皮の厚さに感心するとともに、彼に連れられてきたエクソシストの青年の美貌に思わずため息が漏れた。彫刻が生きているのかと思うほど、美しい。性別というものを超えた美がそこにはあった。
だがどんなに美形でも、アイシスの邪魔をされては困るのだ。
存在がばれないように、アイシスはひとまずおとなしくしていた。だがエクソシストが別荘の周囲に結界を張ると言ったとき、アイシスはこれ以上カチュアを使ってゆっくり遊ぶのは無理だと判断した。
このままでは、いずれ自分の正体がばれる。エクソシストがどんな方法でアイシスを祓うのかは知らないが、カチュアの魂を取り出されでもしたら、彼女と融合しそうなほど念糸を絡ませているアイシスも共に肉体の外に引きずり出されてしまう。そうなれば、戦闘経験なんてないアイシスはエクソシストに対抗するのが難しくなる。
復讐を愉しんでいる時間は、もう残されていなかった。
いつかエクソシストが来ると思ってはいたが、まさかこんなに早い登場になるだなんて。計画が狂ってしまうが、それでもカチュアとフレデリックへの復讐だけはやり遂げなければならない。
『計画は変更よ、カチュア。あなたとフレデリックを会わせてあげる』
『なにをする気なの。フレデリックには手を出さないって言ってたじゃない』
衰弱しきった肉体と違い、カチュアの魂自体はまだ口を利ける程度の力は残っているようだ。肉体と魂の結びつきはかなり脆弱になっているが、それでもカチュアの魂は生意気にも抗議の声を上げる。
『計画は変更と言ったでしょう。何度も同じことを言わせないで』
アイシスが、カチュアの魂に絡みつかせている念糸を力任せに引っ張る。カチュアの首元が強く絞まり、その口から呻き声が漏れた。
『あなたの夫がエクソシストを呼んだのが悪いのよ。それさえなければ、もっと長く愉しめたのに。計画だって変更しなくて済んだわ』
そう言ってから、アイシスは己の言葉の誤りに気づいた。紅を指した唇が思わず笑みを形作る。
『あら、ごめんなさい。あなたの夫じゃなかったわ。【あなたの姉の夫】だったわね』
『やめて、それは言わないで』
カチュアが最も言って欲しくない言葉だと理解した上で、アイシスは己の言葉の過ちを訂正した。追い詰められた状況ではあるが、カチュアが少しでも苦しむ姿は、アイシスを癒してくれる。
やることが決まれば、あとは行動するのみだ。
肉体の様子を確認していた助祭の青年が背を向けた隙に、アイシスは体の隅々まで張り巡らせた念糸を使い、体を強引に起き上がらせた。屈んでいた助祭の青年の後頭部を、肘で強打する。骨ばった肘から繰り出される一撃はかなり痛かったようで、青年が呻いてうずくまった。
青年がうずくまっている間に、アイシスは体を念糸で動かしながら廊下へと飛び出した。
裸足で走り出せば、階段の踊り場に先ほど見た美形のエクソシストを見つけた。どうせカチュアの肉体などぼろぼろになっても構わない。階段を転がり落ちるような勢いで下り、彼に体当たりを喰らわせる。いくら衰弱した肉体とはいえ、勢いのついた人ひとり分の体当たりは、彼をよろめかせるのに十分だった。
階下に降りたアイシスは居間へと駆け込んだ。もう何十年もこの館にいて、その変化を見てきたのだ。どこがなんの部屋で、なにがあるのか、何時頃に誰がどこにいるのか、すべて把握している。
居間に駆け込んだアイシスを――もとい、カチュアの肉体を見て、フレデリックがぎょっとした顔でソファから立ち上がる。
だがそれに構わず、アイシスは暖炉へと向かった。暖炉にまだ火は入れられていないが、そこには火かき棒が立てかけられていた。それをカチュアの肉体の手に握らせ、うろたえるフレデリックへと向き直る。
『やめて! それだけはだめよアイシス!』
カチュアが悲鳴を上げるが、それはアイシスをただ喜ばせ、更なるやる気を引き出すだけだ。
『カチュア、夫を手にかける狂った妻の役をあなたにやらせてあげるわ。感謝して。あなたはこれから、呪われた女として有名になるのよ』
『あたしのことは好きなようにしてくれていいから、フレデリックだけはやめて!』
『【フレデリック】じゃなければいけないのよ!』
アイシスの操る肉体が、火かき棒を勢いよく振り回す。
フレデリックが咄嗟に一人掛けのソファを転がし、進路を妨害してくる。
しかしそんなもの、アイシスにとっては大きな妨げにならない。どうせアイシスのものではない肉体を乱暴に動かし、ソファを蹴り飛ばす。当たりどころも悪かったらしい。勢いがつき過ぎた蹴りのせいで、弱っていたカチュアの肉体から骨の折れる音がした。
骨折の痛みに、カチュアの魂が絶叫する。まだかろうじて魂と肉体が繋がっているので、肉体が感じる感覚はすべてカチュアの魂へと響くのだ。痛みによる単純なカチュアの悲鳴でさえ、アイシスには愉快な音楽に聞こえた。
あと少しで、最愛の人を手にかけるという最悪の状況を作り出せる。当初の計画とは大きく違うものになってしまったが、これはこれで楽しいショーのようにアイシスは感じていた。
ローテーブルに躓いてよろけたフレデリックめがけ、アイシスが火かき棒を振り下ろす。その先端がフレデリックの宵闇色の瞳に吸い込まれ、彼の世界から永遠に光を奪う……はずだった。
直前で、アイシスの一撃は弾かれた。
アイシスとフレデリックの間に割って入ったのは、あの美形のエクソシストだ。柄に銀の蔦の装飾を施された優美なレイピアを手にした彼が、火かき棒を持たせた肉体の手元を狙ってくる。
アイシスはカチュアの肉体を強引に引っ張り、後退させた。片足の骨が折れているので少しぐらつくが、体内に張り巡らせた念糸で支えられる程度のものだ。
問題がある者がいるとすれば、骨折した脚を無理矢理動かされる羽目になったカチュアしかいない。
ふと、アイシスは気づいた。
もしここでエクソシストを屠ることに成功すれば、あとはゆっくりと狩りを愉しめる。カチュアの体を盾にしているかぎり、エクソシストはこちらを派手に傷つけられないはずだ。
抜刀したエクソシストに、アイシスは向き直った。




