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夏のある日の──2

 授業の時間が迫るにつれて教室の人が増えていく。璐世(ろぜ)も友人達と駄弁りながら、ゆるゆると時間を潰していた。


璐世(ろぜ)は期末考査どうだった?」

「いつもと変わんないー。数学全然点数上がらないんだよねー」


 机に腰掛けて他校の生徒と話していると、数学の担当講師が教室に入ってきた。


「え!?」


 大慌ててで璐世(ろぜ)が椅子に座り、鞄で顔を隠す。


(なんで!? 佐藤先生は!?)


「どしたん璐世(ろぜ)

「あれ、誰あのイケメン。さとセンどこ行った?」


 突如現れた若い講師に、教室中がキョトンとしている。「誰?」と子供達がざわついていると入り口からひょこりと田中先生が顔を覗かせた。


「今日佐藤先生お休みだからね。代わりに亜瑠(ある)先生が担当してくれるよ。今日から入ってきた先生だからね。亜瑠(ある)先生とっても頭良いから、分からないところがあったらどんどん質問してね」

「ということだ。よろしく」


 炎のような赤い目が涼しげに教室を見渡す。彼の視線が最後に璐世(ろぜ)を捉えた気がしたが、きっと気のせいだ。


(まずいまずいまずいまずい、なんで奏明(そみん)の方じゃないの!? 先こっちが数学だからか!!)


 佐藤先生が休みなら先に教えておいてほしい。そして代打がお化け屋敷の住人であることも。分かっていたら、一番後ろの席を確保したのに。


「今日は復習テストな。最初の四十分で解いて二十分で自己採点と解き直し、最後の三十分で解説。貰った奴から始めていいぞ」


 前列からテスト用紙が配られてくる。璐世(ろぜ)も用紙を受け取ると、なるべく顔を隠すべく懸命に解くふりでテストに向き合った。


(う……全然問題が頭に入ってこない)


 まるで集中できない。そっと視線を上げると、亜瑠(ある)は教卓で何かを書いていた。


(もしかして、アイツもテスト解いてる?)


 こっちは手が止まりっぱなしだというのに、向こうは涼しげな表情でつらつらとシャーペンを動かし続けている。大学生にとって高校一年生の数学など楽勝なはずだ。


(私の佐藤先生を返せ! 普通クラスと特進クラスの授業がローテーションじゃなかったら、会わなくて済んだのに……)


 璐世(ろぜ)が数学の授業を受けている間、隣の教室で奏明(そみん)は国語を受けている。次の授業では科目が入れ替わるが、普通クラスと特進クラスの数学講師は別の人間。亜瑠(ある)でなくとも代理の講師は立てられただろうに。


(今日出勤してる高校の数学の先生がアイツしかいないってこと? バイトのくせに?)


 初出勤のバイトに任せるなんて先生達は何をやってるんだ! と変な方向に怒りを投げる璐世(ろぜ)。テストはまだ半分も解けていない。いつの間にか、残り時間は十分を切っていた。


(もういいや。どうせ解き直しの時間あるし解説されるから、適当に解いちゃお)


 白紙よりはマシ、とそれっぽい式と回答を書いていく。数学や理科はどうにも苦手だ。高校に入った途端数学は「Ⅰ」と「A」に分かれ、理科は「物理基礎」、「化学基礎」、「生物基礎」に分かれてうんざりだった。


 ようやくテスト問題に集中できるようになったところで終了を告げるアラームが響いた。結局ほとんど勘で書いたものばかり。自己採点などしたくない。どうせ赤ばかりだから。

 テキストを広げ、一問目から解法を見ていく。


「授業の終わりに答案用紙回収するからな」


(えっ、うそ)


 なんて無情な宣告だろう。それならそうと最初に言ってほしかった。

 公式を探してテキストと睨み合っていると、なんということだ。亜瑠(ある)が生徒達の机を回って答案用紙の確認をしているではないか。

 こんな酷い出来のテストを頭脳明晰な人間に見られるのは恥ずかしいし、あの距離で話しかけられたら逃げられない。どうか朝のことを忘れていますようにと必死で祈りを捧げる。


(ぎゃー!! こっち来るな!!)


 そんなことを願っても、向こうは自身の仕事をしているだけ。前の席から順に子供達の答案を確認、分からない問題にヒントを与えている。

 テキストで顔を隠しながら、自分の所は通り過ぎますように、とまた神様に願った。

 とにかく一生懸命にやってる風を装ってやり過ごす。そうしている間にも亜瑠(ある)のと距離は近づく一方。解き直しをしようにも、今の璐世(ろぜ)はテキストの文章を追うのに精一杯で理解する余裕がなかった。


 とうとう、頭上に亜瑠(ある)の影が落ちた。


 頼む通り過ぎてくれと懇願する。心臓がバクバクと凄まじい勢いで拍動しているのが嫌でも分かった。剣道の大会でもここまで緊張したことはない。


「──集中できなかったのか?」


 終わった。


 酷い出来の答案を見られたし、話しかけられて無視をするわけにもいかない。


「ちょ、ちょっと今日調子が悪くて……」

「そんなに顔を近づけてたら読めないだろ」


 身バレ防止の最後の砦が顔から引き離される。ここで抵抗すると怪しまれるから仕方ない。なるべく視線を下げて、絶対に目を合わせない。


「この問題の解法はこっちのページ」

「あ、アリガトウゴザイマス……」


 もういいから早く行って。あとは自分でやるから。なんて思いは届かず、あろうことか亜瑠(ある)璐世(ろぜ)の前の空席に腰掛けた。椅子がわずかに軋む音と共に、目の前が亜瑠(ある)の黒い服で塞がれる。


(うう……よりにもよって……)


 朝の出来事さえ無ければ、「きゃー! イケメン! 眼福!」で済んだのに。

 いや、頭の良いイケメンにこの答案用紙は見られたくない。やっぱり即刻立ち去ってほしい。


(絶対馬鹿だと思われてる……)


 苦手とはいえ、いつもはこれよりもっと解けるのだ。今日は本当に集中できなかっただけで。


「テキストの問題は解けてるじゃないか。これと一緒だぞ」

「えっと、はい」


 そんなに見ないでほしい。緊張が指先にも伝わってきた。手に余計な力が入って、文字が変な跳ね方をする。

 最悪だ。字まで汚いと思われたらどうしよう。今すぐ家に帰りたい。


「まずはちゃんと数直線を描くんだ。その方が分かりやすいから」

「数直線……」


 さすがは塾講師のバイトを選ぶだけある。悔しいが、彼の解説は担当の佐藤先生よりも分かりやすかった。


(もしかして、バレてない?)


 亜瑠(ある)の態度は他の生徒に接する時と特に変わらないように見えた。淡々と問題を教えてくれるだけで、こちらを気にするような素振りは見えない。


(気にしてたのって私だけ? なんだ、全然大丈夫じゃん)


 心配しすぎて損をした。これなら、もっと堂々としていても良かった。


「ちゃんと図を描くと解きやすいだろ? ──それとお前、今日俺の家通り抜けてったよな」


 油断していたところにものすごく自然な流れで言及された。璐世(ろぜ)の表情がピシッと固まる。視線だけ動かして目の前の青年を見れば、炎色の瞳とばっちり目が合ってしまう。


「ひ、人違いじゃないですか。なんのことだか」

「そうか? グレ女の制服だったのは覚えてるけどな。高校に問い合わせてみるか」

「すみません私ですその節は大変申し訳ございませんでした」


 家に一度戻って着替えていれば。言い逃れができないと確信し、すぐさま璐世(ろぜ)は平謝りした。どうか通報だけは勘弁してほしい。


「あの家に人が住んでたなんて知らなくて……遅刻しそうで近道に使っちゃったんです。二度と不法侵入しないって約束するので許してください」


 バレた以上は謝り倒すしかない。机に額を擦り付ける勢いで謝る。そんな璐世(ろぜ)を前に、亜瑠(ある)は顔色を変えず淡々としていた。


「別に怒ってない。塀を走り抜けるなんて危険な真似、二度とやるなよ。あとは解けるな?」


 それだけ言うと亜瑠(ある)は椅子から立ち上がり、同じように他の生徒の様子を見に行ってしまった。

 怒られるとばかり思っていたから拍子抜けしてしまう。


 意外と良い人かもしれない。不法侵入を咎められなかったことから、亜瑠(ある)に対する評価はころりと変わった。


「解説するぞ。自力で解き直せる奴はそのまま続けていいからな。大問1は全員解けなきゃいけないレベルだから飛ばす。大問2の問1から──」


 亜瑠(ある)が黒板に式を書いていく。なるほど、字も綺麗なのか。まるで定規を当てて書いたかのようにピンと一直線に並んだ文字は、惚れ惚れするような美しさだ。そして何より分かりやすい。

 イケメンで頭が良くて授業が分かりやすくて字も綺麗。最高じゃないか。お化け屋敷に住んでること以外は完璧だ。非の打ち所がない。


(やっぱ特進じゃなくて普通クラスの講師になってほしいかも)


 つい先ほどまで「こっち来るな」と思っていた相手に対し随分と都合がいい。亜瑠(ある)の解説を聞いていると、自分まで頭が良くなった気がした。






亜瑠(ある)先生の授業めっちゃ分かりやすい! 超良いんだけど!」

「どこがよ。最悪なんだけどあの鬼畜」


 表情をキラキラ輝かせる璐世(ろぜ)と対照的に、奏明(そみん)はしかめっ面だ。二コマの授業を終えて塾を出ながら、璐世(ろぜ)奏明(そみん)と授業中の出来事を話す。


「不法侵入したのがバレた時はめっちゃ焦ったけど、怒られなかったし授業分かりやすいしイケメンだし最高! 今日だけじゃなくてずっと普通クラスの先生だったら良いのに」

「ぜひ引き取ってほしいわ。アイツ、一番できる人に合わせて授業するって言うのよ。特進のトップについてくってどれだけしんどいと思ってるの」


 普通クラスで分かりやすい授業を展開してくれた亜瑠(ある)は、どうやら特進クラスでは違うらしい。

 奏明(そみん)曰く、「授業についてこれない奴は容赦なく置いていく」と。


「いくら特進クラスって言ったって、常に成績トップの子と何とか特進に喰らいついてる子じゃかなり差があるのよ」


 特進クラスの事情は璐世(ろぜ)には分からないが、クラスの中間層に位置する奏明(そみん)でも亜瑠(ある)の授業についていくのは難しかったとのこと。ぷんぷん怒る奏明(そみん)の話を完全に他人事として聞く。


「よく分かんないけど、特進も大変なんだね」

「絶対成績は落とせないし、大変なんてものじゃないわ。だいたい、なんで夏休みに入った途端先生が変わるのよ」

「塾も夏期講習だからじゃない? 通常授業に戻ったらまた変わるかも」


 そうしたら亜瑠(ある)にはぜひ普通クラスの数学担当になってほしい。


「この前の統一模試の結果で特進に上がった子もいるでしょ……その子達がいきなりトップの子に合わせた授業についてくなんて普通に考えて無理だから」

「特進に上がれるだけでもすごいと思うけどなあ」


 特進クラスに上がる条件は各科目の得点率が七割以上であること。五割こそ超えるものの六割には到達しない璐世(ろぜ)には遠い話だ。


「はあ……じゃあ、私は帰って勉強するから。また明日」

「またねー」


 塾で散々勉強したのに家に帰っても勉強する奏明(そみん)は大したものだ。璐世(ろぜ)はというと、小腹が空いたからコンビニ寄るかスーパーに寄るかで悩んでいる。

 夕食用の菓子パンを塾で食べたが数時間前の話だ。食べ盛りの身体にはまだ足りなかった。

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